第2話 逆張りヲタクは広めたくない!
「三つって、順位もつける?」
モモチは、まだ椅子の背に手を置いていた。
「つけなくていい」
「原作とアニメ、分けていい?」
「アニメで」
「前後編は一個?」
「……好きな回、聞いてるだけなんだけど」
帰る支度をしていたはずなのに、いつ決まるか分からなくなってきた。
ナオは机へ戻した鞄の持ち手を、もう一度握った。
「じゃあ、橋の回」
「あ、私も好き」
手が止まった。
敵を足止めするために、主人公が一人で橋に残る回だ。
先に逃げたはずの仲間が引き返してくるところで、ナオは毎回、同じ台詞を待ってしまう。
「あれはいいよね。戻ってくるところ」
「そこもいいけど、戻る前に荷物置くじゃん」
「うん」
「食料だけ持ってこうとして、結局それも置くところ」
分かる。
分かるけれど、そこからなのか。
そのあとも二つ聞いた。
片方はナオも好きな回で、もう片方は、言われてようやく思い出した。
ナオが帰るころには、廊下の窓に夕方の光が差していた。
*
翌日の昼休み、アイカがスマホを見ながら言った。
「今日、帰りに行ける?」
「ケーキ?」
「うん」
昨日の写真が画面に出ていた。
苺が載った四角いケーキと、焦げ目のついたチーズケーキ。
写真を見ただけで、昨日どちらにするつもりだったか思い出した。
「行ける。私、こっち」
ナオが苺を指すと、アイカは頷いた。
「私、チーズケーキ」
「ちょっとずつ交換しよ」
「うん」
「あそこ行くの?」
隣で弁当を片付けていたモモチが、こちらを見た。
「今日、帰りに」
「高くない?」
「……昨日も、それは話した」
ケーキだけの値段ではない。
飲み物も頼むと、思っていたより使う。
それでも、行ってみたかった。
「まあ、写真代も入ってそうだしな」
「写真代?」
「皿とか、店の中とか。写真撮って載せるまで込み、みたいな」
モモチが、画面のケーキを指した。
「別に、まずいとは言ってないけど」
「食べたことあるの?」
「ない」
ナオはスマホを自分の方へ引き寄せた。
「じゃあ、まだ分かんないじゃん」
「でも、ケーキなら、駅の手前の店でよくない?」
「どこ?」
アイカが聞いた。
「商店街入って、クリーニング屋の二軒先。緑の屋根の」
「あそこ、ケーキ屋だったんだ」
「焼き菓子もある。チーズケーキ、そっちの半分くらい」
それは気になった。
けれど、スマホには昨日から見ていた苺のケーキがある。
「そっちは、また今度」
ナオが言うと、アイカも画面を見て頷いた。
「今日は、こっち行きたい」
「そう」
モモチは弁当箱を鞄へしまった。
それから、もう一度こちらを向く。
「緑の屋根っていうか、日よけな。入口はその下」
まだ、そちらへ行くとは言っていなかった。
*
放課後、ナオとアイカは校門を出て、駅前のカフェへ向かった。
ショーケースの中に、苺のケーキはなかった。
ナオは一度、隣のケースも見た。
焼き菓子が並んでいた。
「本日分は、もう売り切れてしまって」
店員が申し訳なさそうに言った。
「チーズケーキもですか?」
「そちらも。こちらのチョコレートでしたら、まだございます」
丸いチョコレートケーキが、二切れ残っていた。
おいしそうではある。
けれど、二人で分けたかったものとは違った。
アイカを見ると、彼女もケースからこちらへ目を移した。
「……どうする?」
「ちょっと、考えよっか」
店員にお礼を言って、外へ出た。
入口の横に、入るときには気づかなかった札がある。
人気商品は早い時間に売り切れる場合がございます。
早い時間と言われても、そのころはまだ授業中だ。
「もう一軒、見てたところあるんだけど」
ナオはスマホを出した。
「こっち。タルト」
「近い?」
「たぶん。ここから……4分」
アイカが頷いたので、地図を開いた。
今度の店では、タルトの横に小さな札が立っていた。
SOLD OUT。
少し離れた棚で、別の客が袋入りのクッキーを選んでいる。
「クッキーでもいいよ」
アイカが言った。
ナオは棚を見た。
確かにおいしそうだった。
でも、一袋買って帰るだけでは、今日したかったことが終わらない気がした。
「座って食べたいかも」
「うん。私も」
店を出ると、日なたはまだ暑かった。
ナオは地図を駅の方へ動かした。
ケーキの写真ばかり見ていたので、歩いている道がどこにつながるのか、まだよく分からない。
「駅、こっち」
アイカが、通りの先を指した。
「商店街からでも行けるけど」
「商店街って、モモチの言ってた?」
「うん」
「……見るだけ、見てみる?」
「あったら食べよ」
今度は、アイカの後ろを歩いた。
制服の背中を追いながら、ナオはスマホをしまった。
知らない道へ曲がるとき、一人ならもう一度地図を見ていたと思う。
*
緑の日よけは、クリーニング屋の看板に隠れていた。
もう二軒先まで歩きかけたところで、アイカが足を止める。
「これ?」
ガラスの扉に、小さく「喫茶」の文字があった。
窓際に二人掛けのテーブルが二つ、奥に四人掛けが一つ。
その向こうのケースに、ケーキが並んでいる。
ナオは、まだ残っていることを確かめてから扉を開けた。
ベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうから、店の人が顔を上げた。
「中で、食べられますか?」
「はい。お好きな席へどうぞ」
ナオとアイカは窓際に座った。
テーブルへ置かれたメニューは、一枚だけだった。
ケーキの写真はなく、名前と値段が並んでいる。
飲み物とのセットにすると、さっきの店で考えていたケーキ一個分と、あまり変わらなかった。
「チーズケーキ、あるよ」
ナオが言った。
「うん」
「あと、プリンと……アップルパイ」
苺はなかった。
アップルパイは、ケースの中で端だけ焼き色が濃くなっていた。
「私、アップルパイにしようかな」
「じゃあ、私チーズケーキ」
アイカがメニューを閉じかけて、また開いた。
「でも、プリンも」
「分かる」
「……チーズケーキ、半分食べる?」
「食べたい」
「アップルパイも半分もらっていい?」
「もちろん」
アイカはケースをもう一度見た。
「プリンは、次」
まだ一口も食べていないのに、次が決まった。
運ばれてきたチーズケーキには、クリームも果物も載っていなかった。
アップルパイの皿には、小さなフォークが一本。
ナオはスマホを出しかけて、先にフォークを取った。
フォークを入れると、重なったパイ生地がぱらりと皿に落ちた。
りんごと一緒にすくって、口へ運ぶ。
温かくはない。
でも、焼いたりんごの匂いがした。
「……おいしい」
向かいで、アイカも頷いていた。
「こっちも」
ナオは自分の皿を、テーブルの真ん中へ寄せた。
「交換する?」
「うん」
チーズケーキは、フォークを入れると少し重かった。
底の生地まで切って、一口食べる。
ナオは、向かいを見た。
「チーズケーキの方、好きかも」
「私、アップルパイ」
「じゃあ、このままでいい?」
アイカは、アップルパイにもう一度フォークを入れた。
「ここの端、おいしい」
アイカが、焼き色の濃いところをフォークで示した。
「分かる。そこ、最後に食べようと思ってた」
「あ、じゃあ残す」
「ううん、食べて。こっちもあるし」
ナオは、反対側の端を指した。
両方食べたかったけれど、チーズケーキの方は多めにもらっている。
アイカが切り分けてくれた端を、自分の皿へ戻した。
「半分になってないね」
ナオが言うと、アイカが小さく笑った。
「だいたい」
窓の外を、自転車を押した人が通った。
ナオはチーズケーキをもう一口食べ、それからやっと写真を撮った。
皿の上にはパイ生地のかけらが散って、切り分けた跡もそのまま残っている。
「食べる前に撮ればよかった」
「また来たら撮れるよ」
アイカが言った。
プリンがまだ、ケースにあった。
*
「行ってきた」
翌朝、ナオが言うと、モモチは出しかけていた教科書を止めた。
「あの高いところ?」
「そっちは売り切れ。もう一軒もなくて、緑の日よけの店」
「ああ」
モモチが教科書を机へ置いた。
「何食べた?」
「チーズケーキと、アップルパイ」
「アップルパイ、あったんだ」
「うん。おいしかった」
モモチの口の端が、少し上がった。
「チーズケーキの方がよくない?」
「私はチーズケーキ。アイカはアップルパイ」
前の席で、アイカがこちらを向いた。
「端が好き」
「ああ、あそこな」
昨日の皿を、モモチも見ていたような返事だった。
ナオはスマホを出した。
「教えてくれてありがと。ここ、また行くと思う」
「あの店、あんまり知られてないんだよ」
「何のお店?」
通路から、声がした。
前の方の席にいる女子が、友達と二人で立っていた。
手には移動教室へ持っていく教科書がある。
「ケーキ。昨日、帰りに食べてきたの」
ナオはスマホを少し傾けた。
「あ、これ?」
女子が写真を覗き込む。
「そう。食べてから撮ったから、あんまり残ってないんだけど」
「おいしそう。どこにあるの?」
ナオは商店街、と言ってからモモチを見た。
「クリーニング屋の二軒先」
モモチが言った。
「緑の日よけ。ちょっと奥に入口がある」
「あそこって、中で食べられるんだ」
「うん。全部で八席くらいあったよ」
ナオが答えると、女子の一人が友達の袖を軽く引いた。
「今度、ここ行かない? チーズケーキ食べたい」
「いいね。いくら?」
アイカが値段を言った。
「え、安い」
「飲み物つけても、そんなにしなかった」
「じゃあ行こ。穴場じゃん」
ナオも頷きかけた。
「まあ、そこまで騒ぐ店でもないけど」
隣から、声がした。
ナオはモモチを見た。
さっきまで上がっていた口の端が、戻っている。
「普通のケーキだし。安いのは、そんなに大きくないから」
「……そうなの?」
写真を見ていた女子が、画面へ目を戻した。
半分以上、食べ終えたケーキが写っていた。
「これ、食べたあとだから。最初はちゃんとあったよ」
ナオは慌てて付け足した。
「足りなかったわけじゃないし、おいしかった」
「あと、席少ないから、みんなで行くと入れないと思う」
「二人だけど」
「二人なら、まあ」
また、許可が出た。
ナオはスマホを伏せた。
「モモチが教えてくれたんじゃん」
「教えたけど。そこまで期待されても」
「まだ食べてないのに、期待下げなくてよくない?」
「いや、あの値段にしてはいいってだけで」
女子二人が顔を見合わせた。
ナオは、もう一度スマホを表にした。
「私はおいしかったよ。チーズケーキ、ちゃんとチーズの味する」
口にしてから、もう少しいい言い方があった気がした。
モモチの眉が動いた。
「チーズケーキだからな」
「分かってる」
「チーズ苦手でも食べられる、みたいなやつじゃなくて」
「そう。それ」
それが言いたかった。
モモチはケースの形を説明するように、片手を少し動かした。
「下の生地も、湿ってないし」
「うん。そこもおいしかった」
「……でも、別に有名な店と比べるほどじゃない」
誰も、比べていなかった。
「とりあえず行ってみる」
女子の一人が、笑って言った。
「場所ありがと。ナオたちも次、行く?」
「うん。まだプリン食べてないから」
「いいね」
二人が教室を出ていく。
アイカも教科書を机の上へ重ね始めた。
ナオは隣を見た。
「広まると、嫌なの?」
「嫌っていうか。ああいう店に、大勢で来て、写真だけ撮って帰るみたいなのは違うだろ」
「ケーキ食べたいって言ってたけど」
「これから、そういうのが増えたら」
「クラスの二人に場所教えただけで?」
モモチは返事をせず、机の中から筆箱を出した。
ナオはスマホの写真を見下ろした。
自分だって、知らなかった店だ。
昨日、教えてもらわなかったら、前を通ってもケーキ屋だと気づかなかったと思う。
「お店の人は、来てくれたら嬉しいんじゃない?」
「それはそうだけど」
「じゃあ、いいじゃん」
「混むと入れなくなるし」
それは、分かる。
昨日の売り切れの札を思い出すと、否定はしにくかった。
ナオはスマホをしまった。
「今日も、帰りに行かない? 今度はプリン食べたい」
アイカに聞く。
「うん。あと、あったらアップルパイ」
「また?」
「端、もうちょっと食べたい」
「じゃあ、今度は交換しないで頼む?」
アイカは少し考えた。
「プリンも食べたい」
「だよね」
ナオは笑って、教科書を持った。
どちらを自分の皿にするかは、行ってから決めればいい。
「今日は、ホームルーム終わったらすぐ出よ。売り切れる前に」
「うん」
「今日、水曜だから休みだぞ」
モモチが言った。
ナオは教科書を抱えたまま、隣を見た。
「それ、先に言って」




