転校したら、逆張りヲタクが居た!
「白瀬ナオです。一学期までは神奈川県立相模中央高校にいました。
趣味はアニメと漫画で、今いちばん好きなのは『ワイルドブレイヴ』です。
トーマが推しなんですけど、あ、黄色いゴーグルの……」
鏡の前で、ナオは少し考えた。見たことがない人にも分かるように話した方がいい。
「最初は敵で出てくるんですけど、仲間になってからも素直じゃないところがよくて。
口では嫌だって言うのに、結局ついてきちゃうんですよ。あと、たまに笑うと――」
そこで口を閉じた。
鏡の中の自分が、すごく楽しそうだった。
だめだ。だめだだめだ。
これじゃ、また高校デビューに失敗する。
名前と前の学校を言うまではよかった。
トーマが出てきてから、どこで話を終わらせるつもりだったのか分からない。
まだ練習でよかった。
一度、咳払いをする。
白瀬ナオは、自己紹介から「アニメと漫画」を削った。
名前。前の学校。この辺にはまだ詳しくないので、おすすめのお店を教えてほしいです。
最後に、よろしくお願いします。
鏡に向かって、もう一度。今度は余計な説明を足さずに言い終えて、軽く会釈する。少し笑う。
いい。感じがいい。
髪を留めた銀色のピンを、ほんの少しだけ斜めにした。さっきとどちらがよかったか分からなくなり、戻す。その間にスマホの画面が光った。
『今日からだっけ。がんばれ』
佐和からだった。中学からの親友で、高校は別になったけれど、何かあるとだいたい連絡をしている。
『とりあえず初日はおとなしくする』
送ると、すぐに『初日だけ?』と返ってきた。
そこまでは、まだ決めていない。
九月。高校一年の二学期。
父親の急な転勤で、ナオも引っ越すことになった。昇進もしているらしい。よかったね、とは思う。
ただ、通い慣れた学校を離れ、
友達と会うにも予定を組み直さなければならない側としては、もう少し早く言ってほしかった。
しかも、夏休みに引っ越しが決まった事で色々手続きにも時間がかかって、今日はもう8日。
転校のタイミングもすごく中途半端だ。
段ボールの横に置いた鞄へ、筆箱を入れる。
転校をしたかったわけではない。
それでも、初めの挨拶をもう一度できるなら、今度はうまくやりたかった。
四月、親友たちとは別の高校へ入ったときも、そう思っていた。
新しく知り合った子が「そのアニメ、ちょっと見た」と言ってくれたので、
嬉しくなって、好きな場面を話した。そこへ行くまでに知っていてほしいことも話した。
『すごい詳しいんだね』
相手がそう言うまで、ナオばかり喋っていた。
そのあと、別の子が動画を見せて、話題はそちらへ移った。
悪口を言われたわけではない。翌日も普通に挨拶はした。
でも、続きを話していい感じではなくなっていた。
佐和や柚葉と話しているときのままでは、駄目らしい。
今日は、お店の話をする。
駅の近くに、気になるカフェを二軒見つけてある。
服を見るのも好きだし、ケーキの写真ならいくらでも見ていられる。
そういう話をしてみたいのも、本当だった。
鞄を持つと、金具が小さく鳴った。
キーホルダーの少年が、こちらを見ている。
額に黄色いゴーグル。指先に絡めた細い糸。
何か企んでいそうな、片方だけ上がった口の端。
外そうとして、留め具に爪を掛けた。
けれど、指を離すと少年がくるりと回り、その顔が見えなくなった。
ナオはもう一度、表に戻した。
一個だけだし。
知らない人には、ただの飾りに見える。
知っている人に聞かれたとしても、「ちょっと見る」と言えば済む。
鞄の身体側に回して、今度こそ持ち上げた。
*
「白瀬ナオです。一学期までは神奈川県立相模中央高校にいました。
まだこの辺に詳しくないので、おすすめのお店とか、教えてもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします」
言えた。
声は裏返らなかったし、途中で速くもならなかった。
前の方にいた女子が笑顔で頷いてくれたので、最後は自然に笑えた。
「駅前のクレープ屋、うまいよ」
後ろから声がした。
「瀬尾、あそこもう閉まってる」
「え、いつ?」
「夏休み」
「うそ。最後に行きたかった」
何人かが笑った。ナオも少し笑った。行けない店を教えられたのに、肩の力は抜けた。
「先生も、あそこのスタンプ、あと一個だったんだけどな」
担任の高梨まで、残念そうに言った。
「先生も行ってたの?」
「うん。……じゃあ白瀬さん、いい店を見つけたら先生にも教えてください」
また少し笑いが起きた。ナオが頷くと、高梨は後ろの空いた席を示した。
「席はあそこね。分からないことがあったら、遠慮なく聞いて」
ナオが頷くと、高梨は教卓に置いていたプリントの束を手に取った。
「それじゃ、今週の学年だより。後ろに回して。……まだ夏休みの宿題を出してないやつがいるらしいな」
高梨が前列にプリントを配り始める。
ナオは小さく息を吐き、後ろの席へ向かった。
通路にはみ出していた鞄を、隣の席の男子が引き寄せてくれる。
小さくお礼を言うと、彼は軽く頷いた。黒い髪が、後ろだけ少し跳ねていた。
「モモチ、プリント一枚足りないんだけど」
「あ、ごめん。二枚取ってた」
彼は重なっていた紙を一枚はがし、声をかけてきた男子へ渡した。
「ありがと」
男子が席へ戻ると、彼も自分のプリントに目を落とした。
ナオは椅子を引いた。
前の席の女子が、プリントを差し出してくれた。耳に掛けた短い髪に、細い丸眼鏡。
「ありがとう。よろしくね」
「……うん。よろしく」
女子は少し頭を下げて、前を向いた。
何かもう一言、話しかけてもよかったかもしれない。
けれど高梨が連絡事項を読み上げ始めたので、ナオもひとまずプリントへ目を落とした。
*
一時間目が終わると、机を離れる人と、教科書を片付け始める人に分かれた。
次は音楽室だと言っていた。どこにあるのかは、聞きそびれた。
教科書を出してから前の席の女子に聞こうと、ナオは鞄を机へ載せた。
「……それ、トーマ?」
前の席の女子が、こちらを向いていた。
「え?」
「あ、ごめん。鞄の」
ファスナーの端で、黄色いゴーグルが揺れている。
朝、裏に回したはずだった。
「……あ、うん」
「ワイブレ、見てる?」
「ちょっとだけ」
予定どおりの返事はできた。ただ、キーホルダーを隠そうとしていた手まで止まった。
「私も。原作は読んでないんだけど」
女子が、少し笑った。
ナオも笑い返す。
『ワイルドブレイヴ』。週刊少年誌で連載している冒険漫画で、アニメも放送中。
トーマは元々敵だったくせに、今では主人公とライバルの無茶に一番付き合わされている。
糸と罠を使う、口の悪い仲間だ。
三人並んだグッズなら、だいたいいる。
ナオは、その三人から毎回トーマを選んでいる。
「あの、私、アイカ。アイカでいいから」
「じゃあ、私もナオで」
「うん」
それで一度、会話が止まった。
今度は、ナオの方から聞いた。
「昨日の、見た?」
「見た。あのおじさん、ずるくない?」
「そう! 当たってるのに全然落ちないんだもん」
「射的の回?」
隣から声がして、ナオは口を閉じた。
さっきプリントを渡していた男子が、椅子に座ったままこちらを見ている。
「モモチも見た?」
アイカの声から、さっきまでの遠慮がなくなった。
「見たけど」
この人も見るんだ。
それなら、三人で普通に話せばいい。
少しくらいアニメの話をしたからといって、四月と同じことになるわけではない。
「あれ、よかったよね」
「そうか?」
ならないはずだった。
「一話使って、射的するだけだぞ」
「それが面白かったんだけど」
昨日の回では、旅の途中で寄った街の射的屋に、トーマが引っかかる。
いや、最初は引っかかっていない。
細工を見抜いて、遊んでいた子どもへ「こんなのやる方が馬鹿だ」とまで言う。
ところが店主に煽られると、自分で金を出し始める。仕掛けを一つ破れば、別の小細工がある。
子どもを帰すつもりだったはずが、最後にはその子に見守られながら、意地で景品を取ることになる。
景品は子どもに押しつける。買い物は忘れる。財布も軽くなる。
敵を倒したわけでも、強くなったわけでもない。
ナオは夕飯のあとでもう一回見た。
「店のおじさんとのやり取り、よかったじゃん」
「まあ。でも原作だと、あの街、買い物して出るだけなんだよ」
「うん」
「あそこ、アニオリだから」
「そうだね」
知っている。原作でも、買い物をしているページの端にトーマがいる。
せっかく街に来たのにもう出るんだ、と思ったのも覚えている。
昨日は、その続きが見られたようで嬉しかった。
でも、そこまで説明する必要はない。
「私、あれくらいの方が気楽に見られるけど」
アイカが言った。
「ずっと戦ってたし」
「いや、日常回が全部嫌なわけじゃなくて」
モモチが机に頬杖をついた。
「最近トーマ、人気出てきたじゃん。
だからアニメでも、ちゃんと子どもに優しいところを見せとこうって感じがするんだよな」
最近。
いつからの話だろう。
気になったけれど、そこを聞くと長くなりそうなので、ナオは聞かなかった。
「でも、元からああいうところあるし」
「あるよ。それをわざわざ一話にして、最後、あんな顔させるのがさ」
モモチが、自分の口の端を指した。
どの顔のことか、すぐ分かった。
「アニメ会社が、ここ見せとけばもっと人気出るでしょ、って考えてそうで」
「……普通に、いい顔だったと思うけど」
「まあ、そう思ってもらうための回だし」
返す言葉を探しているうちに、モモチが続けた。
「白瀬、原作は読んでる?」
「そっちも、ちょっと」
さっきより小さい声になった。
アイカが机の中を探し、教科書を二冊出した。
ナオも鞄へ手を入れる。この話はそろそろ終わりにして、次の教室がどこか聞けばいい。
「ああ。それなら、ああいう回も入りやすいと思う。
話を全部追わなくても、『トーマっていいやつだな』って分かるし」
「そういうところだけ見てたわけじゃないよ」
「うん。入り口としては全然いいと思うけど」
全然いい。
なんで許可されたんだろう。
ナオは、引き抜いた教科書を机に置いた。手は離さなかった。
四月のときは、自分が喋りすぎたのだと思った。だから今日は、あまり喋らずにいた。
すると、知らないから面白がっていることになっていた。
「……全巻、うちにあるけど」
「え?」
「原作。出てる分、全部。アニメも最初から見てる。あの回が原作にないのも、街をすぐ出るのも知ってる。その上で面白かったって言ってるんだけど」
モモチが頬杖をやめた。
「ちょっとって言ってなかった?」
「それは、ごめん」
そこだけは、そうだった。
「でも、知らないから好きなんだ、みたいに決めないで」
「じゃあ、どこがよかった?」
どこが。
ある。いくらでもある。
「最初に銃を構えるところ」
「うん」
「片手で構えるじゃん。すごい余裕ある顔して。
さっきまで子どもに、こういう店は仕掛けがあるからって説明してたし」
「してたな」
「それで外すじゃん」
アイカが少し笑った。
「あそこの、喋らなくなるところが好き。
子どもが何か言う前に、黙って次のお金出してるのも。それで二回目も外すんだよ?」
「肩、叩かれてた」
「そう! 子どもに!」
ナオはアイカを指しかけて、手を引っ込めた。その手で今度は、自分の肩をぽん、と叩く。
「主人公たちといると、ああいうときってトーマが呆れる方なのに。
慰められて、余計に怒って。しかも最後、買い物忘れたのは普通に自分のせいじゃん」
言っているうちに、またあの顔を思い出した。
「景品あげるところも好き。いらないって押しつけておいて、子どもが喜んでるか、ちゃんと見るところ」
「だから、あそこが狙いすぎって話」
モモチの返事も速くなった。
「最後だけやたら丁寧だろ。
口の端がちょっと上がって、すぐ背中向けて。
そういうトーマを見せるために、わざわざ子どもまで出して――」
「見たかったけど!」
少し離れた席の女子が、こちらを向いた。
ナオは、自分の声が思っていたより大きかったことに気づいた。
ゆっくり息を吐く。
「……見たかったから、よかったんだけど」
今度は小さい声で言った。
「それ見て喜んだら、なんか駄目なの?」
「駄目とは言ってない」
「言い方」
モモチが口を開きかけたところで、チャイムが鳴った。
ナオは顔を上げた。周りの机が、いつの間にか空いている。
「今の、予鈴。そろそろ行かないと」
アイカが教科書を抱えて立った。
ナオも慌てて立った。音楽室の場所を、まだ聞けていなかった。
「一緒に行ってもいい?」
「うん。あと、それ英語」
握っていた教科書を見た。
表紙に、ENGLISHと書いてあった。
*
昼休み、ナオは弁当を出してから、前の席へ声をかけた。
「アイカ。お昼、一緒に食べない?」
「うん」
アイカはすぐに椅子を回した。机の上の筆箱を端へ寄せ、ナオが弁当を置ける場所を空けてくれる。
誘ってみてよかった。
午前中だけで、給水機の場所と、音楽室へ行く階段は覚えた。
帰りに一度、違う廊下へ曲がったけれど、途中で気づけた。
教室へ戻ってきたときには、自分の席を探さずに済んだ。
少しずつ慣れてはいる。
慣れるより先に、随分喋ってしまった。
「さっき、大きい声出してごめん」
「ううん」
「あんなに話すつもりじゃなかったんだけど」
アイカは割り箸を割った。片方だけ長くささくれが残り、少し眉を寄せる。
「モモチと、話が合うんだね」
「合ってない。全然」
「そうなの? でも、モモチとあんなにアニメの話が続く人、珍しいよ」
「同じのを見てるだけ」
アイカが「そっか」と言い、ささくれを箸袋へ落とした。
同じものを見ている。それは間違いない。
最後の表情の話も、こちらが言い終わる前に伝わった。
トーマが振り返るときの顔を、ちゃんと覚えている。
覚えていて、あの言い方をする。
「あの人、いつもあんな感じ?」
「アニメとか漫画の話になると、いつもそう」
「前から知ってるの?」
「中学、一緒。よくゲームしてた」
だから、話し方が違ったのか。
ナオは卵焼きを食べた。アイカは、朝のやり取りを思い出したのか、小さく笑う。
「私、原作は読んでないから。あそこが何ページとか言われても、分かんないし」
「何ページかは私も覚えてないよ」
巻数なら、たぶん分かる。
それは言わずに、お茶を飲んだ。
「……それで」
アイカが、箸を置いてこちらを見た。
「朝、言ってたお店って、どういうの?」
「え?」
「おすすめのお店、って言ってたから。服とか、ご飯とか」
今日、する予定だった話だ。
「どっちも。カフェも気になってるところあって」
ナオはスマホを出した。保存していた写真を開くと、アイカが少し身を寄せてくる。
「あ、ここ知ってる」
「行ったことある?」
「ない。いつも前、通るだけ」
「このケーキ、おいしそうじゃない?」
「うん。こっちも」
アイカの指が、隣の写真を示した。ナオがそれを開く。大きくなった写真の下に、値段も出た。
「……高いね」
「うん」
写真だけを見ているときは、二つ食べるつもりだった。
「一個ずつ頼んで、ちょっと分ける?」
アイカが言った。
ナオは顔を上げた。
「それ、いい。今度、帰りに行かない?」
「うん。行こ」
アイカがもう一度、さっきのケーキを指した。私、こっちにしようかな、と今から選び始める。
ナオは弁当箱を少し横にずらした。
スマホを二人の間へ置こうとしたところで、画面の上に通知が出る。
『初日どう?』
佐和からだった。
「友達?」
「うん、中学の。ちょっと返していい?」
「うん」
ナオは、短く返した。
『オタクってばれた』
『早くない?』
やっぱり、そう思うよね。
ナオは『ちょっと色々あって。またあとで』と送り、ケーキの写真を開き直した。
「私、こっちにしようかな」
スマホを二人の間へ置き、ナオは隣のケーキを指した。
*
帰りのホームルームが終わるころには、朝にもらったプリントの角が少し折れていた。
明日持ってくるものを確かめ、折れたところを伸ばしてファイルに挟む。
鞄の中へ入れていると、アイカが机の横に立った。
「じゃ、また明日」
「うん。また明日」
アイカが小さく手を振った。
廊下には、部活へ向かう人も、友達を待っている人もいた。
ナオも鞄を持ち上げようとして、キーホルダーが机の縁に引っかかっているのに気づいた。
「店主、最後は両手だったよな」
隣から声がした。
「……何の話?」
「朝の射的。クマのぬいぐるみ、戻すとこ」
モモチは帰る支度をしていた。教科書をしまう途中の姿勢で、話だけが一時間目の休み時間に戻っている。
「トーマが弾を詰めてる間に、重り足してただろ」
「うん」
「最初は片手で持ってるのに、最後、両手になるんだよ。しかも、いったん腰落としてから持ち上げてる」
「そんなことしてた?」
「顔だけは、ずっと笑ってる」
ナオは、鞄を机へ戻した。
覚えていない。
トーマが弾を詰めているところは覚えている。銃を持つ手も、少し俯いた顔も。
さっき外したくせに、まだ余裕がありそうな顔をしていて、そういうところも好きだな、とぼうっと眺めていた。
その後ろで店主が何をしていたかは、全然。
昨日、二回も見たのに。
「ちょっと待って」
スマホで配信アプリを開いた。昨夜見た回は、すぐに出てきた。
音を消し、再生位置を動かす。トーマが画面を横切ったところで、モモチが「もう少し前」と言った。
「ここ?」
「そこから」
トーマが銃へコルクを詰めている。
またそちらを見かけて、ナオは画面の奥へ目を移した。
店主が、ぬいぐるみを棚へ戻そうとしていた。
片手でつかむ。持ち上がらない。
店主は笑顔のまま、もう片方の手を添えた。
少し腰を落とし、クマを抱え上げる。棚に戻すまで、腕が細かく震えていた。
ナオは、声を漏らして笑った。
「何これ。重そう」
「自分で足した重りなのに」
もう一度、少し戻す。
今度は最初から店主を見た。片手で持てるつもりでいる、その一瞬がもうおかしい。
「このあとトーマに怒鳴るとき、息切れてるんだよ」
「あれ、このせい?」
「たぶん」
ナオは頷きかけて、隣を見た。
「面白かったんじゃん」
「そこは」
「最初から、そこも言えばいいのに」
「あの回、よかったよねって言うから」
「今も、その回の話してるけど」
モモチが少し考えた。
「でも、最後の顔はやっぱり狙いすぎだと思う」
そこへ戻るのか。
ナオは再生位置を後ろへ動かした。
「じゃあ、こっちも見て」
「見たよ」
「今、もう一回」
景品を押しつけて、トーマが背を向ける。子どもが何か言う。振り返る。その、一瞬。
ナオはモモチの顔を見た。
モモチは画面を見ていた。
「……どう?」
「どうって」
「今の顔」
「うん」
「いいでしょ」
「俺がいいって言うまで、帰れないやつ?」
「違うけど」
違う。そこまでではない。
ナオはもう一度戻そうとしていた指を止め、スマホを伏せた。
モモチが少し笑った。
笑われたことに言い返したかったけれど、伏せたスマホがあるので、言い返しにくかった。
廊下の声が減っていた。グラウンドの方から、短く笛が聞こえる。
ナオは鞄を肩に掛けた。
帰ったら、もう一度あの回を見よう。今度は、トーマの後ろもちゃんと見る。
だからといって、最後の顔が好きなことは変わらない。
モモチが立ち上がり、椅子を机へ戻した。
そこで、ナオは気づいた。
文句は聞いた。好きなところも、一つは聞いた。
でも、この人がいちばん好きな回は、まだ聞いていない。
「ねえ」
「ん?」
「じゃあ、いちばん好きなのは何の回?」
モモチは椅子の背に手を置いたまま、少し考えた。
「……一個に絞るの、難しくない?」
それは、少し分かる。
「じゃ、三つまで」
ナオは、また鞄を下ろした。




