第39話
午後になると、暖炉の火は熾火だけになった。
アルブレヒトとコンラートが退いた後、シグルーンはリーゼロッテを同じ書斎へ呼んだ。
机上の原本は既に封じられている。
代わりに、秘密合意と供述確認の写しが置かれていた。リーゼロッテは椅子へ座り、初めに父の署名を見た。次に兄の署名を見た。
どちらの名にも触れなかった。
「御父君は、アスターテ様の被害と脅迫をすべて知っておられました」
シグルーンが言った。
「その上で、正式な異議申立てを欠いたまま婚約登録を停止し、御自身がアスターテ様の親族であることも申告なさいませんでした」
リーゼロッテの右の親指が、左手の上へ重なった。
「停止後、御父君はオットフリート様と、こちらの合意を結ばれました。アーデルスドルフ側は婚約申請を取り下げ、アスターテ様へ接触せず、噂を流さない。その代わり、ローエンハイム側は性暴力と婚約強要を刑事担当へ送らず、供述と脅迫状を正式記録へ入れない。アスターテ様御本人は、この合意の当事者とされておりません」
シグルーンは一枚目を退け、コンラートの供述を示した。
「御兄君は、当時、御父君の命令を受けて記録処理へ加わりました。その後、記録管理の権限を得てから、御自身の判断で参照経路を変更なさいました。停止命令と秘密合意へ辿り着きにくくするためです」
「父上は、アスターテ様を助けたのでしょうか」
リーゼロッテが尋ねた。
「ギュンター様との婚姻は止めました」
シグルーンは答えた。
「同時に、被害と脅迫を正式な手続から外しました。どちらか一方だけを真実にすることはできません」
「兄上は?」
「初めは御父君の命令に従いました。後には、御自分の職と家の信用を守っていると理解した上で、記録を変えたと認めておられます」
リーゼロッテは二通の供述を見た。
彼女の指の下で、左手の皮膚が白くなっていた。
シグルーンは現在の婚約条件書を、その隣へ置いた。
「こちらには、十二年前の事件について異議を申し立てず、再調査せず、公表しないとございます。婚姻が成立すれば、アーデルスドルフ家は持参財産と継続収益、任官支援、ローエンハイム家との姻戚関係を得ます。同時に、過去を再び争うことを、あなたの婚姻上の義務へ変えようとしています」
「わたくしが嫁げば、父上と兄上のしたことも、争われなくなるのですね」
「事実そのものは消えません。ですが、両家は婚姻によって解決済みであると主張し、再調査をあなたの約束違反として扱うでしょう」
「アスターテ様を守るためではなく」
リーゼロッテは、その先を言わなかった。
窓から入る午後の光が、古い秘密合意と新しい婚約条件書の間へ落ちていた。二枚の紙は離れているのに、影だけが一つにつながっている。
「本日、御返事を求めることはいたしません」
シグルーンが言った。
「次に、婚約を拒んだ場合、御父君と御兄君、ローエンハイム家、そしてアスターテ様に、どのような危険と不利益が生じ得るかをお伝えします。それをすべて知った後で、御自身の御指示をください」
「この写しを、今夜お借りしてもよろしいですか」
「ええ。原本ではなく、法院書記が確認した写しをお渡しします」
リーゼロッテは、古い秘密合意の写しを左へ置いた。
現在の婚約条件書を右へ置く。
十二年前の紙には、アスターテの署名がなかった。
現在の紙には、リーゼロッテの署名があった。
右の親指が左手を押さえかけた。
けれど、触れる前に止まった。
窓の外では、冬を待つ庭へ早い夕暮れが下りていた。枝の影は窓硝子の上で静かに重なり、やがて、どちらの木から伸びたものか分からなくなった。
リーゼロッテは二枚の写しを重ねなかった。




