第38話
シグルーンが合意書の下方へ視線を移した。
「この控えを自宅へ保管した理由は?」
「オットフリートが約束を破った場合に備えた」
「正式な証拠にはせず、相手方を縛るためには残したのですね」
「そうだ」
「随分と器用な紙だな」
ヴァンフリートが言った。
「法院では存在せず、家の引き出しでは効力を持つ。父上の良心より働き者だ」
「ローエンハイム卿」
「事実だろ」
「嫌味にしなくても事実は残ります」
「嫌味にしないと、家族がすぐ善意で包む」
シグルーンは反論せず、コンラートへ向き直った。
「十二年前、この停止命令を登録簿へ反映なさったのは、コンラート様ですね」
「私だ」
コンラートは暖炉から離れた。
火に向けていた半身が明るさを失い、父と同じ机の前へ出る。
「当時、私は登録部門の実務官だった。父の命令を受け、処理した」
「停止根拠となる正式書面がないことは、御存じでしたか」
「知っていた」
「親族関係が申告されていないことも?」
「ああ」
「アスターテ様の聞取りと脅迫状を、正式な綴りへ入れなかったのは?」
「私だ」
「私が命じた」
アルブレヒトが言った。
シグルーンはアルブレヒトとコンラートを交互に見た。
「当時の命令と実行は分けて記録します。ですが、確認はそこで終わりません」
アエミリアが、婚約登録簿の古い写しと、後年に作られた索引の写しを机へ置いた。
紙の色は似ていたが、同じ停止を指す番号が違っている。古い写しから辿れば、途中で参照先が途切れ、後年の分類から探せば、停止命令を経ずに申請取下げへ着くよう整えられていた。
「参照番号が変更されたのは、コンラート様が記録管理の権限を得た後です」
シグルーンが言った。
「分類も改められています。受領物の返却記録も、主要証拠が綴りに存在しないことと矛盾しない形へ直されています」
「それも父上の命令か」
ヴァンフリートが尋ねた。
コンラートは父を見なかった。
「違う」
「では、誰の命令だ」
「誰の命令でもない」
「自然に紙が動いた?」
「私が動かした。私の意思で」
アルブレヒトの指が、机の縁から離れた。
「コンラート」
「父上には話していません」
「なぜだ」
「私が記録管理へ移った後、古い参照経路が残っていることに気づいた。このままでは、登録停止と取下げの日付が逆であることも、停止根拠が欠けていることも追える。だから変えた」
「アスターテを守るためか」
ヴァンフリートが尋ねた。
「初めは」
「後は?」
コンラートの向こうで、火が小さく鳴った。
「後には、父上のしたことと、私が加担したことを守っているだけだと分かっていた」
「それでも続けた」
「ああ」
「正直になったな。十二年遅いが、法院は日付にうるさくても受取りはする」
「私は、父上の命令に従っただけではない」
コンラートは言った。
「当時の処理は父上の指示だった。だが、後年の変更は私の判断だ。私の職を守った。家の信用も守った。父上の名も、私自身の名も」
「アスターテの名は、その中の何番目だ」
コンラートは答えなかった。
「ローエンハイム卿」
シグルーンが呼んだ。
「今の問いは、供述の範囲を越えています」
「答えがないことだけは、よく分かる」
ヴァンフリートは椅子から立ち上がった。
「最初は父上の命令だった。後から、お前自身の仕事になった。隠蔽は長く続けると、誰が雇い主だったか分からなくなるらしいな」
「ヴァンフリート」
アルブレヒトの声が低くなった。
「コンラートの当時の行為は、私が命じたものだ。責任は私にある」
「後年の変更まで父上が引き取るな」
コンラートが言った。
父が息子を見る。
「それは私がした」
「家族愛が豊かだな。罪を取り合う家なんて滅多にない。普通は財産だけだ」
「先生」
アエミリアが呼んだ。
「分かってる」
ヴァンフリートは、父と兄の間にある合意書を見た。
「父上が止めた。兄上が整えた。父上は刑事へ送らず、オットフリートと取引した。兄上はその跡を記録から遠ざけ、後には自分の判断で道まで付け替えた。一つの善意へ押し込んで、全員で温まる気はない」
「では、お前ならどうした」
アルブレヒトが尋ねた。
「十二年前のあの夜へ戻ったとして、翌日に登録を控えた娘を前に、正式な手続が整うまで待てたのか」
「待たない」
「ならば、同じだ」
「違う」
ヴァンフリートは言った。
「父上が止めたのは正しかった。止め方は正しくなかった。その二つを一緒にするな」
アルブレヒトは何も言わなかった。
「助けた結果を盾にして、隠した方法まで褒めさせるな。正しい結果は、途中で踏んだものを消してくれない」
「手続を守って、婚姻を止められなかったら」
「それを一人で決めるなと言ってる」
ヴァンフリートの声は静かだった。
「お前は親族だと名乗り、判断を他へ渡すべきだった。被害を伏せながら証拠を保全する方法を求めるべきだった。認められないなら、認めない奴の名を記録へ残すべきだった。失敗する権利まで全部自分で奪って、オットフリートと成功だけ作った。だから十二年後、誰も直せなかった」
暖炉の火が、そこで一段低くなった。
アルブレヒトの横顔から、赤い色が退いた。
法院書記が供述を読み返した。
アルブレヒトは、正式な異議申立てと親族関係の申告を欠いたまま登録を停止したこと、性暴力と脅迫の疑いを刑事担当へ通知せず、オットフリートと秘密の合意を結んだことを認めた。
コンラートは、父の命令を受けて主要証拠を正式綴りから外し、後年には自らの判断で参照番号、分類、返却記録を変更したことを認めた。
書記は一度も、二人の動機を事実の代わりに書かなかった。
「訂正はございますか」
「ない」
アルブレヒトが答えた。
「私もない」
コンラートが言った。
二人が供述確認へ署名する。
同じ家で同じ文字を学んだはずなのに、その筆跡は似ていなかった。父の名は太く、兄の名は細かった。どちらも、乾けば同じ黒になった。
秘密合意の控えは法院書記の手で薄紙へ包まれ、受領番号を与えられた。
十二年間、父の引き出しにしかなかった紙が、初めて法院へ通じる番号を持った。




