第37話
法院書記は箱を机へ移した。
アルブレヒト自身が鍵を開けると、中から薄い革封筒が現れた。封蝋は既に割られていたが、二つの印形が残っている。
一つはアルブレヒトの私印。
もう一つは、アーデルスドルフ家当主の印だった。
「オットフリート様との合意書ですか」
シグルーンが尋ねた。
「控えだ」
「原本は?」
「同じ文面を二通作った。もう一通はオットフリートが持ち帰った」
「正式な事件綴りには?」
「入れていない」
「受領番号も付していない?」
「いない」
「存在を記した索引は?」
「ない」
法院書記が紙の状態を記録し、白布の上で開いた。
合意書は一枚ではなかった。
初めの頁には、アーデルスドルフ側が婚約登録申請を取り下げることが記されていた。その後、ギュンターはアスターテへ接触せず、アーデルスドルフ家も当日の出来事について噂を流さないと続いている。
そこまでは、アスターテをギュンターから遠ざけるための約束に見えた。
二枚目で、言葉の向きが変わった。
ローエンハイム側は、アスターテから聞き取った内容と脅迫状を正式な事件綴りへ入れず、性暴力と婚約強要の疑いを刑事担当へ通知しない。既に知り得た事情を根拠として、新たな刑事申立てを行わない。
その文面の下に、二人の署名があった。
アスターテの名は、どこにもなかった。
「御本人の署名がございません」
アエミリアが言った。
「アスターテ様は、この合意書を御覧になったのですか」
シグルーンが尋ねた。
「見せていない」
「内容を説明なさいましたか」
「婚約は止まり、ギュンターは近づかないと、マルガレーテから伝えさせた」
「刑事担当へ通知しないことまで?」
「本人が望んだことだ」
「違う」
ヴァンフリートの声が落ちた。
アルブレヒトが彼を見る。
「アスターテは、自分を公にしないでくれと言った。父上に、オットフリートと取引してギュンターの責任まで隠してくれとは頼んでない」
「刑事へ送れば、あの娘の名は出る」
「だから保護の方法を探すべきだった。関係を申告して、お前は判断から外れ、別の担当へ渡すこともできた」
「そうすれば、あの娘は呼ばれる」
「呼ばれない手続を求めることも、供述の閲覧を制限することもできた。全部認められたとは言わない。だが、少なくとも加害者の兄貴と二人で、本人の沈黙を分け合う必要はなかった」
「間に合わなかった」
「止めた後にも日はあった」
「被害を受けた者が、その事件を忘れもしない内に貪られるように調べられることの残酷さを、お前はわからないのか」
ヴァンフリートは父を静かに見た。そして合意書の二枚目を指した。
「父上は婚約だけを止めて、後から正式な経路へ戻すこともできた。だが、戻らなかった。オットフリートが取下げに応じた途端、間違った道が便利になったからだ」
アルブレヒトの手が、机の縁へ置かれた。
「アスターテは婚姻を免れ、ギュンターも近づかなかった」
「ああ」
「噂も流されなかった」
「ああ。結果は正しかったな」
ヴァンフリートは父の目を見た。
「それで手続まで正しくなると思うな」
部屋の火が揺れた。
窓硝子へ映った炎が、庭の裸木の枝と重なり、赤い葉を一瞬だけ取り戻したように見えた。
「先生は、停止の理由となった証拠が、別の正式な綴りへ保全されているはずだと考えておられました」
アエミリアが言った。
「考えてたな」
「違いました」
「俺にも家柄の悪いところが残ってた。父上なら、法を曲げても曲げた跡くらいは法の中へ残すと思ってた」
「残せば、後からアスターテへ届く」
アルブレヒトが言った。
「残さなければ、後から父上へ届かない」
ヴァンフリートは答えた。
「どっちを守ったかは、十二年も経てば見分けがつく」
アルブレヒトは口を閉じた。




