第8話
法院へ出す紙を整えるため、アエミリアはそのままヴァンフリートの机まで同行した。
通りには夕方の風が吹き、軒から落ちた雫が石畳の上で淡く光っていた。
ヴァンフリートは歩きながら和解書を読み、角を曲がる頃にはもう畳んで外套へしまっていた。
「なぜ、あの日付を見せなかったのですか」
アエミリアが尋ねた。
「どの日付だ」
「和解書が夜会より一週間前に作られていたことです。あの場で示せば、エーリヒも言い逃れられなかったのではありませんか」
「言い逃れるさ。日付の間違いだ、念のため用意しただけだ、お前の浪費には前から困っていた。今なら好きな出口を選べる」
「ヘニングの控えがあります」
「それを見せたら、今度は文章を用意しただけで、破談を決めたわけじゃないと言う」
「では、どうするのです」
ヴァンフリートは古びた机へ着くと、外套から三枚の紙を出した。
支払書と、帳簿から取った控えと、和解書だった。
最初に支払書だけを手元へ残した。
「法院では、まず向こうに署名の話をさせる。お前が自分のために金を使ったと、好きなだけ完成させてもらう」
次に帳簿の控えを重ねた。
「それから、署名した奴と、金を受け取った奴を分ける」
最後に和解書を伏せたまま置いた。
「こいつはまだ出さない。エーリヒ本人に、いつ浪費を知って、いつ破談を決めたかを答えさせる。言い間違いだと泣かないよう、訂正する機会までくれてやる」
「その後で日付を?」
「そうだ」
「ずいぶん意地が悪いのですね」
「褒めても料金は安くならん」
「褒めておりません」
「なら見る目がある」
アエミリアは伏せられた和解書を見た。
「最初から出してはいけない理由は、それだけですか」
「人間は逃げ道があると話を変える。だから先に全部喋らせる」
ヴァンフリートは紙を一つにまとめた。
「お前も同じだ。聞かれたことだけ答えろ。署名したかと聞かれたら、したと言え。女を侮辱したかと聞かれたら、したと言え。余計な言い訳を足すな」
「不利になりませんか」
「本当のことは最初から不利だ。今さら隠したら、不利なうえに嘘つきになる。欲張るな」
法院の鐘が、夕刻を告げた。
ヴァンフリートは申立ての紙を持ち、通りの先にある石造りの建物へ歩き出した。
「行くぞ」
「はい」
「返事だけは立派だな。法院でもそのくらい短く喋れ」
アエミリアは彼の半歩後ろを歩いた。
法院の窓口で紙が受け取られ、格子の向こうへ消えていった。
それは音もなく、ほかの書類と同じように積まれた。
けれど破談以来、アエミリアが差し出した紙の中で、他人の作った悪女になることを求めてこないものは、これが初めてだった。




