第32話
法院書記が、六通の受領目録を作り始めた。
筆が進むにつれ、ギュンターが用意した物語は、彼の言葉から離れていった。
「あなたからオットフリート様へ送った返書はございますか」
シグルーンが尋ねた。
「ない」
「一通も?」
「俺から書簡を送ったことはない」
「二通目には、あなたが侍女の戻る刻限を気にしていたとございます」
「口頭で聞いた」
「土地管理への関与についても、口頭で求めたのですか」
「求めてない。兄から提示された」
「御返事は?」
「口頭だ」
「婚約確認書を得たとの報告も?」
「会って話した」
「その六回すべてで?」
「必要な時に会った。兄弟なんだから、おかしくないだろ」
法院書記が筆を止めた。
「本人はオットフリート・フォン・アーデルスドルフへ一度も書簡を送らず、すべての応答を口頭で行ったと申告した。そのように記録いたします」
「事実だ」
「今は申告です」
シグルーンが言った。
「比較できる書面が見つかれば、改めて確認します」
「見つからないさ」
ギュンターの声が、少しだけ速かった。
ヴァンフリートが彼を見た。
「お前は兄貴の言葉だけを十二年残した」
「それが何だ」
「自分を使われた弟にするには、ずいぶん都合のいい証拠だ」
「兄が書いた事実は変わらないだろう」
「変わらない」
「なら、何が不満だ」
「お前の言葉だけが、きれいに空気へ消えてる」
「書かなかったものは出せない」
「そうだな」
ヴァンフリートの声は静かだった。
「だから今は、お前が書かなかったと主張した事実だけが残る」
ギュンターが椅子から立ち上がった。
低い天井へ頭が近づき、窓から入る光が肩で切れた。
「俺は兄に使われた。あの書簡が証拠だ。兄は俺へやらせ、結果を知った後で婚約と沈黙を進めた。それを否定できるのか」
「否定してない」
ヴァンフリートも立った。
「兄貴の分は、その六通で足りる」
「だったら」
「お前の分が、まだ足りない」
二人のあいだには、六通の書簡があった。
紙は薄かった。
けれど、どちらも手を伸ばせなかった。
先に動いたのは法院書記だった。六通を一枚ずつ薄紙へ収め、受領番号をつけた紐で留める。封蝋の欠片も小袋へ分け、、同じ番号を振った。
ギュンターが手を伸ばした。
「待て」
法院書記の手が、書簡の上へ下りた。
「既に受領手続へ入っています」
「取る気じゃない」
「では、触れる必要もございません」
ギュンターの手は、白布の手前で止まった。
その指先だけが、何かを掴んだ形のまま残った。
「この後、誰に見せる」
彼は尋ねた。
「印形と筆跡を比較し、当時の婚約書類と日付を照合します」
シグルーンが答えた。
「必要であれば、関係者へ確認いたします」
「ローエンハイムの父親か」
「父上じゃない」
ヴァンフリートが言った。
「では誰だ」
「母上だ」
ギュンターの手が、ゆっくり下りた。
「母親に、何が分かる」
「分からないかもしれない」
ヴァンフリートは答えた。
「だから聞く」
「十二年前のことだぞ」
「十二年前の名も書いてない条項を見て、母上の手だけが震えた」
ヴァンフリートは六通目へ目を落とした。
「知らない人間の震え方じゃなかった」
「その六通を見せるのか」
「ああ」
「家族へ話を広げるな」
「話を家族の中へ閉じたのは、お前たちだ」
ヴァンフリートの目から、笑いが消えた。
「俺たちは、そこから出してる」
法院書記が六通を文書箱へ納めた。
紐を十字に掛け、赤い蝋を落とす。溶けた蝋は古い封印より鮮やかに光り、押された法院印の下で、六通は初めてギュンターの手を離れた。
箱の蓋には、受領数として六と記された。
兄の文字は、六通あった。
弟の文字は、一通もないという。
そして、そのどちらにも、婚約を拒めなかった者の言葉だけはなかった。
「次は、母上だ」
ヴァンフリートは言った。




