↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
77/195

第30話

 返された革袋がアーデルスドルフ邸へ着くのと、六通の書簡が法院の封へ移されるのと、どちらが早いか。


 翌朝の黒鹿亭では、まだ誰にも分からなかった。


「兄貴の愛情を送り返したんだ。次に届くのが祝辞とは限らない」


 ヴァンフリートが言った。


「脅す気か」


 ギュンターは階段を上りながら振り返った。


「予報だ。外れることもある。お前の兄貴が善人だった場合とかな」


「ローエンハイム卿」


 シグルーンが後ろから呼んだ。


「推測を事実のように仰らないでください」


「事実はお前が記録しろ。俺は嫌な可能性を担当する」


 黒鹿亭の二階は、下の酒場より静かだった。


 細い廊下には昨夜の煙が薄く残り、壁の内側を走る水の音が、どこか遠くの雨のように聞こえている。ギュンターの部屋は突き当たりにあり、扉を開けると、朝の光が旧市壁に遮られ、床の上で冷たく止まっていた。


 寝台の足元に、古い旅箱が置かれている。


 その前へ、法院書記が膝をついた。


 黒い袖覆いを肘までつけた、痩せた男だった。扉の位置から旅箱までの距離を歩幅で測り、錠と蝶番を確かめ、窓が内側から閉じられていることまで記録する。


「随分と丁寧だな」


 ギュンターが言った。


「丁寧でない書記が扱った証拠は、法廷で急に孤児になります」


「先生のお話と同じですね」


 アエミリアが言った。


 ギュンターが鍵を差し込むと、錠は一度、乾いた音を立てて拒んだ。二度目に力を込めると、内側で錆が崩れ、重い蓋が持ち上がった。


 外套を退けると、箱の底に薄い板が現れた。


 法家が証書を運ぶために作らせる、浅い文書入れだった。右の隅を押すと反対側が浮き、その下から灰色の油布に包まれた束が出てきた。


 法院書記は、まだ触れなかった。


「この状態で、昨夜から保管されていましたか」


「ああ」


「昨夜、開封なさいましたね」


 ギュンターの手が止まった。


 書記は油布の結び目を指した。


 青い紐は日に褪せていたが、結び直された箇所だけ、折り目が新しい。油布の上にも埃は残っているのに、紐の下だけが細く灰色を失っていた。


「確認しただけだ」


「何をです」


「六通あることを」


「読む必要がございましたか」


「自分が何を渡すのか、確かめるのは当然だろ」


「順序も変えましたか」


 ギュンターは答えなかった。


 法院書記が顔を上げた。


「日付順ではないように見えます」


「読みやすいように並べた」


「誰にとって?」


 ヴァンフリートが尋ねた。


「俺たちか。お前か。それとも十二年後の裁判官か」


「内容を理解しやすい順だ」


「親切だな。証拠が口を開く前に、お前の弁論だけは済んでる」


 シグルーンが油布を見た。


「包みを開く前の配列も記録してください。その後、日付順に改めます」


「俺が偽造したとでも?」


「申し上げておりません」


「疑ってる顔だ」


「顔は記録に残りません。昨夜あなたが開き、並べ替えた事実は残します」


 ギュンターは舌の先まで来ていた言葉を戻した。


 法院書記が油布を開いた。


 古い紙の匂いが、冷えた部屋へわずかに広がった。


 六通はいずれも開封されていた。

 二通には印形がほぼ完全に残り、残る四通も、砕けた封蝋を合わせれば同じ私印であることが分かる。紙質は二種類あったが、筆跡は同じだった。

 墨の濃淡も、同じ癖で右へ流れる文字も、十二年を経てなお一人の手を示していた。


「兄の字だ」


 ギュンターが言った。


「印もオットフリート様のものですね」


 シグルーンが尋ねた。


「ああ」


「比較が済むまでは、あなたの申告として扱います」


「分かってる」


「でしたら、その不満そうなお顔は不要ですわ」


「顔は記録に残らないんだろ」


「残らないものまで汚しておく必要はございません」


 ヴァンフリートの口元がわずかに動いた。


「お前、俺がいなくても立派に嫌な女になったな」


「安心なさいませ。あなたほどではございません」


 法院書記は、ギュンターが並べた順を受領目録へ写した。


 それから一通ずつ日付を確かめ、古いものから白布の上へ置き直す。


 六通の順序が変わるにつれ、ギュンターの指は旅箱の縁へ深くかかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。