第26話
ヴァンフリートが金を持って戻ったのは、翌日の夕暮れだった。
空は朝から曇っていたが、雨はまだ降らず、王都の屋根という屋根が息を止めているようだった。執務室へ入ってきた彼の外套には、法院通りの埃が白くついている。
手には二つの革袋があった。
大きい方を机へ置くと、鈍い音がした。小さい方は、音も立てずにその隣へ収まった。
「こちらが支度金ですか」
アエミリアが尋ねた。
「大きい方だ」
「保証金の方が少ないのですね」
「雇い主は金を守りたい。俺たちは人間を一年生かしたい。必要な額が違う」
シグルーンは封を改めた。
大きい袋には、ギュンターが黒鹿亭で受けていた程度の暮らしを、ほぼ一年保てる金が入っていた。衣服を整え、地方へ移り、最初の給金が出るまで宿と食事を失わずに済む。すべてを一度に渡すのではなく、必要な支払先へシグルーンが直接納め、残りは月ごとに管理することになっていた。
もう一方は、雇い主へ預ける保証金だった。
一年のうちにギュンターが職務上の損害を生じさせなければ、ヴァンフリートへ戻る。なにか重大な過失、例えば刑事手続などが始まり試用を停止されても、それだけを理由に没収されることはない。失われるとすれば、彼が新しい仕事の中で、再び他人の財産を損なった時だけだった。
「リーゼロッテ様から、支度金について条件がございます」
シグルーンが言った。
「妹は俺の金にも口を出すのか」
「あなたが妹君の婚約へ、御自分の金を持ち込まれたのです」
「家族は不便だな。離れていても財布の中まで入ってくる」
「給金が安定した後、ギュンターの暮らしを損なわない額で、少しずつ返済させます。証言の有無や内容とは無関係の債務としてです」
「俺は贈るつもりだった」
「リーゼロッテ様は、お兄様の屋根を沈黙の代金にはなさらない、と」
ヴァンフリートの指が、革袋の口で止まった。
「妙なところで頭が固い妹だ」
「どなたに似たのでしょう」
「父上じゃないことを祈る」
「それはお気の毒」
「利息は?」
「取りません」
「では、妹の気が済むように書け。返ってきた頃には、俺も屋根のある場所へ移ってるかもしれない」
「どちらへ?」
「墓なら蓋がついてる」
「先生」
アエミリアが咎めた。
シグルーンは保証書を彼の前へ置いた。
署名欄には、ローエンハイム家ではなく、ヴァンフリート個人が負担することが明記されている。父の財産も、リーゼロッテの持参財産も、この金とは関わらない。
ヴァンフリートは一度だけ読み、筆を取った。
「よろしいのですね」
アエミリアが尋ねた。
「机はある」
筆先が紙を擦った。
名を書き終えると、ヴァンフリートは小さな印を押した。赤い色が紙へ移り、しばらく濡れたまま光っていた。
アエミリアは革袋と署名を見比べた。
「一年分の暮らしと、雇い主への保証。これが、首輪を外す値段なのですね」
「違う」
ヴァンフリートは筆を置いた。
「首輪を外すのは本人だ。俺たちが払うのは、外した後で餌皿へ戻らずに済む値段だ」
「戻ることを選んだら?」
「その時は、あいつの首が好きで入ってた首輪だと分かる。金を出した馬鹿が一人増えて終わりだ」
「貴方は、それでもお支払いになるのですね」
「人間が本当に馬鹿かどうかは、逃げ道を与えてから見ないと分からない。逃げ道のない奴を臆病者と呼ぶのは、鍵を掛けた側の趣味だ」
外で、とうとう雨が降り始めた。
最初の雫が窓硝子へ当たり、細い尾を引いて流れた。二つ目がその跡を追い、やがて王都の屋根は、堪えていた息を一度に吐くような雨音に包まれた。
机の上で、三通の書面は重ならずに乾いていた。
どの紙にも、ギュンターが何を話すべきかは書かれていない。
何を話せば赦されるとも、誰を差し出せば職を得られるとも、書かれてはいなかった。
ただ、白く残された署名欄のそばに、酒場の外へ通じる細い道だけが用意されていた。
その道を歩くかどうかは、まだギュンターの首に残るものだった。




