第25話
昼を過ぎると、執務室の光は机の奥へ退き、紙の白さだけが取り残された。
アエミリアは内諾書の写しを作り終えると、別の紙を手前へ引いた。その上には、ヴァンフリートが負担する旅費や当座の生活費について、シグルーンの口述した条件が記されている。
「一つにまとめてはなりませんか」
アエミリアが尋ねた。
「何をだ」
「任用と支度金です。いずれもギュンターが王都を離れるための条件ですから」
「同じ箱へ入れれば、運ぶ奴が楽になるな。後で盗んだ奴も楽になる」
「分けます」
シグルーンが言った。
「雇用は、雇い主とギュンターとの関係です。ローエンハイム卿が職を与えるのではございません」
「俺には人を雇える土地も屋根もない。あるのは机と、不愉快なほど正しい意見だけだ」
「後者については異議がございます」
「お前の異議は受理しない」
シグルーンはアエミリアの紙へ指を置いた。
「支度金は、ローエンハイム卿個人から出ます。紹介先へ行くかどうかとは結びつきますが、十二年前の件について何を話すかとは結びつけません。何も話さなくても、面談に必要な衣服と旅費は支払います」
「面談に落ちた場合は?」
「王都へ戻る旅費も残します。その後の生活費は、最初から定めた期間について変えません」
「証言が虚偽だった場合もですか」
アエミリアが尋ねた。
「虚偽の責任は、別に問われます。食事を取り上げて真実を買うことはいたしません」
「食わせて嘘をつかれたら、ただの慈善事業だな」
ヴァンフリートが言った。
「不満ですか」
「まさか。俺は善人じゃないから、善人の失敗を見るのは好きだ」
「先生も支払う側です」
「だから特等席だ」
アエミリアは新しい一文を書き加えた。
証言の有無、その内容、証拠として採用されるか否かによって、支給額を増減しない。
その文字が乾くまで待ち、彼女は次の紙を取った。
「これは、関係書面についてのものですね」
「まだ、書面があるとは分かっておりません」
シグルーンが言った。
「『保有する場合』としてください」
「お前たちに使える証拠はない、と言った」
ヴァンフリートは窓枠へ肩を預けた。
「ないとは言わなかった。酔っ払いのくせに、逃げ道だけは素面だった」
「だからこそ、こちらで存在を決めつけてはなりません」
「紙があると書けば、ないと言う。ないと書けば、後で出す。人間は空欄を見ると嘘を埋めたくなるからな」
「先生は、御自分を基準になさらないでください」
アエミリアは書き始めた。
十二年前の婚約登録と取下げ、その前後の交渉に関する書面を保有している場合、提出するか否かは本人が決める。ただし、提出すると決めたなら、自分に都合のよいものだけを選ぶことは許されない。
「写しでもよろしいのでしょうか」
「原本を確認します」
シグルーンが答えた。
「文字だけが証拠ではございません。封がいつ破られたか、紙が同じ束から切られたものか、書き足された跡がないか。それらは写しへ移りません」
「保管していた場所と、その間に誰が触れたかも必要ですね」
「ええ。本人の手元を離れたことがあれば、その経緯も」
「お前たちは紙一枚に家系を作る気か」
「証拠の来歴です」
「紙は人間より正直だと思ってたが、親まで調べられるとは気の毒だな」
アエミリアの筆が、紙の上を静かに進んだ。
途中で一度止まり、彼女は顔を上げた。
「永久に職を保障するとは書きません」
「三か月の試用ですものね」
「その後の任用は、仕事の内容によって雇い主が決めます。私たちではございません」
アエミリアは頷き、書き終えた紙を乾かした。
机の上には、三つの書面が離れて置かれていた。
雇用の紙には、証言という文字がなかった。
支度金の紙には、誰を罪に問うべきかが書かれていない。
関係書面の提出について定めた紙には、金額が一つもなかった。
「供述調書は?」
アエミリアが尋ねた。
「まだ作りません」
シグルーンが言った。
「本人が話すと決めてから、別の日に、別の書面として作成します」
「まだ口を開いてない男の供述を先に用意したら、父上より仕事が早い。悪い意味でな」
ヴァンフリートは三枚を眺めた。
「面倒だが、これでいい」
「ずいぶん素直ですわね」
「俺だって紙に負ける日はある」
「本日は、何枚目です?」
「数えるな。人生が寂しくなる」




