第18話
アエミリアは、取下げと書いた日付より左へ、登録停止の日を書き入れた。
一本の線の上で、二つの出来事が正しい順序へ戻った。
「写し間違いの可能性は?」
ヴァンフリートが尋ねた。
「登録簿だけでは、まだございます」
シグルーンは記録官へ顔を向けた。
「この停止命令を受けた日の記録を、拝見できますか」
「日々の受理簿でございますか」
「はい。停止の記載が後日書き足されたものか、その日に受け付けられたものかを確かめたいのです」
記録官は許可状を読み返した。
「同じ申請番号に関する範囲であれば、お出しできます」
「お願いします」
男が奥へ去ると、ヴァンフリートは薄い綴りを見た。
「父上は、何を理由に止めた」
「まだ分かりません」
「ここに書いてないのか」
「理由欄には、別紙によるとだけございます」
「その別紙は」
シグルーンは綴りの番号を最初から確かめた。
申請書から取下げの申出まで、頁を一枚ずつ繰る。番号に飛びはない。だが、停止の理由に当たる紙はなかった。
「見当たりません」
「ない?」
「今、この綴りには入っていない、と申し上げています」
「同じだろ」
「違いますわ。初めから提出されなかったのか、別に保管されたのか、後で失われたのか。それを確かめずに、存在しなかったとは言えません」
「紙一枚に、ずいぶん広い逃げ道を作るな」
「人を追い込むために証拠を狭く読む方が、よほど危険です」
ヴァンフリートは口元を歪めた。
「お前を連れてきたのは正解だったな」
「あなたに連れてこられた覚えはございません」
「細かいことは気にするな」
記録官が、細長い帳面を持って戻ってきた。
停止の日に受け付けられた命令が、時刻の順に記されている。アルブレヒトの停止命令は、そこにもあった。番号も法院印も登録簿と同じである。
取下げを受けた日の帳面は別の頁にあり、その日付は後だった。
「後から日付だけ書き足したものではなさそうですね」
アエミリアが言った。
「ええ。少なくとも法院は、取下げを受けるより前に、登録処理を停止しています」
シグルーンは記録官へ尋ねた。
「停止の根拠となった異議の申立ては、どちらにございますか」
「こちらの綴りに入るはずですが」
「入っておりません」
記録官は綴りを受け取り、今度は自分で確かめた。
表紙の裏にある収録書面の控えへ指を滑らせる。そこにも異議の申立ては記されていなかった。
「別の紛争記録へ移された可能性は?」
「その場合には、移した先の番号を残します。ですが、この欄には何も」
「では、正式な異議の申立てがあったことは、この記録から確認できない?」
「はい」
記録官は慎重に答えた。
「少なくとも、ここからは」
「停止命令だけはある。止めろと言った父上の名もある。だが、誰が何に異議を言ったかはない」
ヴァンフリートは笑わなかった。
「立派な手続だ。扉だけ閉めて、鍵をかけた人間を帰したらしい」
「アルブレヒト様御自身の判断で、緊急に留められた可能性はございます」
シグルーンが言った。
「その場合でも、後から理由を補うのでは?」
アエミリアが尋ねた。
「通常は。その理由を検討した記録も、処理を再開するか終えるかを決めた記録も、同じ手続へ残ります」
「残ってない」
「今のところは」
「お前の『今のところ』は便利だな」
「あなたの『ない』より正確ですわ」
シグルーンはさらに、表紙裏の控えへ目を落とした。
「当時、処理を止めた担当者が、申請者や相手方と親族または姻戚に当たるかを記す書面はございますか」
記録官の指が止まった。
「関係の申告ですね」
「はい」
男は綴りをめくった。
答えは、すぐに出た。
「ございません」
「関係がなかったという申告も?」
「見当たりません」
「父上が誰かの親族だった証拠か?」
ヴァンフリートが聞くと、シグルーンは首を振った。
「何も申告されていない証拠です。親族だったとも、違ったとも、まだ言えません」
「書かなければ、どちらにもならない?」
「記録の上では、どちらも確認できません」
「人間は便利だな。紙に書かなければ家族まで消せる」
「消えたのではございません。確かめられないだけです」
記録官が申し訳なさそうに言った。
「十二年前の記録でございます。保管替えの際に、別紙だけが――」
「紙が古くなると、何でも紙の責任になるんだな」
ヴァンフリートは男を見た。
「人間は十二年黙ってても、年月が経っただけで済む。紙は一枚いなくなると、散逸したと言われる」
「先生」
アエミリアが低く呼んだ。
「記録官を責めても、見当たらない書面は出てまいりません」
シグルーンも言った。
「責めてない。紙に足があるか聞いてる」
「ございません」
記録官は真面目に答えた。
「なら、誰かが動かした」
「それも、まだ分かりませんわ」
「初めから出してないなら、動かす必要もないか」
「ええ。ですから、なくなったとも言えません」
ヴァンフリートは背もたれへ体を戻した。
「分かった。ないものの種類が多すぎる」
シグルーンは登録簿の必要な部分について、閲覧証明の作成を記録官へ求めた。
停止命令の日。
取下げが受理された日。
その順序。
停止の根拠となる異議の申立てが、現在の綴りから確認できないこと。
担当者と当事者との関係を示す申告も、同じく確認できないこと。
ただし、それらが初めから存在しなかったとは認定していないこと。
記録官は一文ずつ読み返し、最後に法院印を押した。
乾ききった紙の上で、赤い印だけが新しい傷のように鮮やかだった。
シグルーンは証明書を受け取ると、ヴァンフリートへは渡さず、アエミリアの書いた時系列と一緒に自分の書類入れへ収めた。
「父上に聞きに行く」
ヴァンフリートが立ち上がった。
「行きません」
「お前は来なくていい」
「あなたもです」
「俺の父だぞ」
「私の依頼人ではございません」
「父上もお前を依頼する気はないだろう。意見が合ったな」
「先に、リーゼロッテ様へ御説明します」
「説明してるあいだに、父上が次の沈黙を考える」
「それでも、依頼人が先です」
「順番を守って、十二年こうなったんだぞ」
「今見つけたのも、順番ですわ」
ヴァンフリートは言葉を止めた。
シグルーンは彼の横を通り過ぎた。
「停止と取下げの順番を、御自分に都合のよい時だけ大切になさらないでください」
「嫌な女だな」
「存じております」
アエミリアは白紙を折り、二人の後へ続いた。
記録庫の扉が閉じる時、朝から差していた細い光が、革表紙の上を静かに滑った。
登録簿はまた暗がりへ戻った。
けれど、一度正しい場所へ置かれた二つの日付は、もう眠ったふりをすることができなかった。




