第17話
運ばれてきた婚約登録簿は、両腕で抱えるほど大きかった。
褐色の革表紙には無数の浅い傷が走り、背には十二年前の年号が金で押されている。金箔はところどころ剝がれ、過ぎた年月が小さな虫に食われたように欠けていた。
記録官が机へ置くと、革と紙の重みが低い音を立てた。
その横へ、薄い綴りが一冊添えられた。
「ギュンター・フォン・アーデルスドルフ様より出された婚約登録申請と、それに関する記録でございます」
シグルーンは許可状に記された整理番号と、綴りの表紙にある番号を照合した。
アエミリアは向かいへ座り、白紙の中央に一本の線を引いた。線の左端には申請、右端には最終処理とだけ書く。
ヴァンフリートは離れた椅子を引き寄せた。
「近いですわ」
「俺の目が悪い」
「都合のよい時だけ?」
「都合が悪い時に悪くなっても役に立たないだろ。いやそうでもないか」
「椅子を戻してください」
彼は椅子を半歩だけ引いた。
「戻した」
「元の場所へ」
「細かい女は婚期を逃すぞ」
「あなたの妹君の件を調べている時に、その言葉をお使いになる神経だけは感心いたします」
「褒めるな。なにもでない」
シグルーンは返事をせず、登録簿を開いた。
厚い頁が、冬を越した鳥の翼のような音を立てた。
十二年前の春に受け付けられた婚約が、日付の順に並んでいる。家名と当事者の名、申請を受けた日、登録を終えた日。祝福も後悔も書かれていない。ただ人と人とを結んだ事実だけが、同じ幅の罫線へ収められていた。
目当ての頁には、ギュンターの名があった。
その隣には細い白紙が伏せられ、両端を小さな法院印で留めてある。
今の閲覧で認められたのは、リーゼロッテの婚約条件に持ち込まれた過去の手続を確かめるところまでだった。十二年前の相手方の身元は、まだその範囲に含まれていない。
白紙の下に一人の名がある。
名を隠された者は、かえってそこにいることだけを強く残していた。
「名前だけは慎み深いんだな」
ヴァンフリートが言った。
「口を挟まないというお約束では?」
「感想だ」
「求めておりません」
シグルーンはギュンターの名から横へ視線を移した。
最終処理の欄には、申請者側の取下げにより登録せず、と書かれていた。
「取下げは、記録されていますね」
アエミリアが言った。
「コンラート様のお話と一致します」
「口の話と紙が一つ合った。今日は祝いだな」
「まだ最初の一行ですわ」
「家族相手なら一行でも上出来だ」
シグルーンは薄い綴りを開いた。
最初に申請書があり、次に両家から提出された身分の証明、その後へ登録料の領収が続いている。紙の色はそれぞれに違いながら、上の角に振られた番号だけが一つの手続としてつないでいた。
最後に、取下げの申出が綴じられていた。
ギュンターの名があり、本人の印もある。受理した日付は登録簿と一致していた。
「取下げそのものは、本物と見てよろしいでしょう」
シグルーンが言った。
「少なくとも、この書面がギュンター様の名で提出され、法院が受け取ったことは確認できます」
「本人が自分で持ってきたかは?」
ヴァンフリートが尋ねた。
「質問なさらないお約束でしたね」
「お前に聞いてる」
「提出者については、別の受取控えがなければ分かりません。今、断定できるのは申出と印と受理日です」
「なら、本人が望んだ取下げだとも、まだ決めない?」
「ええ」
「相変わらず面倒な女だな」
「証拠が簡単すぎるとお喜びになる代言人よりは、長生きできそうですわ」
アエミリアは取下げの日を、線の右へ書き込んだ。
その時、開いた登録簿の欄外に、別の筆跡で記された数行が目に入った。
本文より細く、紙の端へ追いやられている。
――登録の処理を、別命あるまで留める。
短い文の下に、アルブレヒト・フォン・ローエンハイムの名と法院印があった。
さらに小さな字で、登録簿へ移した者の名が添えられている。
コンラート・フォン・ローエンハイム。
ヴァンフリートは椅子から身を乗り出した。
「触れないでください」
「触ってない」
「息がかかります」
「父上の字は息じゃ消えない」
彼が見ていたのは署名ではなかった。
その横の日付だった。
アエミリアも気づいた。
取下げ受理の日を書いたばかりの筆が、紙の上で止まった。
「シグルーン様」
「ええ」
シグルーンは登録簿と取下げの申出を並べた。
最初に取下げの日を見る。
次に、アルブレヒトが登録処理を止めた日を見る。
もう一度、二つを確かめた。
数字は古びても、前後までは褪せていなかった。
「取下げが先じゃない」
ヴァンフリートが言った。
「父が止めた方が先だ」
記録庫のどこかで、紙をめくる音がした。
それは遠くの雨に似て、すぐに静かになった。




