第2話
ローエンハイム家の屋敷は、法院通りから馬車で半刻ほど離れた古い街区にあった。
大きさを誇る家ではない。だが石壁は厚く、門柱には何代もの雨雪が染みていた。紋章のグリフォンは長年の風に嘴を削られながら、それでも翼を畳もうとはしていなかった。
馬車を降りたヴァンフリートは、門の前で屋敷を見上げた。
窓の数も、壁を這う蔦も、右の雨樋についた浅いへこみも変わっていない。
変わらないものは、人を安心させる顔をして、以前と同じ役へ戻ることを求める。
十年に届こうとする歳月のあいだ、彼はその要求に応じなかった。
アエミリアは隣に立ったまま、何も尋ねなかった。
正面扉が開いた。
玄関に現れた老従僕は、ヴァンフリートの顔を見ると息を止めた。礼をするまでのわずかな間に、驚きと安堵と、それを見せてはならないという長年の習慣が通り過ぎた。
「お帰りなさいませ、ヴァンフリート様」
「帰ったわけじゃない。この馬車に運ばれてきた」
「奥様がお待ちでございます」
「待ってないと手紙には書いてあった」
「はい」
「この家の使用人は、主人の矛盾まで礼儀正しく運ぶんだな」
老従僕は訂正しなかった。
帰ったのではないと言い張る者の外套を、帰宅した者と同じ手つきで預かった。
「これは俺の助手だ。アエミリア、フォン・ゾンダーブルク」
アエミリアが静かに礼をした。
「本日はお許しもなく伺い、申し訳ございません」
「ゾンダーブルク侯爵家の」
「はい」
老従僕の眉がわずかに上がった。
侯爵家の名に驚いたのか、ヴァンフリートが誰かを伴って門をくぐったことに驚いたのかは分からなかった。
廊下を進むあいだ、古い柱時計が一度鳴った。
幼い頃、リーゼロッテはあの音を怖がった。鳴る直前になるとヴァンフリートの袖をつかみ、鳴り終えると、自分は初めから怖くなかったという顔をした。
今、その時計は変わらず時を告げたが、袖をつかむ小さな手はなかった。
応接の間には、白い花が飾られていた。
卓上の銀器は磨かれ、祝いの酒が用意されている。菓子にはまだ刃が入っていなかった。
祝いのために整えられた部屋だけが、ここで祝いが行われると信じているようだった。
アルブレヒトは暖炉の前に立っていた。火は入っていたが、椅子へ腰を下ろしてはいない。コンラートは卓の端に片手をつき、伏せられた書類入れを見下ろしていた。
マルガレーテは窓際に座っていた。
扉が開いた時、彼女は立ち上がりかけた。
だが、すぐに思い直したように手を膝へ戻した。
驚いたのではなかった。
来ると知っていた者が、実際に来た時の動きだった。
「来てくれたのね」
「手紙には来いと書いてなかったがな」
「書いてはいません」
「俺が素直に従う息子なら、今ごろ法院通りに机を置いてないぞ」
「あなたが、命じられた通りになさったことがありましたか」
「ない」
「でしょうね」
マルガレーテは笑わなかった。
けれど膝の上で重ねていた指から、ほんの少し力が抜けた。
ヴァンフリートはそれを見た。
母も、見られたことに気づいた。
二人とも何も言わなかった。
部屋の中央には、リーゼロッテがいた。
淡い青の衣装に、母から譲られた真珠を着けている。子供の頃の丸みは、もう頬に残っていなかった。それでもヴァンフリートには、菓子を隠した時だけ妙に姿勢を正した少女の面影が見えた。
「兄様」
リーゼロッテは微笑んだ。
笑みが浮かんだのではない。
客を迎える時にふさわしい場所へ、唇をきちんと置いたのである。
「来てくださったのですね」
「母上の手紙が脅迫状みたいに短かった。差出人の無事を確かめに来た」
「わたくしではなく、母上を?」
「お前は手紙を書いてない。証拠のある方から確かめる」
「相変わらずだな」
アルブレヒトが言った。
「父上も。娘の婚約の日に、喪主みたいな顔をしてる」
「言葉を慎め」
「慎んでこれだ。褒めてくれ」
ヴァンフリートの背後へ、四人の視線が集まった。
彼は振り返りもしなかった。
「これはアエミリア、俺の助手だ。家へ入れたのは俺だから、俺への文句があるならこいつに言え」
アエミリアは一歩進み、静かに礼をした。
「初めてお目にかかります。本日は大切なお席へ突然伺いましたこと、お詫び申し上げます」
マルガレーテが今度こそ立ち上がった。
「あなたが、アエミリア様」
その声には、名を知っていた驚きよりも、彼女がここにいることへの安堵があった。
ヴァンフリートが一人で来なかったからか。
家族の外から来た者が、この部屋の沈黙を見ているからか。
アエミリアには、まだ分からなかった。
「遠いところを、ありがとうございます」
「母上。礼を言うには早い。俺が勝手に連れてきた」
「あなたには聞いていません」
「ようやく、この家らしくなったな」
リーゼロッテがアエミリアへ向き直った。
「リーゼロッテ・フォン・ローエンハイムと申します。兄様が、いつもお世話になっております」
「こちらこそ、先生から多くを学ばせていただいております」
「教える方に我慢がなくて、大変でしょう」
「教わる方にもございますので、釣り合いは取れております」
「世話をしてるのは俺だ」
「先生は少しお静かに」
「初対面で命令するな。こいつらが喜ぶだろうが」
リーゼロッテの目元が、ごくわずかに緩んだ。
その小さな変化を見たマルガレーテは、すぐに目を伏せた。
娘が笑ったことを喜んだというより、自分たちが笑わせてやれなかった時間を数えたように見えた。
アルブレヒトが空いている椅子を示した。
「座れ。話をする」
「立ったままでも聞こえる」
「ヴァンフリート」
「分かった。家へ帰ると、椅子に座るだけで命令になるらしい」




