第1話
妹の婚約は、祝辞の一語もない手紙で知らされた。
昼を少し過ぎた頃、王都法院通りへローエンハイム家の使いが来た。
雲は低かった。雨にはならないまま、光だけが一日中濡れているような空だった。往来を抜ける風が、机の端に重ねられた訴状の角を持ち上げては落とした。アエミリアは片手でそれを押さえながら、依頼人から預かった領収証の日付を写していた。
使いの男は、通りに置かれた机の前で足を止めた。長くローエンハイム家に仕えている者だった。ヴァンフリートが法学院の寄宿舎へ入る以前から、その男の髪には白いものがあった。今では黒いものを数える方が早い。
「奥様からでございます」
差し出された封書には、ローエンハイム家の紋章ではなく、母マルガレーテ個人の封印が押されていた。
ヴァンフリートは受け取ったが、すぐには開かなかった。
「父上が死んだか」
「いいえ」
「兄上が捕まった」
「いいえ」
「なら、母上が俺へ手紙を書く理由がないな」
使いは答えなかった。
長年仕えてきた者は、主人の家の沈黙にも給金をもらっている。
ヴァンフリートが封を切ると、中には一枚だけ入っていた。
――ヴァンフリートへ。
リーゼロッテが、ルートヴィヒ・フォン・アーデルスドルフ様と婚約することになりました。
今夕、両家でこれを披露いたします。
母より。
それだけだった。
来いとも、祝えとも書いていない。
ヴァンフリートは裏返した。紙の白さがあるだけだった。
「母上は、俺に来いと言ったか」
「いいえ」
「来るなとは」
「それも伺っておりません」
「わざわざ人を寄越して、何も頼まない。家族ってのは金のかかる暗号だな」
「お返事は不要とのことでございます」
「返事をさせたくないのか、返事を待つ必要がないのか、ずいぶん親切な伝言だ」
使いの男は、やはり答えなかった。
「今夕、馬車を回すようには仰せつかっております」
「来いとは書いてないのに?」
「はい」
「母上も腕を上げたな。命令を書かずに馬車だけ寄越す」
使いは深く一礼し、来た時と同じように静かに去った。
アエミリアは領収証の上へ筆を置いた。手紙を見せてほしいとは言わなかった。
ヴァンフリートの方から紙を渡した。
彼女は二度読んだ。一度目は文面を、二度目は書かれていないものを読むように。
「おめでとうございますと、申し上げるところでしょうか」
「好きにしろ。祝いなら外すし、葬式なら少し早い」
「お母様は、婚約が決まったとしか書いておられません」
「読めば分かることを読み上げるな。給金を減らすぞ」
「先生は、まだ一度も給金を決めておられません」
「なら減らしても損はないな」
アエミリアは手紙を返した。
「母上は、従僕の孫が生まれた時でさえ、母子が無事か、何を贈るか、洗礼はいつかと書く人だった」
「今回は、ずいぶん短いお手紙ですね」
「めでたい話は書くことが多い。書けない話は短くなるんだろうさ」
ヴァンフリートは手紙を折り直した。
最初からついていた折り目とは、わずかにずれた。
「行かれるのですね」
「馬車まで用意されてる。使わないと母上が拗ねるだろ」
「お母様は、先生がお戻りになると分かっておられたのでしょうか」
「母上は、俺が人の言うことを聞かないことを良く知ってる」
「ですから、来いと書かなかったのですか」
「命令されたら行かない息子を動かすには、それが一番早い」
「さすが、よく分かっていらっしゃいますね」
「失敗作を長く育てると、扱い方くらいは覚えるもんだ」
アエミリアは机の上の領収証を揃えた。
「わたしは、残っていた方がよろしいでしょうか」
「お前も来い」
「ご家族のお話では」
「だからだ。家族だけで話すと、誰が何を言わなかったかまで、昔から同じだったことにされる」
「初対面の者が同席すれば、かえって本当のことを仰らないかもしれません」
「家族の前でも言ってないなら、悪くはならない」
「わたしを証人になさるおつもりですか」
「まだ事件じゃない」
「先生がそう仰る時は、たいてい、事件でないことを願っておられる時です」
ヴァンフリートは返事をしなかった。
母の手紙を外套の内側へしまった。




