第8話
アエミリアが後発の婚約届を渡した。
オスカーとセシーリエの署名の下に、未解消の先行婚約はないとする申告がある。
「お前は十一日、これに署名した」
「はい」
「その時、破談の手紙がベアトリクスへ届いたかは確認していない」
「発送を命じていたからです」
「まだその死体を起こすのか。もう座らせる椅子がないぞ」
審理室の端で、誰かが咳をこらえた。
「九日にセシーリエへは解消済みと説明し、十一日に法院へは未解消の先行婚約はないと申告した。だが手紙がお前の屋敷を出たのは十三日。ベアトリクスへ届いたのは十四日だ」
ヴァンフリートは届出だけを、オスカーの前へ置いた。
「十一日のお前は、何を根拠に『ない』と書いた」
「私の解消意思です」
「また自分の頭の中か」
「婚約を続ける意思が双方になければ、関係は維持できません」
「ベアトリクスにはあった」
「一方が望まなければ婚姻には至りません」
「婚姻に至らないことと、破談が済んでることは別だ」
ヴァンフリートは言葉を切った。
「お前には婚約をやめる自由がある。だが、いつ相手へ知らせたかを作り替える自由はない」
オスカーは黙った。
「どうして、そこまで急いだのですか」
アエミリアが尋ねた。
裁定官が彼女を見たが、ヴァンフリートは止めなかった。
「ベアトリクス様へ手紙が届くのを待っても、数日だったはずです。なぜ、十一日に届けなければならなかったのですか」
「両家の日程が決まっていたからです」
「六日に、アウエンブルク家から官職推薦を受けたことと関係がありますか」
「ありません」
答えが早かった。
アエミリアは推薦の控えを出した。
ヴァンフリートが受け取り、裁定官へ渡した。
「動機だけで嘘は証明できない。だから最後まで取っておいた。だが、こいつがなぜ五日も待てなかったかはよく分かる」
裁定官は控えを読んだ。
ブラウリート家の後押しで進めていた官職推薦は、アウエンブルク家から別の推薦が届いた六日に保留となっていた。
「ベアトリクスとの婚約届を遅らせている間、お前は両家の条件を見比べられた」
「そのような意図はありません」
「じゃあ偶然だな。推薦を得た二日後に破談を書き、翌日には次の女へ解消済みと話し、その二日後に婚約を届けた。偶然にしちゃ働き者だ」
「官職と婚約は別です」
「そうだ。別だから、動機にしかならん」
ヴァンフリートはあっさり認めた。
「お前が三つの説明をした証拠は、もう別にある」
彼はベアトリクスを見た。
「こいつへは、八日に破談したことにした」
次にセシーリエを見た。
「お前へは、九日の時点ですでに解消済みだと話した」
最後に、裁定官の前の婚約届を指した。
「法院へは十一日、未解消の先行婚約はないと申告した」
ヴァンフリートはオスカーへ向き直った。
「だが、その十一日にも破談の手紙はお前の屋敷にあった。三人へ違うことを言ったんじゃない。三人へ、同じ嘘を別の形で配ったんだ」
「私は破談する意思を――」
「知ってる。お前はもうベアトリクスと結婚したくなかった。それは最初から誰も争ってない」
ヴァンフリートの声は低かった。
「問題は、結婚したくなくなった男が、婚約を終わらせる前に次の婚約を届け、前の女には先に終わった手紙を送り、後の女には全部済んだと信じさせ、法院には何も残ってないと署名したことだ」
審理室は静かだった。
窓から入った風が、書記官の紙の端をわずかに鳴らした。
裁定官がオスカーへ尋ねた。
「なお、十一日時点で先行婚約は解消済みだったと主張しますか」
オスカーは、すぐには答えなかった。
「……解消の意思は明確でした」
「質問への答えではありません」
裁定官の声に、初めて硬さが入った。
「ベアトリクスへ通知が届いていないと知らず、到達を確認せず、未解消の婚約はないと申告した。それでも申告は正しかったと?」
「手続に認識の違いがあったことは認めます」
「認識の違い?」
ヴァンフリートが笑った。
「二人の婚約者を作っておいて、最後は言葉の行き違いか。次は子供が二人生まれても数え方の違いで済ませそうだな」
「代言人」
裁定官が止めた。
「もう結構です」
ヴァンフリートは座った。




