第8話
その日の午後、二人はリッテンドルフ邸を訪ねた。
門にはまだ喪章が下がっていた。黒布は風に煽られるたび、石壁へ弱く触れた。屋敷の中も薄暗く、窓辺には枯れかけた白い花が置かれている。
ゲオルクは書斎で二人を待った。
顔には疲れがあり、喪服も崩れてはいなかった。机の脇には、娘が使っていたらしい小さな書棚がそのまま残されている。彼が悲しんでいないとは言えなかった。
悲しみは、人を善良にはしない。
「娘の手紙を受け取ったそうですね」
ゲオルクが言った。
「死者の言葉だけで、家を荒らされては困る」
「安心しろ。死人の言葉だけなら、俺も昼寝を選ぶ」
「コーデリアは精神を病んでいました。家の金を勝手に動かし、自分の判断だけで処理したのです」
「知ってる」
ゲオルクの目が細くなった。
「フェリクスの資金を使うことへ、娘も同意した」
「それも知ってる」
「受領書を作ったのも、家の財産を無断で売ったのも娘です」
「知ってると言ってるだろ。そこは全部あいつの罪だ」
ゲオルクは黙った。
自分に向けられるはずの追及が、思いがけず娘へ返されたために、次の言葉を失ったようだった。
「では、何をしに来たのです」
「お前の罪を、娘の罪と混ぜないためだ」
アエミリアが、コーデリアの死亡を記した紙を机へ置いた。
その横へ、商会から金を動かしたゲオルクの指示書を並べる。
死亡日の方が先だった。
「この出金は、コーデリア様が亡くなった後です」
アエミリアの声は静かだった。
「署名したのは、ゲオルク子爵。あなたです」
ゲオルクの顔から、わずかに血の気が引いた。
「娘が乱した家計を整える必要があった」
「賭場で?」
ヴァンフリートは、貸金屋の精算控えを重ねた。
「お前の家じゃ、帳簿は札を引いて直すのか。先進的だな。たいていの家は足し算で済ませる」
「貴族同士の付き合いには、外からは分からない事情がある。賭けの場も社交の一部です」
「負けた時だけ家の義務になる社交か。勝った金は家へ戻したのか?」
ゲオルクは答えなかった。
「コーデリアが生きていた頃から、私は家のために金を動かしてきた」
「家のためだと言えば、何を食っても腹を壊さないと思ってるらしいな。フェリクスの金も、娘の宝石も、今度は娘が戻した金も、お前の舌には全部同じ味か」
「フェリクスはこの家から姓を与えられ、教育も受けた。何も得ていないわけではない」
「だから金までよこせと?」
「家族には家族の負担があります」
「本人に言え」
ヴァンフリートの声が低くなった。
「姓を与えた代金はいくらだ。父親に認知された代金は。母親を屋敷の外で死なせた分まで請求書に載せるか?」
「言葉を慎みなさい」
「お前が金を慎めば、俺も言葉くらい慎んでやる」
ゲオルクは椅子の背へ身を預けた。
「そもそも、あなたは誰の代理人なのです。フェリクスから依頼を受けていないのでしょう」
「受けてない」
「ならば、返還を求める権利も、私を告発する権利もない」
「そのとおりだ」
ヴァンフリートはあっさり認めた。
「だから俺は、まだ一枚も申立てを出してない。お前へ金を返せとも言ってない」
「では――」
「本人へ聞きに行く」
ゲオルクの口が止まった。
「お前の娘は、弟を守ると言って、弟の答えまで自分で作った。お前は家族の負担だと言って、息子の金を自分で使った。親子揃って、本人へ尋ねる手間だけは綺麗に省いたらしい」
「フェリクスが、父親である私を訴えるとでも思うのですか」
「知らん」
ヴァンフリートは立ち上がった。
「お前も、あいつの姉も、本人に聞かなかったらしいからな」
ゲオルクは何も言わなかった。
窓の外で風が吹き、喪章の黒布が石壁を打った。その音だけが、娘のいない屋敷の奥まで通っていった。
門を出てから、アエミリアが尋ねた。
「もしフェリクスが、何もしないと決めたら」
「それで終わりだ」
「ゲオルクのしたことが消えるわけではありません」
「消えない。だが事実を知ることと、どう処理するかは別だ。俺たちが父親を嫌いだからって、息子の人生を勝手に使うな」
「コーデリア様と同じことになるからですか」
「そうだ」
ヴァンフリートは法院通りとは反対の道へ足を向けた。
「駅馬車の時刻を調べろ。遠方まで行く」
「いつですか」
「明日だ。これ以上遅らせると、また誰かがあいつの答えを先に書く」




