第11話
午後になると、通りの影が長くなった。
ヴァンフリートは机に肘をつき、次の仕事もないのに古い紙をめくっている。アエミリアは向かいの椅子へ座ったまま、空になった机の一角を見ていた。
「先生」
「今度は何だ。さっきから一枚も読まずに考える顔だけしてる。頭を使ってるふりなら、もう少し紙を汚せ」
「ユリアーネ様が初めていらした時、わたしは、あの方も名誉を取り戻したいのだと決めつけました」
「そうだったな」
「わたしと似ていると思ったのです」
「婚約が壊れて、相手から都合のいい謝罪書を渡された。似てる部分はある」
「ですが、あの方は最初、自分の名誉を争いたいとも、支払いを求めたいとも思っていませんでした」
「人間は同じ穴へ落ちても、同じ方向へ這い出すとは限らん」
アエミリアは机に残っていた筆を取った。
「似ていたから、分かったこともありました」
「それで調子に乗って、分かってないことまで喋った」
「はい」
素直に認められると、ヴァンフリートは毒づく先を失ったような顔をした。
アエミリアは筆先を整え、白い紙を前へ置いた。
「次は、先に答えを言わないようにします」
「次もやる気か」
「椅子を持ってきたのは、飾るためではありません」
「お前が勝手に持ってきた椅子だ」
「先生が捨てなかった椅子です」
「家具を捨てるのにも金がかかる」
「では、元を取るまで働きます」
「誰がお前を雇った」
「今から先生です」
「他人の契約確認不足を法院で争った直後に、自分の雇用を言い切るのか。学習能力があるのかないのか、判断に困るな」
「では、確認します」
アエミリアは改めて姿勢を正した。
「わたしを助手にしていただけますか」
「嫌だ」
「なぜですか」
「字が遅い。帳簿を全部写す。依頼人に自分の人生を喋らせる。俺の話を聞かない。椅子まで勝手に増やす」
「直します」
「最後のはもう手遅れだ」
「では、ほかは直します」
「給金は安い」
「構いません」
「休みは俺が決める」
「それは困ります」
「もう反抗したな」
「確認しただけです」
ヴァンフリートは彼女の前にある白紙を取り、自分の側へ引いた。
「日付を書け」
アエミリアは筆を持ったまま、机越しに彼を見た。
「何の記録ですか」
「お前を助手にした日だ。あとで給金を十一か月分よこせと言われても困る」
彼女は立ち上がった。
椅子の背を持ち、依頼人が座る場所から、机の反対側へ運んだ。ヴァンフリートの隣へ置くには狭く、脚が一度机に当たった。
「邪魔だ」
「詰めてください」
「俺の机だ」
「わたしの椅子です」
「土地の境界争いまで始める気か」
それでもヴァンフリートは、紙の束を少し自分の方へ寄せた。
アエミリアは机の向こう側へ座った。
まだ法律を知らない。帳簿を見れば余計なものまで拾い、依頼人の沈黙を待つことにも慣れていない。それでも白紙の上へ日付を書き、その下を空けたまま、次の言葉を待った。
ヴァンフリートは一度だけ、その記録を見た。
「字は読めるな」
「褒めてくださったのですか」
「今のところ、紙よりは役に立つと言っただけだ」
アエミリアは筆を置かなかった。
春の光が、古びた机の半分を照らしていた。もう半分には建物の影があり、その境目で、二脚の椅子が肩を並べていた。




