第9話
ヴィルヘルミナは、少しも慌てなかった。
「家政に触れさせたことは否定いたしません」
「触れた、ね。家令から帳簿と鍵と印を渡されて、使用人の報告を受けて、十一か月判断した。ずいぶん腕の長い触れ方だ」
「将来あの家へ入る女性が、実際の家政を学ぶことは当然です」
ヴィルヘルミナの声には迷いがなかった。
「帳簿を読むことも、使用人の働きを知ることも、日々の支出を考えることも、女主人となるためには必要です。わたくしも、婚姻前には同じように学びました。家族になる者が家を支えることを、雇用と同じに扱う方が不自然ではありませんか」
傍聴席には、頷く者もいた。
それはその場しのぎで作られた言葉ではなかった。ヴィルヘルミナは本当に、花嫁とは婚姻する前から家へ尽くす者だと信じていた。
ヴァンフリートは彼女の信念を笑わなかった。
ただ、問いを変えた。
「十一か月、誰が教えた」
「エーベルハルトが指導しておりました」
「いつまでだ」
エーベルハルトが答えた。
「初めのうちは。しかし、夏を過ぎる頃には、ほとんどお任せしておりました」
「間違えた時、誰が直した」
「月末には、わたくしが報告を受けていました」
ヴィルヘルミナが答えた。
「報告を受けたのは分かった。やり直させた?」
「必要があれば」
「何をやり直させた」
ヴィルヘルミナはすぐには答えなかった。
ヴァンフリートは日誌を開き、頁を指で軽く弾いた。
「ここに教師の書き込みはない。間違いを戻した跡もない。ユリアーネが決めた後で、家がその結果に従って動いてる」
「実地で学ばせていたのです」
「便利な言葉だな、実地。失敗すれば生徒の間違い、成功すれば家の利益だ」
ヴァンフリートは一歩、ヴィルヘルミナの方へ寄った。
「家令が倒れた後、使用人の報告を受けたのは誰だ」
「ユリアーネです」
「日々の支払いを決めたのは?」
「ユリアーネです」
「厨房や燃料の不足へ答えたのは?」
「ユリアーネです」
「その結果で家が動いた?」
「はい。しかし、それは将来のための――」
「教師がいなくて、生徒が判断して、家がその結果で動く。それを教育って呼ぶなら、ずいぶん安上がりな学校だな」
ヴィルヘルミナの表情が初めて硬くなった。
「では、花嫁が家を学ぶこと自体を否定なさるのですか」
「してない。教師が教えるなら教育だ。仕事を渡して家を動かし、給金を消すためだけに教育と呼ぶなら、看板を掛け替えた労働だと言ってる」
「ユリアーネは支払いを求めたことなどありません」
「求めなきゃ働いてないことになるのか。金を払いたくない家には、ありがたい算術だな」
相手方の代言人が立った。
「リヒテンハーゲン家は、日常的な家政を手伝わせたことまで否定しておりません。争点は、その範囲を越えて契約を変更した点です」
「まだそこじゃない。今、お前の依頼人は日常の仕事を任せたと認めたところだ」
ヴァンフリートはアードリアンへ向いた。
「お前は?」
「僕も、手伝ってもらっていたことは認めます」
「家を任せたわけじゃない?」
「はい」
アエミリアが一通の手紙をヴァンフリートへ渡した。
彼は開き、必要な一節だけを読んだ。
「母上の留守中も、君が家を見てくれて助かった」
アードリアンの顔から、わずかに色が引いた。
「お前が書いた?」
「書きました」
「家を見てくれて助かった?」
「感謝を伝えただけです」
「何に感謝した」
「母の留守中、家のことを手伝ってくれたことに」
「そこまで任せてない?」
「日常のことは頼りました。しかし、契約を替える権限までは与えていません」
ヴァンフリートは手紙を閉じた。
「よし」
その一言に、アードリアンはかえって不安そうな顔をした。
「十一か月働いてたことは認めた。じゃあ残ってるのは燃料だけだ」
争いは、一つまで狭まった。
ヴィルヘルミナが立った。
「そうです。古くから付き合いのある燃料商人を替える権限など、与えておりません。あれだけは完全な独断でした」
「そうだ」
ヴァンフリートはあっさり認めた。
相手方の代言人が顔を上げた。
裁定官も、彼の次の言葉を待った。
「ユリアーネは、契約を替える前に、お前へ明確な確認を取ってない。家令も契約変更まで頼んでない。ここはこいつの落ち度だ」
ユリアーネが立った。
「認めます。確認すべきでした」
ヴィルヘルミナはその言葉を受けるように頷いた。
「だから申し上げているのです。この娘は教えられる立場を忘れ、自分を女主人だと思い込んだのです」
「いや」
ヴァンフリートは支払いの控えを手に取った。
「俺が聞きたいのは、その後だ」
アエミリアが頁を開き、彼の前へ向けた。新しい商人から燃料が入り始めた頃の記録である。
「お前が屋敷へ戻った時、商人が替わっていることを知ったか」
「知りました」
「価格が下がったことも?」
「はい」
「品質に問題はあった?」
「ありませんでした」
「届いた燃料は使った?」
「冬でしたから、使いました」
「支払った?」
「すでに受け取ったものです。当然でしょう」
「この確認はお前のものか」
ヴァンフリートは支払いの横に残る印を示した。
「わたくしのものです」
「契約を知った後、止めたか」
「すぐに以前の商人へ戻すことはできませんでした」
「止めたかと聞いてる」
「止めておりません」
「ユリアーネを家政から外した?」
「いいえ」
「次の燃料も受け取った?」
「必要でしたので」
「その代金も払った?」
「はい」
ヴァンフリートは次の頁を開いた。
「その支払いにも、お前の確認がある」
「冬の最中に、届いた燃料を捨てるわけにはまいりません」
「捨てろとは言ってない。知った後で止めたかと聞いてる」
ヴィルヘルミナは答えなかった。
「商人へ、この先は届けるなと伝えたか。前の商人と新しい契約を結び直したか。ユリアーネから帳簿と印を取り上げたか」
「どれもしておりません」
「つまり、契約を知らないまま利用してたわけじゃない。知って、使って、金を払って、仕事も続けさせた」
「それでも、最初の無断は消えません」
「消えない。俺も消してない」
ヴァンフリートは支払いの控えを机へ戻した。
「消えるのは、お前の作った話だ。何の権限もない他人が勝手に家へ入り込んだって話は、知った後も仕事と成果を受け取ったお前自身が壊した」
ヴィルヘルミナは、しばらく黙っていた。
やがて、声を低くして言った。
「いずれ家族になる者なら、家を支えるのは当然です」
ヴァンフリートは待っていたように彼女を見た。
「じゃあ家を支えてたんだな?」
「花嫁としてです」
「働かせる時は未来の家族。安くなった燃料もありがたく使う。揉めた瞬間だけ、何の権限もない他人」
彼は笑わなかった。
「ずいぶん都合のいい家族だな」
ヴィルヘルミナの頬が硬くなった。
ヴァンフリートはアードリアンへ向き直った。
「お前は、ユリアーネが家を見てくれて助かったと思ってた?」
「はい」
「母親に、こいつへ仕事をさせるなと言ったことは?」
「ありません」
「婚約が壊れるまで、こいつの家政を問題にしたことは?」
「燃料の件までは、ありません」
「それでも、そこまで頼んでない?」
「僕は、すべてを任せるとは言っていません」
「頼んでない仕事を十一か月見て、助かったと礼を言って、成果は全部使った」
ヴァンフリートは手紙をアードリアンの前へ置いた。
「お前の家じゃ、不法侵入者に感謝状を書く習慣でもあるのか?」
アードリアンは答えなかった。
彼がユリアーネを憎んでいたわけではない。最初から陥れようとしていたわけでもない。感謝した時の言葉も、おそらく本心だった。
だからこそ、責任を問われた今、その本心だけが彼の逃げ道を塞いでいた。
法院の静けさは、初めより深くなっていた。
裁定官は机の上の記録を確かめた。
ユリアーネが帳簿へ書き込み、補助印を使い、燃料契約を変更した事実は残された。契約を替える前に、女主人から明確な許可を得なかった責任も消されなかった。
しかし、彼女が勝手に家政へ入り込み、女主人の地位を奪おうとしたという主張は認められなかった。
老家令が仕事を渡し、使用人の報告先とし、十一か月にわたりリヒテンハーゲン家がその実務を受け取っていたからである。燃料契約についても、変更前の確認不足と、変更を知った後に家側が利用し続けた事実は、別々に記録された。
法院は、帳簿に残るユリアーネの立替分を返し、十一か月の実務に相当する支払いを行うようリヒテンハーゲン家へ命じた。
家政を侵した者として扱った記載も訂正される。
婚約は解消された。
ただし、その主たる責任は、ユリアーネの一度の確認不足よりも、長く仕事を受け取りながら、問題が生じた後で責任だけを彼女へ戻そうとしたリヒテンハーゲン家側にあるとされた。
裁定が終わっても、ユリアーネはすぐには立たなかった。
隣に置かれた日誌へ手を伸ばし、表紙をそっと撫でた。
十一か月は教育という名の中へ消えなかった。
そこには、彼女が働いたことも、間違えたことも、どちらも同じ筆跡で残っていた。




