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第8話

 法院の高い窓から落ちる光は、人の顔よりも先に机の上の紙を白くした。


 春の日はすでに暖かいはずなのに、石壁の内側には冬の冷たさが残っている。傍聴席へ入った人々の衣擦れも、やがて天井の高みに吸われ、声を出す者が決まると、広い室内は一枚の紙を読むほど静かになった。


 ユリアーネはヴァンフリートの隣に座っていた。


 向かいにはヴィルヘルミナとアードリアンがいる。


 ヴィルヘルミナは淡い銀色の衣装に身を包み、背筋を崩さなかった。家の女主人として長く人を見てきた目で、ユリアーネを憎むでもなく、哀れむでもなく見ている。その隣でアードリアンは、何度かユリアーネへ目を向けながら、そのたび母の横顔へ視線を戻した。


 リヒテンハーゲン家の代言人が立った。


 彼はユリアーネのしたことを、過不足なく法院へ述べた。


 婚約者という立場にありながら、家の帳簿へ書き込み、使用人へ指示し、家政用の補助印を使った。最後には、長く付き合いのあった燃料商人との契約まで、女主人の許可を得ずに変更した。


「将来の婚姻を理由として、まだ与えられていない権限を自らのものと考えた行為です」


 代言人の声は静かであった。


「リヒテンハーゲン家は、ユリアーネ嬢の熱意そのものを責めるつもりはありません。しかし、婚約者にすぎない者が女主人のように家を動かせば、家の秩序は保てません。婚約の解消は、やむを得ないものだったと申し上げます」


 アードリアンも立った。


「僕は、母の留守中に家のことを学んでもらいたいとは思っていました。ですが、そこまで任せたつもりはありません」


「そこまでって、どこまでだ」


 ヴァンフリートが聞いた。


「発言の順番を守るように」


 裁定官が言うと、ヴァンフリートは椅子へ深く座り直した。


「順番で事実が変わるなら大事にする」


 アエミリアが隣から彼の外套を小さく引いた。


 やがてヴァンフリートの番が来た。


 彼は最初に日誌へも、支払いの控えへも触れなかった。


「立て」


 ユリアーネへ言った。


 彼女は一瞬だけ戸惑い、立ち上がった。


「帳簿へ書いたか」


「はい」


「補助印を使った?」


「はい」


「使用人から報告を受けたか」


「はい」


「燃料商人を替えた?」


「替えました」


「ヴィルヘルミナの許可を先に取ったか」


「いいえ」


 傍聴席に小さなざわめきが起きた。


 相手方の代言人は動かなかったが、その口元には、すでに終わった争いを見守るような余裕があった。


 ヴァンフリートは裁定官へ向いた。


「全部本当だ」


 ユリアーネの肩がわずかに下がった。


「だから次は、誰がこいつにそれをやらせたかだ」


 ヴァンフリートは日誌を取り上げた。


 最初の頁を開き、次に最後の頁を開いた。間にある細かな記録は読まない。


「始まりは昨年の春。終わりは婚約が壊れる直前。十一か月だ」


 彼は日誌を閉じた。


「一晩だけ帳場へ忍び込んで、女主人ごっこをしたわけじゃない。十一か月、使用人の報告を受け、支払いを決め、家の暮らしを動かしてる」


「それらは花嫁教育の一環です」


 ヴィルヘルミナが言った。


「その言い訳は後で聞く。まず、全部勝手にやったって話を片づける」


 老家令エーベルハルトが呼ばれた。


 彼は杖を使わなかったが、証言する場所まで歩く間、片方の足がわずかに遅れた。席に着くと、裁定官の問いに従い、ヴァンフリートの方を見た。


「ユリアーネが熱心だったから手伝わせた。そう言ってたな」


「はい」


「使用人の報告先を変えたのは誰だ」


「私です」


「帳簿を渡したのは?」


「私です」


「鍵は?」


「私が渡しました」


「補助印も?」


「はい」


「どうしてだ」


 エーベルハルトは膝の上へ置いた両手を見た。


「私の目と足が、仕事に追いつかなくなったためです」


「つまり、花嫁修業を豪華にするためじゃない」


「いいえ」


「屋敷を止めないため?」


「はい」


 エーベルハルトは息を整え、顔を上げた。


「屋敷を止めないため、私がユリアーネ様へ頼みました」


 その言葉が、石壁の内側へ静かに広がった。


 ヴァンフリートは使用人たちの確認も続けたが、長くは聞かなかった。厨房から届く支払いの相談も、修繕や物資の不足も、エーベルハルトの指示によってユリアーネへ運ばれていた。彼女が自ら女主人を名乗ったことはなく、使用人たちも婚姻までの留守を預かる者として接していた。


「全部勝手にやった、は終わりだ」


 ヴァンフリートは相手方の机を見た。


「次の話をどうぞ」



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