第6話
翌朝、アエミリアは一冊の大きな綴りを抱えてきた。
古い革表紙にはゾンダーブルク家の紋が押され、頁の端には何度も開かれた跡がある。机へ置くと、ヴァンフリートが表紙を指で押した。
「今度は何だ。家から椅子の仲間を連れてきたのか」
「わたしの花嫁教育の記録です」
「それなら燃やせ。婚約相手もいなくなったんだ。紙だけ未練深く残してどうする」
「ユリアーネ様に見ていただきます」
「俺の話を聞いてないな」
「聞いた上で残しています」
昼前に来たユリアーネへ、アエミリアはその綴りを差し出した。
「これは、わたしの記録です」
開かれた頁には、細かな字の横へ別の筆跡が添えられていた。ある箇所には問いが書かれ、その下にアエミリアの答えがある。間違ったところは線で消され、なぜ違うのかが余白へ記されていた。
家の支出を扱う頁にも、最後に確かめた者の署名がある。
アエミリアが計算を誤れば、数字はその日のうちに戻された。客人を迎える手順を取り違えれば、実際の応接へ出る前に止められた。家政の判断を考える課題はあっても、その判断で屋敷がそのまま動くことはなかった。
「教えてくださる方が、いらしたのですね」
「はい。わたしが間違えれば、この方が直しました」
アエミリアは余白の筆跡を示した。
「実際の帳簿とは別の数字で練習することもありました。家政の場へ入る時も、最後に決める方は別にいました」
ユリアーネは頁をめくった。
誰が教え、何を学び、どこを間違えたかが残っている。最初の筆跡は拙く、季節が進むにつれて整っていたが、最後まで教師の文字が消えることはなかった。
隣に置かれたユリアーネの日誌には、別の筆跡がない。
そこにあるのは訂正ではなく、済んだ支払いだった。課題ではなく、その日に使われた燃料であり、練習ではなく、実際に食べられた食事であった。間違えれば誰かが直すのではない。家の暮らしが、そのまま困る。
「わたしは、これを花嫁教育だと思っていました」
ユリアーネは自分の日誌へ触れた。
「そう教えられていたのですね」
「はい」
アエミリアはそれ以上を言わなかった。
ユリアーネは待った。慰めも、結論も、促す言葉も来なかった。
ヴァンフリートも黙っていた。椅子の背へ片腕を掛け、珍しく口を挟まずに二人を見ている。
アエミリアは静かに尋ねた。
「あなたは、あの家で何をしていたと思いますか」
ユリアーネはすぐには答えなかった。
自分の記録を初めから読み直すように、長く表紙を見つめていた。春に初めて帳簿へ触れた日も、夏に厨房の支払いを動かした日も、冬を前に燃料商人を替えた日も、すべて同じ日誌の中にある。
花嫁になるつもりだった。
家族になりたかった。
アードリアンを愛していた。
そのどれも嘘ではなかった。
だからこそ、もう一つの事実を認めることが、長く自分を支えた気持ちまで汚すように思えた。
ユリアーネは目を閉じた。
「……働いていました」
アエミリアは頷かなかった。正解を待っていた教師のようには振る舞わず、ただその言葉を受け取った。
ヴァンフリートだけが言った。
「ようやく日誌と話が合ったな」




