第41話
翌朝、閲覧室の卓には、帳簿が一冊も出ていなかった。
窓の下に濡れた靴跡があり、そこだけ敷物が巻き上げられていた。保管係は三人を座らせる前に、手にしていた封書をヨストへ差し出した。
「本日から、この件に関わる閲覧を見合わせることになりました」
ヨストは封を切った。
ヴァンフリートは、彼が読み終えるのを待たずに尋ねた。
「どの件だ」
「お申し入れになった、王位継承の経緯についてです」
「エスネエーレの処遇が決まった頃の記録を見たいと書いた」
「これまでの御確認の範囲を越えるという判断でございます」
ヨストが紙を渡した。
王家の継承に関わる内事を含むため、関連記録を改めて整理する。その間は閲覧を留保し、照会への回答も差し控えるとあった。
申立てに添えるため、既に頼んであった写しの照合と、処遇の経緯についての回答も、同じ扱いになっていた。
「いつまでだ」
「整理が済みますまで」
「死んだ男と、返事まで同じか。新しい担当を置いた甲斐があったな」
保管係は、唇を薄くした。
「私が決めたことではございません」
「なら、決めた奴のところへ、この紙を持っていけ。日付を一つ書き足せと言いうのを忘れるなよ」
「そのようには、お取り次ぎできません」
アエミリアは、封書の中をもう一度見た。
終わる日の記載はなかった。代わりに、未回答の照会が、番号を添えて並べられていた。本人の外出や居所を誰が決めてきたかという問いも、その中に入っている。
「こちらは、王位のことを尋ねたものではありません」
彼女は一つを指した。
「エスネエーレ様の今の扱いについて、説明をお願いしたものです」
「関連するものは、一括して扱うようにと」
「関連していることは、認めるんだな」
ヴァンフリートが言った。
「調べたいと言えば別の話で、出したくなくなると一括か。よく動く仕切りだ」
廊下で車輪の音がした。
人が通れる幅いっぱいの手押し車を、二人の保管係が運んでいた。
布で包まれた綴りの上に、細長い木箱が載っている。
曲がり角で一人が押すのをやめ、前に回って箱を支えた。
アエミリアは、その荷札を見た。
昨日、所在を教えた受取帳の名があった。
「その帳面は、どちらへ」
彼女が尋ねると、案内をしていた男が答えた。
「別の保管室へ移します」
「今日、拝見するはずだったものです」
「ですから、今はお出しできません」
手押し車が再び動いた。
紐の下へ差し込まれた紙の端に、数字が見えた。アエミリアは自分の鞄を開き、受取りの控えを出した。
同じ番号だった。
「先生」
ヴァンフリートは、まだ保管係を見ていた。
「何だ」
「わたしたちの照会の番号で、運んでいます」
彼が廊下へ目を向けた。
アエミリアは、荷札の下へ入っていた移管の用紙を、もう一度見せてほしいと頼んだ。男は迷った末に、荷を運ぶ係を呼び止めた。
そこには、受取帳だけでなく、幾つもの綴りの名があった。
修繕費の支払いを確かめるために探したものも、王妃宮から官房へ届いた申し入れも載っていた。どの照会を受けて所在が確かめられたかが、番号で記されている。
まだ読んでいないものには、発見された場所が添えられていた。
「この帳面のことを申し上げたのは、昨日です」
アエミリアは言った。
「元老院の方に伺うまで、こちらでも、どこにあるか分からなかったのですよね」
「所在の確認が取れたので、移すことになったのです」
「ほかの古い記録も、全部ですか」
男は首を振った。
「今回、対象になったものだけです」
窓の向こうで、荷車から降ろされた薪を下男が積んでいた。一本を抱え直す拍子に、乾いた皮が剥がれて落ちた。部屋の中には、その音までは届かなかった。
ヴァンフリートが、用紙の上へ指を置いた。
「俺たちが何を探しているか、最初から報告してたのか」
「照会を受けたものと、見つかったものについては、逐次、官房へ」
「その決まりができたのは、いつだ」
「今回の閲覧が認められた時からでございます」
「素直に最初からだと言え」
アエミリアは、自分の書いた控えを見た。
どこで名前を聞いたか。誰がまだ古い帳面を持っているか。別の書類の、どの欄に手掛かりがあったか。
尋ねられたとおりに記したものが、そのまま向こうの捜し物にも使われていた。
「御協力によって、所在の分からなかったものも確認できました」
保管係は言った。
「それについては、こちらも」
「礼はいい」
ヴァンフリートは遮った。
「俺は、ローベルの遺品整理を請け負った覚えはない」
男は口を閉じた。
ヨストが、閲覧を止めると書かれた返書を畳んだ。
「既に照合を受けて持ち帰った写しについて、何か通知はありますか」
「そちらには、今のところ」
「分かりました。今日お渡しになれないものを、こちらで確認させていただく」
彼は一つずつ読み上げた。
コンスタンティンを後継として呼んだ通知は、見られなかった。その時の官房の引継ぎも、王妃宮との往復も、表紙さえ確かめることができなかった。
保管係は、読み上げられたものを全て認めた。
ヴァンフリートは、今度は口を挟まなかった。手押し車が廊下の奥へ運ばれていく間も、その場に立っていた。
やがて、向こうで扉が閉まった。
王宮を出ると、昼の道は歩きにくかった。
朝のうちに凍っていた泥が緩み、馬車の轍へ踏み込むと、靴の脇まで水が上がった。
アエミリアは、向こうから来る荷を避けて塀際へ寄った。外套の裾を持ち上げたまま、しばらく歩いた。
「わたしが、保管先を書かなければ」
彼女が言いかけると、ヴァンフリートは前を向いたまま答えた。
「俺が出させた」
「でも、あの用紙を見た時に」
「俺も見た。読めるようになったのが嬉しくて、何を教えてるのか考えなかった」
アエミリアは足元を見た。
ヨストが歩調を緩め、三人が並べるところまで待った。
「向こうには、私たちが次に何を調べるか分かっていた。こちらには、向こうが何を集めているか分からなかった」
「親切な連中だ。道を教えてくれた分、迷わず罠へ入れた」
ヴァンフリートは言った。
誰も笑わなかった。
通りの先で、法院の鐘が鳴り始めた。昼の用事を終えた人々が、正門から道へ広がってきた。傘を開いた者もいたが、雨はまだ降っていなかった。
「申立ては、どうなりますか」
アエミリアが尋ねた。
「出す」
ヴァンフリートは答えた。
「ただ、頼んだ原記録が出てこない。足りないところを確かめようとすれば、また王宮の返事を待つことになる」
ヨストは、外套の内に収めた返書へ手を当てた。
「整理が済むまで、という返事をな」
ヴァンフリートが、法院へ続く道を見た。
石段の上では、話し込んでいた二人が別れようとしていた。一人が下りかけるたび、もう一人が何かを思い出して呼び止める。その脇を、書類を抱えた書記が通り抜けた。
「紙を出すかどうかまで、あっちの返事で決まる」
彼は言った。
「なら、持ってる紙と、まだ口の利ける人間を、先にこっちへ集める」
ヨストが彼を見た。
「どこへ」
「聞いたことを記録できる奴が、毎朝通るところだ」




