第31話
「その相談は、王太子が殺された後ではないんだな」
ヴァンフリートが確かめた。
「前です」
エルザは返書の日付を示した。
「これが届いてから、幾日も経っておりません」
「お前も、その場にいたか」
「はい。陛下は、私を下がらせませんでした」
ヨストは新しい紙を出した。
エルザはそれを見てから、膝へ置いていた手を解いた。
「初めから、命の話ではありませんでした。殿下をお諫めすることや、御判断を留めることができないかと」
「ローベルは、できると言ったか」
「いいえ」
彼女は答えた。
「殿下は、官房の扱っていることも、ほかへ移そうとしておられました。ローベル卿のところに集まっていた記録を、担当の官庁へ戻す。そのことも、話に出ました」
ヨストが、閲覧した書面の写しを出した。
エルザは頷いた。
「これです」
ヴァンフリートは、二つの紙の間へ手を置いた。
「王妃は推薦が利かなくなる。ローベルは、書類を出すかどうかで人を従わせられなくなる」
エルザは否定しなかった。
「ローベル卿も、殿下が王になられてからでは遅いと申し上げました」
アエミリアは、書いていた手を止めた。
エルザは、王太子の返書を見ていた。
「陛下は、ラディスラフ殿下ならば、御自分を敵のようには扱わないとおっしゃいました」
「兄を後継から外して、弟を立てるという話か」
「そうです」
「生きたままか」
返事がなかった。
炉の薪が燃え、外側の皮だけがめくれるように反り返った。その下から赤いところが現れ、エルザの頬を一度明るくした。
「そこを曖昧にするな」
ヴァンフリートは声を上げなかった。
「後継から外すことと、殺すことは違う」
「分かっております」
エルザは答えた。
「ローベル卿は、ジークムント殿下が生きておられる限り、殿下を支持する者たちは、いずれお戻ししようとするだろうと」
ヨストの筆が、紙の上を動いた。
「陛下は、それをお聞きになった後、長く黙っていらっしゃいました」
エルザは、自分の手へ目を落とした。
「私は、お話が終わったのかと思いました」
アエミリアも、彼女の手を見た。
右の親指が、左手の指の付け根へ押しつけられていた。それが離れてから、エルザは口を開いた。
「ですが、陛下は、あの子の死が必要なら、そうしなさいとおっしゃいました」
ヨストの筆が止まった。
エルザは顔を上げなかった。
「その後に立つのは、ラディスラフです、と」
部屋の遠い方で、窓が鳴った。
アエミリアは、自分の書いた文字を見た。死、という字の次が、まだ空いていた。
「それは、お前が後から考えた意味か。実際に聞いた言葉か」
ヴァンフリートが尋ねた。
「お言葉です」
エルザは答えた。
「全部を、一言一句覚えているとは申せません。ですが、そのことは聞き違えておりません」
「ローベルは、何と答えた」
「詳しい進め方は、自分にお任せいただきたいと」
ヨストが筆を取り直した。
「王妃陛下は、それをお認めになった」
「はい」
エルザは、ようやく三人の顔を見た。
「陛下は、殿下の命を奪うと知らずに、何かをお頼みになったのではありません」
その言葉は、誰かを庇う時のようには聞こえなかった。だが、彼女は、言った後も背を曲げなかった。
「どの兵士を使うか、どの扉を開けるかという話はあったか」
「私の前では、ございません」
「金の渡し方もか」
「それも」
ヴァンフリートは頷いた。
アエミリアは、書きかけていた行を終えた。
王妃の言葉を聞いたことと、具体的な方法を知らないことを、同じ紙の上へ残した。
アエミリアは、しばらく迷ってから尋ねた。
「殿下へ、お知らせにはならなかったのですか」
エルザは彼女を見た。
「いたしませんでした」
「何か、お止めになるようなことも」
「その席では」
そこまで言ってから、彼女は口を閉じた。
やがて、言い直した。
「席を外れてからも、いたしませんでした」
アエミリアは何も言えなかった。
エルザは小卓の上にある返書へ触れた。
「私は、陛下にお仕えする者でした。陛下が殿下を失うことにお決めになったのなら、私が殿下の側へ立つわけにはいかないと思っておりました」
ヴァンフリートは、彼女を見ていた。
「今は、なぜ話す」
エルザの手が止まった。
「クレーフェ嬢が、今も外へ出るのに許しを要すると、伺いました」
「知ったのは、いつだ」
「お使いが来てからです。陛下が崩御なされて、王太后宮を離れてからは詳しいことを聞こうとしませんでした」
彼女は、膝へ手を戻した。
「あの件は済んだのだと、思っておりました」
「お前が聞かなくなっただけだ」
「ええ」
エルザは答えた。
「十年を、一言で済んだことにしておりました」
炉の近くに置かれた椅子の脚が、火の明かりを受けていた。その向こうの長椅子は、白い覆いを掛けたまま、昼の光の中へ沈んでいた。
「これを話せば、あの方にしてしまったことがなくなるとは思っておりません」
「なくならん」
ヴァンフリートは言った。
「聞いたことを話せ。そっちは、今からでもできる」
エルザは頷いた。
ヨストは、彼女の記憶する面会の時期を、書状の往復と照らし合わせた。
曖昧な日は、曖昧なままにした。
ただ、その相談がジークムントの生前だったことは、届いた返書と、その後に彼女が取り次いだ申し入れの順からも確かめられた。
王妃宮では、その相談の後、後継について話のできる相手を選び始めていた。
エルザが承ったのは、誰に事前の意向を尋ねるかという用事までだった。実行する者の名も、王太子を襲う場所も、知らされていなかった。
「ローベル卿は、陛下へ毎日のように御報告に?」
ヨストが尋ねると、彼女は首を振った。
「お会いになることはありました。ですが、私が同席したのは、その全てではございません。知らないところまで、お話しすることはできません」
ヴァンフリートは、机に出した修繕費の写しを収めた。
それ以上、彼女に結びつけさせようとはしなかった。
聞き取りを読み返す間、エルザは何度か言葉を直した。王妃が実際に口にしたことと、自分がその時そう受け取ったことを分けるためだった。
署名を終えると、彼女は筆を置いた。
「陛下は、ジークムント殿下をお嫌いだったのだと、そうお書きになりますか」
アエミリアは顔を上げた。
「そのようには、伺っておりません」
「殿下を誇りに思っておられた時も、ありました。幼い頃にお読みになったものを、人へお見せになったことも」
エルザはそこで黙った。
ヴァンフリートは、署名のある紙を取った。
「それも本当なんだろう」
彼は言った。
「だが、この話の代わりにはならない」
エルザは、目を伏せて頷いた。




