第26話
王宮から来た言葉を、アエミリアはその晩、もう一度読み直した。
ヨストの部屋の窓には、下半分だけ曇りがついていた。通りを行く馬車の灯がそこへ差すたび、机の上の紙まで、淡く明るくなった。
ヴァンフリートは、元の侍従が話した内容と、家々に残った書状を並べていた。
「先生」
「何だ」
「エスネエーレ様が殿下をお好きだったことは、本当ですよね」
「あれで嫌いなら、世の中のアベックは皆憎み合っている」
「アベック……」
「外来語だ」
アエミリアは咳払いをして、話を戻そうとした。
「扉を開けたことも、本当です」
彼は頷いた。
「ジークムント殿下がお亡くなりになれば、ラディスラフ殿下が後継に近づくことも」
アエミリアは、そこで言葉を止めた。
自分の前にある書面には、その三つが、初めから続いていたことのように記されていた。
「間に、理由を入れたんですね」
彼女は言った。
「殿下を王にするために、と」
ヴァンフリートは、王妃宮からの書状を彼女の方へ向けた。
「それを入れれば、あの女が何を聞いたかは、邪魔になる」
アエミリアは、文字を追った。
ラディスラフが危険だと言われたことも、彼を待つつもりで部屋へ戻ったことも、この紙には要らなかった。
王位に近づく男がいて、その男を愛する女が扉を開けた。
それで、理由まで揃ったことにされていた。
「お金を誰が払ったかも、王宮側の扉がどうなっていたかも、考えなくて済みます」
「女の恋の方が、王宮の修繕費より覚えやすいからな」
ヴァンフリートは言った。
「しかも、本人が鍵を開けたと言ってる。わざわざ嘘の自白を取る手間もない」
ヨストが、机の脇から古い綴りを取った。
十年前、二人で集めた覚え書きだった。
広げた頁には、誰から聞いた話なのかが、細かく添えられていた。
途中に、聞いた相手は分かるが、その相手が誰から聞いたかは確かめられなかった箇所がある。
「早くから、この言い方が広まっていた」
ヨストは言った。
「殿下を思うあまりに、と。私たちが塔へ会いに行く前からだ」
ヴァンフリートは、その文字を見た。
「本人に会ったこともない連中が、よく知ってた」
アエミリアは、古い覚え書きと新しく写した書状を見比べた。
同じ文ではなかった。だが、女のしたことを、女の恋から説明しようとするところは変わらなかった。
彼女は、少し前に自分が書いた聞き取りを出した。
マルタの言葉があった。
お嬢様に、どなたのお使いか分かっていただくため。
ヴァンフリートが、そちらへ目を移した。
「何が引っ掛かった」
「手紙の一節を知っていれば、使いを信じてもらえます。でも、それだけなら、別のことにも使えたはずです」
アエミリアは、扉を開けた夜の聞き取りを隣へ置いた。
「あの晩は、エスネエーレ様御自身に開けさせているんです。誰かに鍵を渡してほしい、ではなくて」
ヨストが顔を上げた。
「本人が開けたという事実が残る」
「はい」
ヴァンフリートは、二枚を動かさずに見ていた。
「逃げるために使われたんじゃないな」
彼は言った。
「あの女を、事件の中へ入れるために使った」
炉の中で、薪が崩れた。
アエミリアは手帳へ何か書こうとして、筆を止めた。今の言葉をそのまま記すには、少し待たなければならない気がした。
エスネエーレは、鍵を開けたことを消してほしいとは言わなかった。
その言葉を初めて聞いた時には、彼女が自分のしたことから逃げようとしていないのだと思った。
今は、その消さなくてよいという事実を残すために、周りへ付けられた理由を、どれほど剥がさなければならないかが見え始めていた。
「暗殺の手引きをした女が必要だった」
ヨストが、静かに言った。
「ただ、通路を開ける者ではなく、その後に罪を引き受けさせられる者が」
「引き受けたんじゃない。押しつけられた」
ヴァンフリートは答えた。
ヨストは頷き、開いていた綴りへ手を置いた。
「アーデルハイト陛下は、ラディスラフ殿下を後継にしたかった」
アエミリアは、今度は支持を求めた書状を見た。
「そのために、エスネエーレ様のしたことだけを、殿下御本人の意思から切り離したのですね」
「そういう扱いを求めていた」
ヨストが答えた。
「女は勝手に殿下のために動いた。殿下は関わっていない。だから、女を庇わず処罰を受け入れれば、後継として立てる」
ヴァンフリートが椅子を引いた。
「よくできてる。女を使って王子に疑いが掛かる形を作って、その疑いから救うためだと言って、母親が条件を出す」
「即位した後にも、助けないことを」
アエミリアの声が低くなった。
ヨストは、侍従の署名のある紙を見直した。
極刑となっても介入しない。王となってからも、彼女のために事件を調べ直さない。
ラディスラフが何と答えたかは、まだその紙にはなかった。けれど、どのような返事を求められていたかは、言葉として残った。
ヴァンフリートは立ち上がり、窓へ歩いた。
指の背で曇りを拭うと、通りの灯が見えた。
昼に踏み荒らされた雪の上へ、また薄く新しい雪が積もっていた。
店の軒下を歩く人影は、灯の下へ出るたびに肩を白く見せた。
「ローベルが用意したものが、王妃の望む始末に、よく合ってる」
彼は言った。
ヨストは答える前に、修繕費の写しを見た。
「だが、暗殺の後で、その状況を利用しようとしただけかもしれない。それも、まだ確かめなければならない」
「ああ」
ヴァンフリートは窓から離れた。
「だから、今度は死ぬ前を見る」
アエミリアは、彼を見た。
王妃は、殺されたジークムントの実母でもあった。
そのことは、初めから知っていた。
書状を見た時にも、侍従の話を聞いた時にも、変わってはいなかった。
それなのに、同じ関係を思い出すたび、目の前の言葉との間に、埋まらない隔たりができた。
「御自分のお子様ですよね」
彼女は言った。
「ジークムント殿下も」
ヨストは、静かに頷いた。
「本当に、自分のお子を、暗殺するのでしょうか」
「だが、辻褄はあう」
ヴァンフリートは、元衛兵の免職に関わる書面を引き寄せた。
いくつもの処分案を、病床の父に代わって王太子が認めていた。
その紙を読んだ時には、辞めさせられた男の名を探した。今、彼の目は、案を作った側の名前をたどっていた。
「この母親は、息子が死んだ後に、誰を立てるか決めていた」
彼は言った。
「その息子は、生きてる間には何をしていた」
アエミリアは手帳の新しい頁を開いた。
ヨストは、机に重ねた書面のうち、日付の早いものを手元へ戻した。指で押さえたところに、ジークムントの裁可があった。
ヴァンフリートは、その署名を見たまま尋ねた。
「ジークムントが王になったら、あの母親は何を失うはずだった? 実子を殺すほどのなにかがあるのか?」




