第16話
王宮の地下では、昼になっても灯が要った。
階段を降りるにつれ、上の廊下で聞こえていた人声が遠ざかり、靴底の音だけが石の奥へ続いた。
壁の高いところに明かり取りがあったが、地上に積もった雪が半ば塞いでいる。
そこから入る光は白く濁り、足元を照らす前に消えていた。
案内の役人が立ち止まった。
「こちらです」
扉は、廊下の突き当たりにあった。
厚い板を鉄の帯が横切っている。
錠前の周囲だけ、木の色が違っていた。
アエミリアが手帳を開くと、後ろから来た老人が、その箇所へ灯を近づけた。
「今ついているものは、事件の後で替えています」
昔、この扉を修繕した錠前職人だった。とうに仕事を息子へ譲っていたが、店に残る控えを見せられると、現物も見ておこうと言って、一緒に来た。
「前の錠は、この辺りまでありました」
曲がった指が、板に残る穴を指した。
「十年前の晩、お前が外したのか」
ヴァンフリートが尋ねた。
「ええ。中の部品が傷んでいました。店へ持ち帰って直したんです」
「その間は」
「鍵は掛かりません」
老人は当然のこととして答え、鉄の帯から手を離した。
古い侵入路を確かめたいという申し入れに、王宮は現地の確認と、当時の修繕記録の閲覧を認めていた。
許しの範囲を記した紙を、案内の役人は階段の上でもう一度読んだ。
ヴァンフリートは、その下に付け加えられた条件より、許すと書かれた本文の方を長く見ていた。
「いつ直す予定だった」
「初めは、翌週でした」
老人は外套の内から控えを出した。折った紙を開く手が冷えていたので、アエミリアが下を支えた。
「それを、この日の夕方に来るようにと。昼は別の仕事がありましたから、暗くなってからになりますよとは言いました」
「それで構わないと言われたか」
「むしろ、その方がよいと」
「錠は、その晩までに壊れるところだったのか」
老人は眉を寄せた。
「傷んではいましたが、日を繰り上げなきゃならんほどじゃありません」
ヨストが、借りてきた修繕の記録を開いた。
最初の日付には線が引かれ、王太子が殺される前日の夕刻へ変えられていた。
変更を取り次いだのは、ローベルの下で王宮の用務を扱っていた役人だった。
職人が錠を外した後、扉は夜の見回りの点検からも外されていた。
修繕中につき、通常の施錠確認を要せず。
アエミリアは、その一行を読み直した。
「鍵が掛からない間こそ、見ておくものではないのですか」
「別に管理する、とされたのでしょう」
案内の役人が答えた。
「誰が」
ヴァンフリートが尋ねると、役人は手元の紙を見た。
「そこまでは、こちらに」
「都合がいいな。扉を開けた人間の名前は残るが、見なくていいと言った人間は隠れられる」
老人が口を挟んだ。
「私は、朝には戻すと言ったんですよ」
「お前が夜の間、ここにいろと言われたことは」
「ありません。使わない道だから、朝までそのままでよいと」
ヨストは、前後の日の記録も確かめた。通常の点検から外されているのは、その夜だけだった。
案内の役人が現在の鍵を回した。
重い扉が内側へ動くと、隙間から冷気が流れてきた。廊下の空気より、湿り気が深かった。灯を差し入れても、古道の先は曲がり角のところで見えなくなった。
アエミリアは敷居を越え、振り返った。
地図では、細い線に過ぎなかった。
今は、自分の後ろに厚い扉があり、閉じれば王宮の灯まで失われるのが分かった。
向こうの塔でどれほど大きく鍵を開けても、こちらが閉じていれば、この場所で行き止まりになる。
「エスネエーレ様の鍵では、開けられませんね」
「ああ」
ヴァンフリートは錠の外側へ目をやった。
「こっちは、王宮が開けた」
老人の持つ灯が揺れた。
「修繕は、本当にしたんです」
「疑ってない。よく働いたんだろう。お前が錠を直してる間に、誰かが、その錠のない扉を使った」
老人は口を閉じた。
アエミリアが敷居から戻ると、扉はまたゆっくり閉じられた。最後の隙間が塞がる直前、古道から吹いてきた風が、手帳の一枚をめくった。




