第16話
エリーゼは、リューベックを無能な代言人だったとは言わなかった。
「あの方は、私がどれだけ待てないかを、よく分かっていらっしゃいました」
そう言って、膝の上に置いていた手を組み直した。
婚約が解消された時、エリーゼには、立て替えたまま戻らない金があった。相手方は返すべき額の一部を争っていたが、支払うこと自体を認めている部分もあった。
リューベックは、請求の一部を諦めるなら、すぐにまとめて支払うという案を出した。今後は互いに何も求めず、それで終わりにするというものだった。
「署名すれば、お金は戻る。断れば、いつになるか分からない。そう説明されました」
「その案を、受け入れようとしたか」
「はい。少なくても、すぐに受け取れた方がよかったので」
エリーゼは、窓辺へ目を向けた。
外では庭師が木の枝を束ねていた。切られた枝先が地面を擦り、細い線を幾つも引いていた。
「アイスベルク様は、私に、どの請求を諦めるつもりなのかとお尋ねになりました」
「答えられたか」
「いいえ。全部で幾らになるかばかり見ていましたから」
シグルーンは、相手方も認めている部分を、争いのある部分から分けた。すべてを一度に終わらせる合意へ署名しなくても、まず支払わせるべき金があると説明し、そのための手続を進めた。
残った請求についても、通る見込みのあるものと、証拠の足りないものを区別して伝えたという。
「全部、取り戻してくださったわけではありません」
エリーゼは言った。
「私が、もう求めないと決めたものもあります。でも、何を諦めたのかは知っていました」
アエミリアは記録へ目を落とした。
リューベックの案は、違法なものではなかった。合意すれば、それで紛争を終えられるように整えられていた。
しかし、エリーゼが待てないことを、相手方に有利な条件を受け入れさせるために使っていた。
シグルーンは、その待てないという事情を先に扱い、残す争点を少なくした。記録の日付を辿ると、結局は、リューベックの当初案が前提としていた争いよりも短い期間で、処理が終わっていた。
「リューベックは、その後、何か言ったか」
「私には、特には。ただ、アイスベルク様とお話しになりたがっていたことは覚えています」
そのやり取りは、シグルーンの保管していた書簡に残っていた。
エルナから受け取った協業の申入書には、相手の仕事を認める言葉があった。争点を整理する手際に敬意を表し、互いの経験を合わせて仕事をしたいと申し出ている。
社交のための短い挨拶ではなかった。実際に共同で受ける仕事や、打合せの希望まで書かれていた。
アエミリアは、印刷所で見た後年の原稿を思い浮かべるように、書簡の署名を見た。
その筆跡は、女だから珍しいだけだと書き加えた手と同じものだった。
返書の控えは、申入書と一緒に保管されていた。
シグルーンは能力を理由に断ってはいなかった。
合意を得る時に何を優先するか、依頼人の意思をどう確かめるかについて考えが異なるため、共同での受任は引き受けられないと答えていた。
同じ返書の原本は、リューベック側の保全資料にも残っていた。
「断った手紙も、捨てなかったのですね」
アエミリアが言った。
ヴァンフリートは、原本の折り目を見た。角は丸くなっていたが、紙は破れていなかった。
「返事を貰ってないわけじゃなかったな」
彼は、後の研究帳にある、本人から回答が得られないという記述を手元へ寄せた。
協業は断られていた。それでも、相手の仕事を追うことはやめなかったらしい。




