第10話
はっきりと本人の確認を告げられた女は、その返事をよく覚えていた。
「私から、お尋ねしたのです」
母の残した家を兄とどう分けるか、その処理をリューベックへ頼んだ人だった。今もその家に住んでいて、二人を通した部屋には、小さな子供の靴が暖炉の脇に並んでいた。
窓の外の蔓は葉を落とし、細い枝だけが硝子に触れていた。風が吹くと、その先が軽く擦れた。
「こちらに都合がよすぎるように思えて。後から兄が納得していなかったと言い出したら、また争いになりますから」
女は当時の案を出した。
リューベックは、双方が手放すものと受け取るものを説明し、合意をまとめていた。少なくとも出来上がった仕事に、大きな破綻はなかった。
「その時に、何と聞いた」
「アイスベルク先生ご本人も、この内容を確認されたのですか、と」
女はそこまで話すと、膝へ落ちていた上着の糸屑を摘んだ。
「すぐには、お返事なさいませんでした。ですから、私の聞き方が失礼だったのかと思ったのです。リューベック卿のお仕事なのに、ほかの方が見たかと念を押すようで」
「それで?」
「ええ、と」
糸屑を摘んだ指が、宙で止まった。
「そうおっしゃいました。それだけです」
アエミリアは書き終えてから、顔を上げた。
「その後、アイスベルク様から、ご連絡は」
「ありません。でも、確認してくださったと伺いましたから、こちらから改めて煩わせることもないと思って」
ヴァンフリートは合意書を机へ戻した。
「アイスベルクは、その確認をしていないと言ってる。連絡や報酬の記録にも、今のところ裏付けがない」
女は、摘んでいた糸屑を見た。指先を擦り合わせたが、糸はなかなか離れなかった。
「では、私が伺ったことは……」
「確かめてる。そのために、お前が実際に聞いた返事が要る」
女はしばらく黙った後、同じ言葉を繰り返した。
「ええ、と。間違いありません」
奥の部屋から子供が呼んだ。女は扉の方へ、すぐ行きます、と答えた。
その声を聞きながら、アエミリアは合意書の日付を確かめた。家の処理は済み、今も約束は守られていた。報酬も、決められたとおり支払われている。
「その時には、何も問題は起こらなかったのですね」
「ええ。兄とも、ようやく普通に話せるようになりました」
女は、少し困ったように笑った。
「ですから私は、親戚にもリューベック卿を勧めました」
アエミリアの筆が止まった。
女はその筆を見て、笑みを消した。
「それも、お伝えした方がよいのでしょうか」
「はい。どなたに、いつ頃か、教えていただけますか」
女が話し終えるのを待ち、二人は席を立った。
廊下へ出ると、小さな子供が扉の陰から顔を出した。女の上着の裾を引き、自分の靴を指している。女は屈んで話を聞いた。
玄関を出てからも、家の中の声は少しの間聞こえていた。
「仕事は、きちんとしていたのですね」
アエミリアが言った。
「少なくとも、あの家の処理はな」
「本人が確認したと言わなくても、出来た仕事でした」
「だが、言った方が安心して金を払ってくれた」
ヴァンフリートは外套の襟へ指を入れた。
「で、何も起きなかった。誰も本人に聞かなかった。おまけに次の客まで紹介してもらえた」
アエミリアは、閉じたばかりの手帳へ目を落とした。
たった一言を確かめるために、随分多くのことを聞いた。その返事が交わされた時には、誰も紙へ残そうとは思わなかったのだった。




