第7話
リューベックの事務所は、狭い通りに面した二階にあった。
通りの入口からでも看板は見えた。金文字の縁には雨の筋が黒く残っていたが、登録代言人であることを示す部分は、通行人の目に入りやすいよう大きく書かれていた。
階段を上がった先の扉には、法院の封があった。
ヴァンフリートはそこへ触れず、階下へ戻った。建物の持ち主への取次ぎを頼むと、しばらくして、厚い肩掛けをした女が奥から出てきた。
用向きを聞く間、女は何度か階段へ目をやった。
「また、あの方のことでしょうか」
「家賃の支払いを確かめたい」
「払っていただいた分は、ちゃんと帳面につけていますよ」
「なら話が早い。その帳面を見せてくれ」
女はすぐには動かなかった。
アエミリアが、確認したい時期を伝えた。フリードリヒから六百枚が渡された頃である。
女の表情が変わった。
「その頃でしたら、まとめてお支払いがありました」
「いつだ」
「日付は、見なければ」
女は奥へ戻り、指の幅ほどもある紐で括った帳面を持ってきた。
台の上で紐を解くと、乾いた紙の間から、薄い埃が浮いた。奥では煮物でもしているのか、熱い鍋蓋がかすかに鳴っていた。
幾頁か捲って、女が指を止めた。
リューベックが家賃を支払った日だった。
清算金を受け取った直後に当たっていた。
「全部ではありません。溜まっていた分の、一部です」
女はそう断ってから、受取りの控えも出した。帳面の日付と合っていた。
ヴァンフリートは、支払われた額をアエミリアに写させた。
「その前は、滞ってたんだな」
「ええ。ですが、あの時はまとまった額を持っていらして。これからは遅れずに払えるとおっしゃったものですから」
女は紐を指へ巻きつけかけて、ほどいた。
「仕事が入ったのだと思いました」
ヴァンフリートは何も答えなかった。
記録を返すと、女は念のためというように、開いていた頁をもう一度見た。
そこには確かに金を受け取ったと記されていた。
数字を消すでもなく、その上へ手のひらを置いてから帳面を閉じた。
外へ出ると、狭い通りにはもう日がなかった。
二階の看板だけが、西側の建物に反射した光を受けていた。
階段の窓は暗く、表からは扉の封も見えない。
通りを急ぐ者の目には、いつもと同じ事務所に見えただろう。
アエミリアは歩きながら、写した日付を確かめた。
「六百枚を受け取った後に、滞っていた家賃が払われています」
「ああ」
「その金からでしょうか」
「時期は合う。原資まで確かめる必要はあるがな」
ヴァンフリートは看板を見上げた。
「少なくとも、預かった金がどこにもなくなったって顔をしてる間に、自分の借りは少し減ってる」
アエミリアも足を止めた。
通りの奥で、店じまいをする鎧戸の音が続いた。一枚閉まるごとに、道へ漏れる灯が細くなった。
「シグルーン様の記録には、入金がありませんでした」
「それだけなら、金を貰わずに手を貸した可能性は残る」
「……名前を使うことに、合意していたかどうかですね」
「そうだ。金を取った奴が分かっただけじゃ、俺の依頼人は牢から出られん」
アエミリアは鞄の中の二通を押さえた。
あの手紙が届いた部屋では、支払わなかった男と、受け取ってなお責める女が、それぞれ相手の姿になっていた。
二人の間に置かれた金は、別の家の滞った家賃へ変わっているのかもしれなかった。
けれど、その間にシグルーンがいたことを示すものは、まだリューベックの言葉と、彼が書いた名前だけだった。
ヴァンフリートは看板から目を離した。
「こいつが六百枚を預かる前の仕事を調べる」
「以前の依頼人の方々に?」
「ああ。いつからシグルーンと仕事をしていたことになってるのか、古い順に聞く」
ちょうどその時、向かいの店の最後の鎧戸が閉まった。
看板の金文字からも、光が消えた。




