第6話
アイスベルクの事務所では、エルナが帳簿を用意して待っていた。
外套を脱ぐと、乾いた部屋の空気が肌へ近づいてきた。
窓辺には書きかけの文書が伏せてあり、その横の筆は洗われ、布の上に置かれていた。椅子だけが机の正面へきちんと戻されている。
エルナは二人を隣の机へ案内した。
「受領の帳面と、家計の記録です。ほかに必要なものがあれば、お申しつけください」
ヴァンフリートは帳簿を開く前に、二通の通知の写しを並べた。
アエミリアは、マティルデへ送られた方の日付を指した。
「支払いを拒絶していると伝えたのは、フリードリヒ様が金を渡した後です。こちらの、受領したという通知よりも後になります」
エルナが机の傍へ寄った。
一方には、男が払わないと書かれている。もう一方には、女が受け取ったとある。どちらもリューベックから届いたもので、どちらにも、直接話してはならない理由としてアイスベルクの名が添えられていた。
「初めは、どちらかが嘘をついているのだと思いました」
アエミリアは言った。
「でも、お二人とも、ご自分で確かめたことについては……」
「どっちも本当だ」
ヴァンフリートは、受領証の写しを二通の間へ置いた。
「男はリューベックに払った。女は受け取ってない。金を預かった奴が、その二つの間で別々の話をしてる」
アエミリアは、受領証からマティルデ宛ての通知へ目を移した。
「払ったことを、マティルデ様には隠した」
「で、渡してない金を、渡したと男へ知らせた」
「それを確かめられないように、お二人が話すことを止めたのですね」
「六百枚預かったうえに、互いを嫌う理由まで用意してくれる。親切な代言人だ」
エルナは、手に持っていた帳簿を静かに置いた。
しばらく二通を見ていたが、紙には触れなかった。
「こちらの一行まで、同じなのですね」
彼女の目は、アイスベルクの名の上にあった。
「そこだけは、食い違うと困ったらしい」
ヴァンフリートは二通の間を少し広げた。
アエミリアは椅子へ座り直した。フリードリヒの家で聞いた水音が、まだ耳に残っていた。マティルデの庭でも、水が落ちていた。二人とも相手の口からは聞いていない言葉を、それぞれの部屋で、相手の言葉として話していた。
「シグルーン様も、お話を別々に伺うことはありますね」
アエミリアが言った。
「ある。相手が横に座ってちゃ、言えんこともあるからな」
ヴァンフリートはエルナへ顔を向けた。
「だが、そのまま別々の話で終わらせるか」
「いいえ。最終の条件をお送りする時には、双方へ同じものを届けます。私も発送を扱いますので」
エルナは隣の棚から、綴りを一冊取った。
必要なところを開くと、宛先の違う二通の控えが続いていた。本文は同じだった。条件を伝えた後にも、双方からの返答がそれぞれ挟まれている。
「分からない点があれば、もう一度お話を伺います。お返事が来ただけで、確認が済んだことにはなさらないので」
アエミリアは、同じ文面の上を目で追った。
「離してお話を伺っても、最後には、お二人が同じことを理解しているか確かめるのですね」
「そうしなければ、後で違うお話になりますから」
エルナは当然のことのように答えた。
ヴァンフリートは綴りを閉じ、元の二通へ視線を戻した。
「似てるのは、人を離したところだけだな」
窓の外で車輪が軋んだ。通りを行く荷馬車の影が、天井をゆっくり横切った。
エルナは控えを棚へ戻し、報酬の帳簿を開いた。
そこから先は、しばらく紙を捲る音が続いた。
アエミリアはまず清算金が渡された頃の記録を追い、前後の受領へ範囲を広げた。報酬の帳面にある入金は、家計へ移された分や事務所の支出とも照らし合わせた。
分からない記載に当たるたびエルナへ尋ねると、彼女は答えを急がず、別の控えを持ってきた。
昼の光が窓枠から離れる頃になっても、リューベックの案件に結びつく入金は見つからなかった。
マティルデとフリードリヒの清算を受けた記録もない。確認や監修の報酬として、それに対応する金を受け取った形跡もなかった。
アエミリアは最後の頁から手を離した。
「ここにある記録では、シグルーン様へ金が渡ったことは確認できません」
「そうだな」
ヴァンフリートは、その言い方を直さなかった。
エルナの肩が少し下がったが、彼は続けた。
「帳面に載せず受け取ることもできる。これだけで話は終わらん」
「ほかも、お調べください」
エルナは閉じた帳簿を引き取らず、二人の手の届くところへ残した。
ヴァンフリートは受領証の写しを取り、末尾に記されたリューベックの事務所の所在地を確かめた。
「次は、金を受け取った方だ」




