↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
119/195

第5話

 翌朝、フリードリヒは挨拶を済ませるより先に、受領証を差し出した。


 書斎の窓が少し開いていて、馬丁の声が庭から聞こえた。

 濡れた土と藁の匂いが、部屋にこもる革表紙の匂いへ混じっている。机の上には数枚の書面が揃えられていたが、受領証だけは、その列から離して置かれていた。


「六百枚、全額です」


 フリードリヒは言った。


「家令も立ち会っています。必要なら呼びます」


「呼んでくれ」


 すぐに応じられたことが意外だったのか、彼は一度ヴァンフリートを見た。それから扉の傍の使用人へ指示した。


 受領証は原本だった。


 清算金として六百枚を受け取った旨が記され、その本文に、アイスベルク女史の関与する清算であるという一行があった。末尾の署名はリューベックのものだった。


「この日付で、間違いないか」


「間違いありません」


「金を渡した相手はリューベック本人?」


「そうです。彼へ渡しました。そこからマティルデ嬢へ交付するために」


 呼ばれてきた家令も、現金を用意し、受渡しに立ち会ったことを認めた。屋敷の支出帳の日付も、受領証と一致していた。


 ヴァンフリートは、家令に幾つか確かめた後、礼を言う代わりに頷いた。男が退室するのを待って、フリードリヒが口を開いた。


「私が払ったことは、お分かりいただけましたか」


「リューベックに払ったことはな」


「彼女へ渡すためです」


「そこは聞いた。渡ったところをまだ聞いてない」


 フリードリヒは眉を寄せたが、声は荒らげなかった。机に揃えた書面のなかから、一通を抜いた。


「連絡が来ています」


 そこには、マティルデ嬢が清算金を受領したとあった。


 差出人は、やはりリューベックだった。


 アエミリアは受領証の日付へ目を戻した。こちらの通知は、その翌日に出されていた。


「これが届いてからは、金のことは済んだと思っていました」


 フリードリヒは椅子の背へ手を置いた。


「ところが、まだ払われていないと訴えたという。私が金まで惜しんで彼女を捨てたと、そんなふうに言われるのは――」


 そこで言葉を切り、窓の外へ顔を向けた。


 庭では馬丁が馬の脚を洗っていた。桶の縁を打つ水音が、開けた窓から明るく入ってきた。


「本人に聞いたか」


 ヴァンフリートが尋ねた。


「マティルデ嬢に、ですか」


「ほかに誰がいる」


「直接の連絡は避けるようにと言われています」


 フリードリヒは、受領済みの通知の下半分を示した。


 そこにもアイスベルクの名があった。


 清算後に当事者同士が接触することは、双方の感情を刺激し、不要な争いを招く。アイスベルク女史の方針に従い、連絡は代言人を通すようにとある。


 アエミリアは手帳を開いた。


 昨日、マティルデの手紙から写した文面があった。二つの日付を見比べ、その下の一行へ目を移した。


「こちらにも……」


 ヴァンフリートが手を出した。


 アエミリアは手帳を渡した。彼は一度だけ読み、机の上の通知を見た。


「この返事を受け取った後、アイスベルクと会ったか」


「いいえ。リューベック卿を通していました」


「本人から手紙は」


「ありません」


 フリードリヒは椅子を引いて座った。さっきまで立ったまま話していたことに、その時ようやく気づいたようだった。


「私は、金だけ渡せばそれでよいとは思っていませんでした。彼女にも同じ条件が伝わっていると聞いて、それなら後から揉めずに済むだろうと」


 ヴァンフリートは答えず、もう一度、受領済みの通知を読んだ。


 フリードリヒは彼の顔を見ていたが、やがて机の上の紙へ視線を落とした。


「その書面に、何か問題があるのですか」


「書いた男の報告が、相手に届いた報告と合わん」


「マティルデ嬢への?」


「確認を続ける。お前が金を渡した事実は、今の話と記録に沿って扱う」


 ヴァンフリートは、二枚の書面を写す許可を求めた。


 フリードリヒは頷いた後、受領証を持ち上げかけた。アエミリアがまだ写しているのを見て、その手を引いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。