第5話
翌朝、フリードリヒは挨拶を済ませるより先に、受領証を差し出した。
書斎の窓が少し開いていて、馬丁の声が庭から聞こえた。
濡れた土と藁の匂いが、部屋にこもる革表紙の匂いへ混じっている。机の上には数枚の書面が揃えられていたが、受領証だけは、その列から離して置かれていた。
「六百枚、全額です」
フリードリヒは言った。
「家令も立ち会っています。必要なら呼びます」
「呼んでくれ」
すぐに応じられたことが意外だったのか、彼は一度ヴァンフリートを見た。それから扉の傍の使用人へ指示した。
受領証は原本だった。
清算金として六百枚を受け取った旨が記され、その本文に、アイスベルク女史の関与する清算であるという一行があった。末尾の署名はリューベックのものだった。
「この日付で、間違いないか」
「間違いありません」
「金を渡した相手はリューベック本人?」
「そうです。彼へ渡しました。そこからマティルデ嬢へ交付するために」
呼ばれてきた家令も、現金を用意し、受渡しに立ち会ったことを認めた。屋敷の支出帳の日付も、受領証と一致していた。
ヴァンフリートは、家令に幾つか確かめた後、礼を言う代わりに頷いた。男が退室するのを待って、フリードリヒが口を開いた。
「私が払ったことは、お分かりいただけましたか」
「リューベックに払ったことはな」
「彼女へ渡すためです」
「そこは聞いた。渡ったところをまだ聞いてない」
フリードリヒは眉を寄せたが、声は荒らげなかった。机に揃えた書面のなかから、一通を抜いた。
「連絡が来ています」
そこには、マティルデ嬢が清算金を受領したとあった。
差出人は、やはりリューベックだった。
アエミリアは受領証の日付へ目を戻した。こちらの通知は、その翌日に出されていた。
「これが届いてからは、金のことは済んだと思っていました」
フリードリヒは椅子の背へ手を置いた。
「ところが、まだ払われていないと訴えたという。私が金まで惜しんで彼女を捨てたと、そんなふうに言われるのは――」
そこで言葉を切り、窓の外へ顔を向けた。
庭では馬丁が馬の脚を洗っていた。桶の縁を打つ水音が、開けた窓から明るく入ってきた。
「本人に聞いたか」
ヴァンフリートが尋ねた。
「マティルデ嬢に、ですか」
「ほかに誰がいる」
「直接の連絡は避けるようにと言われています」
フリードリヒは、受領済みの通知の下半分を示した。
そこにもアイスベルクの名があった。
清算後に当事者同士が接触することは、双方の感情を刺激し、不要な争いを招く。アイスベルク女史の方針に従い、連絡は代言人を通すようにとある。
アエミリアは手帳を開いた。
昨日、マティルデの手紙から写した文面があった。二つの日付を見比べ、その下の一行へ目を移した。
「こちらにも……」
ヴァンフリートが手を出した。
アエミリアは手帳を渡した。彼は一度だけ読み、机の上の通知を見た。
「この返事を受け取った後、アイスベルクと会ったか」
「いいえ。リューベック卿を通していました」
「本人から手紙は」
「ありません」
フリードリヒは椅子を引いて座った。さっきまで立ったまま話していたことに、その時ようやく気づいたようだった。
「私は、金だけ渡せばそれでよいとは思っていませんでした。彼女にも同じ条件が伝わっていると聞いて、それなら後から揉めずに済むだろうと」
ヴァンフリートは答えず、もう一度、受領済みの通知を読んだ。
フリードリヒは彼の顔を見ていたが、やがて机の上の紙へ視線を落とした。
「その書面に、何か問題があるのですか」
「書いた男の報告が、相手に届いた報告と合わん」
「マティルデ嬢への?」
「確認を続ける。お前が金を渡した事実は、今の話と記録に沿って扱う」
ヴァンフリートは、二枚の書面を写す許可を求めた。
フリードリヒは頷いた後、受領証を持ち上げかけた。アエミリアがまだ写しているのを見て、その手を引いた。




