第3話
勾留審問の部屋は、普段の法廷より狭かった。
窓の下には、雨に濡れた靴が残した跡が幾筋も重なっていた。
暖炉には火が入っていたが、扉が開くたびに廊下の冷気が床を這い、足元だけがなかなか暖まらなかった。
シグルーンは衛兵に伴われて入ってきた。
アエミリアの目が、いつもの癖で代言人の席へ向いた。その手前を、シグルーンは通り過ぎた。
ヴァンフリートが立って待っていた。
王国代訴官は、二人が席へ着くのを見届けてから綴りを開いた。
声を張ることもなく、まず、この場で審理するのは有罪無罪ではなく、刑事公判まで身柄を留め置く必要があるかどうかだと述べた。
裁定官が頷いた。
代訴官は、リューベックの供述に続いて、過去の依頼人から得た話を示した。
「アイスベルク女史が内容を確認した、と説明された者がいます。また別の者は、女史の監修を受けた案件として依頼しています。説明を受けた時期は異なり、今回の六百枚の清算より以前に遡ります」
アエミリアは書き留めながら、「説明された」という箇所の下に短く線を引いた。
「リューベック卿は、それらがすべて実際の共同関与に基づくものだったと供述しています。今回の清算についても、女史の関与を記した受領証が存在します」
代訴官が一枚を掲げた。
原本の写しだった。遠くからは細かい文言まで読めなかったが、中央の行にアイスベルクの名があった。
ヴァンフリートが口を開いた。
「その受領証を出したのは誰だ」
「リューベック卿です」
「六百枚を受け取ったのも?」
「同人です。ただし、その後の管理と分配については、なお確認が必要です」
「そこは分けて記録してくれ。リューベックが金を受け取ったことと、こいつが共同で受け取ったことは同じじゃない」
「その点を確認するために、調べています」
代訴官の返事は静かだった。
「一枚の受領証だけで、女史の関与が証明されたとは申しません。しかし、本人の共犯供述に加え、複数の案件で長期間にわたり同じ名が使われています。二人には、過去に同じ事件を扱った接点もあります」
「接点は認める。対立する側だった」
「敵対していたことから、その後の協力が不可能だったとは言えません」
「言ってない」
ヴァンフリートは椅子の背から身を離した。
「過去の依頼人が、こいつの関与を聞いた相手は?」
「現在までに確認できている限り、リューベック卿です」
「同じ話を十人が聞いても、喋った口が一つなら、十人分の裏付けにはならん」
「複数の説明が、すべてリューベック卿一人の虚偽だった可能性はあります」
代訴官はそこで紙を置いた。
「同時に、女史が関与していながら、依頼人との接触を同人に任せていた可能性も残ります。現段階では、いずれとも判断できません」
暖炉の中で、薪が小さく崩れた。
裁定官はシグルーンへ顔を向けた。
「共同受任、監修、名義使用への承諾、金銭受領。いずれも否認するということでよいか」
「はい。私の関与はありません」
声は、面会室で聞いた時と変わらなかった。
裁定官はその返答を待って書記へ頷き、代訴官に勾留の必要性を説明させた。
捜査は、今回の清算だけではなく、リューベックが扱った過去の案件へ及んでいた。
誰の受任記録がどこにあり、誰が実際に関与したのか、まだ確認の済んでいないものがある。
未聴取の当事者も残っており、供述の内容からすれば、両名の連絡経路と記録への関与を確かめる間、外部との接触を制限する必要があるという。
ヴァンフリートは、シグルーンの居所が定まっていること、記録の提出に応じる意思があることを述べた。
関係者との接触を禁じ、必要な資料を保全したうえで、身柄を解くよう求めた。
代訴官は、なお記録の所在と関係者の範囲が固まっていないとして反対した。
裁定官は双方の話を聞き終えると、手元の紙を暫く見ていた。
アエミリアには、その間だけ、部屋の中の物音がひどくよく聞こえた。
書記が筆先を拭く音も、扉の傍で衛兵が靴を踏み直す音も、窓の外で馬車が水を撥ねる音も聞こえた。
「現時点では、勾留を継続する」
シグルーンの手が、膝の上で止まった。
「複数案件への関与が疑われ、関係する記録と供述の確認が終わっていない。刑事公判まで引き続き身柄を留め置く。ただし、本人の否認と、説明の出所が現段階ではリューベックに限られるとの指摘は、明確に記録する」
書記が書き始めた。
ヴァンフリートは、身柄を留め置くとの言葉に重ねて何かを叫びはしなかった。
書記の筆が止まるのを待ち、弁護に必要な資料の閲覧と、本人との面会について確認した。
シグルーンは、その間、裁定官を見ていた。
退室を促されてから、ようやく手袋を取った。
廊下で許された短い時間に、シグルーンは事務所の記録について話した。
「保管してあるものは、エルナに出させてください。私の報酬の帳簿も含めて」
「お前の仕事は、お前がいないと一枚も出てこない仕組みかと思ってた」
「私が不在になるたびに仕事が止まっては、困りますから」
「今回は少し長いぞ」
「ですから、お願いします」
ヴァンフリートは黙って頷いた。
シグルーンの目が、一度、廊下の先へ動いた。明るい方の扉では、衛兵が出入りする者の名を確かめていた。その向こうを、人の影が幾つも通った。
彼女を待つ衛兵は、反対側に立っていた。
「ローエンハイム卿」
「何だ」
「私の言葉についても、確認を」
「言われなくてもやる。お前はもう依頼人だ」
シグルーンは軽く頭を下げた。
アエミリアにも同じように会釈をして、衛兵の方へ歩いた。扉の前で立ち止まり、開けられるのを待つ。その短い間、彼女は手袋をはめようとはしなかった。
扉が閉じるまで、アエミリアはそこにいた。
外へ出ると、雲の切れ間から弱い日が差していた。
法院の石段に溜まった水が光り、往来の人々は朝よりもずっと速く歩いていた。パンを積んだ荷車が曲がってきて、車輪に押された泥水が溝へ流れ込んだ。焼いた粉の匂いが、湿った石の匂いをしばらく覆った。
待っていたエルナに勾留継続を告げると、彼女は唇を結び、事務所の記録を用意すると答えた。
ヴァンフリートは、何も選り分けず、そのまま見せるよう伝えた。
エルナが去った後、アエミリアは鞄から聞き取りの紙を出した。風で捲れないよう手を添え、マティルデの名の傍へ目を落とす。
「まず、マティルデ様にお会いしますか」
「ああ」
「一枚も受け取っていない、と」
「向こうの男は、六百枚払ったと言ってる」
ヴァンフリートは外套の襟を直した。
「どこで話が食い違ったのか、本人たちに聞く」
石段の下を、新聞売りの少年が走っていった。朝より薄くなった紙束を小脇に抱え、まだ声を張っている。
アエミリアは鞄を閉じた。
振り返ると、さっき通った脇門はもう閉まっていた。その前を、アイスベルクの名を掲げた新聞が、人の手から人の手へ渡っていった。




