第八演目 信じる
ジョエルはウンガン(魔術師)である。といっても、まだ修行を終えたばかりの、駆け出しの魔術師だ。まだ誰にもその名を知られていないし、使うことができる魔術もわずかだった。
これだけは失敗しないと自信があるのは、どんなのもでも木に変えてしまう魔術、たった一つだけ。これだけは、目をつぶっていても、眠たい時でも間違いなくぴったりと成功させることができた。だが、それが何の役に立つと言うのだろう?
人々がウンガンに求める魔術は、もっと華やかで、強力で、実用的だった。例えば、石ころを金に変える魔術。精霊を呼び出し、従える魔術。憎い相手を呪う魔術。そしてひときわ難しく、人気があったのが――死者を操る魔術だった。
ある新月の夜、ジョエルは村の墓場に忍び込んだ。そして、恐ろしい儀式を初めて一人だけで実行した。
立ち並ぶ十字の墓の下には、何十、何百人もの死者が眠っている。ジョエルはあらかじめ目星をつけておいた墓の前に来て、師匠に習った呪文を唱えた。
呪文を唱え終わるが早いか、墓の下の大地が割れ、中から土まみれの男が現れた。灯りのもとでその姿をじっくりと見る。開いた目には生気がなく、両手はだらんと垂れていて、髪はほとんど抜け落ちていた。腐った肉のにおいが、つんとジョエルの鼻を刺した。
ひどいにおいだったが、ジョエルは満足げにうなずいた。目の前にいる男は、数ヶ月前に死んだウンガンだ。ジョエルと知り合い同士だったが、仲は悪かった。同じ師匠の元で魔術を学び、その男は常にジョエルよりも優秀だった。
ところがどうだ。今では、ジョエルが彼を従える立場になった。墓から蘇った死者は、ウンガンの命令を何でも聞くという。
ナタンというその男を家に連れて帰り、翌朝からさっそく畑仕事をさせた。二アルパンほどの広い畑が半日もしないうちによく耕され、種をまくばかりになった。腰を曲げて種を落としていくナタンを眺め、ジョエルはますます嬉しくなった。
ナタンのことは、大嫌いだった。生前、ウンガンの師匠に気に入られているのをいいことに、できの悪いジョエルをからかったり、えらそうに指図をしたからだ。ナタンにがみがみと叱られながら、いつか彼を召し使いのように使ってやりたいと何度夢見たことか。
あくる日、山からトラが下りてきて、村の人々を襲った。何人も食い殺され、逃げ遅れたジョエルももう少しでその恐ろしい牙にかかるところだったが、側に仕えていたナタンがトラに飛びかかった。そして、並外れた腕力でトラを捕まえ、倒してしまった。
村人たちの賞賛の声にもナタンは答えず、ただ黙ってジョエルの後をついて歩いた。ジョエルは、ナタンがとうとう自分の手下になったのだと内心勝ち誇った。あの、俺をいじめたナタンが! うれしかったので、その夜家で酒を飲んだ。ナタンにも少しだけ分けてやったが、ナタンは押し黙ったまま何も口にしようとしなかった。死者は飲み食いをしないのだ。
ナタンを誰かに盗まれてはいけないので、ジョエルはひどいにおいも我慢して、ナタンを家の中で寝かせていた。ナタンはいつも黙っているが、ある夜ぽつりとつぶやいた。
――パパ・ゴッドのもとにはいきたくない。
それを聴いたジョエルは、自分が夢を見ているのか、ナタンの寝言だろうと思った。死者はしゃべらないし、願いを持たない。師匠の教えだ。
蘇ったナタンを手下にしてから一ヶ月ほど経ったころ、もう危険なこともなかろうと思ったジョエルは、彼を連れて師匠の元へ行った。
師匠は偉大なウンガンである。死者を何人も召使いとして使い、しゃべるヤギや元々人間だった鳥たちと暮らしていた。だが、弟子に対しては冷淡だった。
変わり果てた様子のナタンを見ても、師匠は驚きも悲しみもせず、ただジョエルの手際のよさをほめた。そこでジョエルは、ナタンを召使いとしてゆずる代わりに難しい儀式のやり方を教えてほしいと頼み込んだ。
その儀式とは、ハイチ中を暴れ回る病気の精霊を殺すことだ。精霊や神を呼び出すことはたやすくても、人間よりはるかに力の強い彼らを殺すことはとても難しい。だが、師匠は喜んでその儀式を教えようと言ってくれた。
師匠に教わった儀式を、さっそくジョエルは試してみることにした。はやり病に苦しむ故郷の村で、たくさんの見物人を集めて儀式の準備をした。師匠やその手下までもが見届けにやってきた。ナタンは、黙々とジョエルを手伝った。
薬の調合も、生け贄の用意もできた。間違いがないかどうか何度も師匠に見てもらい、とうとう準備は完了した。あとは、真夜中を待つだけだ。儀式が成功すれば――するに決まっている――長年皆が苦しんだ病からようやく解放される。村の人々は早くも宴を開き、わくわくしながら待っていた。
ところが、真夜中になるほんの少し前、みなの前でナタンが口を開いた。
「この儀式は失敗する。呪文が間違っている」
盛り上がっていた会場が、しんと静まり返った。最初に言い返したのは、師匠だった。
「間違ってなどおらん。この私が教えたのだ」
そして、ジョエルに優しい声で言った。
「自信をもて、ジョエル。お前はナタンよりも魔術の才能がある」
それを聴いてジョエルは嬉しくなった。だが同時に、兄弟子のナタンに魔術を教えてもらった時のことを思い出した。ナタンは嫌な奴だったけれど、魔術の知識だけは本物だった。彼から教わったことが間違っていることなど、決してなかった。
そして真夜中が来た。皆がジョエルを待っている。ジョエルはふとした隙をついて、ナタンにささやいた。
「正しい呪文を教えてくれ」
ナタンはすらすらと呪文を答えた。教わった呪文とは全く違う。
じっくりと考える暇もなく、儀式が始まった。薬を飲み、生け贄を殺した。師匠や村の人々が、固唾をのんで見守っている。ぱちぱちはぜるたき火のそばで、ジョエルはナタンの呪文を唱えた。
たき火の上に、病気の精霊が現れた。そのおぞましいみかけとまきちらされる死の臭いに、みなが恐れをなして距離をとった。ジョエルはナタンの呪文をひたすら唱えながら、たき火にまきをくべ続けた。精霊は火に焼かれ、おたけびを上げていたが、やがて燃え尽きた。
村の人々は大喜びした。ジョエルを取り囲み、口々にお礼を言った。しかしその後ろで、師匠とその手下が、怒りをこめてジョエルを睨んでいた。病気の精霊は、生け贄をもらうと言うことを聴くようになる。ジョエルを生け贄に、精霊を従えようとしていたのだ。
成功を祝う盛大な宴が催される中、ジョエルはナタンとともにこっそり逃げ出した。師匠の報復を恐れたのだ。森の中に隠れ、茂みの影で眠った。ナタンはやはり何も言わず、ジョエルのそばにいた。
ジョエルの夢に、パパ・ゴッドが出てきて言った。
「ナタンを苦しみから解放してやりなさい。私の元で、安らかに眠らせてやるのだ」
目を覚ましたジョエルは、ナタンに尋ねた。
「あの時なぜ、正しい呪文を教えてくれた?」
ナタンは答えた。
「正しい答えを知っていたから」
「一度死んでも、覚えていたのか?」
ナタンはうなずく。
「思い出も、意志も、何もかも持って私はここに戻ってきた」
ジョエルは、ナタンの血の気が失せた顔をじっと見た。ナタンも黙って見返した。墓から蘇った彼に自分が一体何をしたか、ジョエルは一つ一つじっくりと思い出していった。
――パパ・ゴッドの元には行きたくない。
いつかの夜のナタンの言葉をふと思い出したのか、それともナタンが今同じことをつぶやいたのか。ジョエルはその言葉を胸の中で何度も転がした。ナタンももう何も言わず、ジョエルのそばにいた。
夜が明けると、ジョエルは、ナタンを一本のオレンジの木に変えた。そして、自分は故郷の村に戻っていった。立派なウンガンのお帰りだと、村の人々が歓迎してくれた。
ジョエルが年老いて、パパ・ゴッドの元へ旅立っていった後も、オレンジの木はその森の中にひっそりと立っている。
閉幕




