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逆さまの葬儀師カリン  作者: 黒糖あずき
霊子カルテ No.1 イングリッド・ヴァンス

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5/8

05

 巨万の富を築いたイングリッド・ヴァンスの葬儀(ミサ)――その前日の明け方、寝ずの番を務めるのは彼女の親戚たちとその家族だ。


――おいおい、その話まじかよ

――当たり前だろ? 誰があんな女を惜しむってんだ

――泣き女が葬儀にいるなんて、想像するだけで笑っちまうぞ!


 豪奢なマホガニーのダイニングテーブルの上には、食べ散らかされた料理の残骸と空になったボトルが乱雑に転がっている。

 窓の外に広がる霧は、屋敷の中に充満する酒の臭気と、剥き出しになった人間の欲望を紗の(とばり)のようだった。


――あのプリンスウッドの土地は、私が管理するのが妥当だろう。

――何だと? 叔母上は生前、私に商会を任せるといっていたんだぞ。なら、そこも俺が貰い受けるのが筋ってもんだろ?


 高級なエールやワインを遠慮なく煽り、親戚たちは故人の話で盛り上がっている。

 寝ずの番の最中、酒を飲み、歌い、時には騒がしいゲームをして過ごすこと自体には何もおかしな所はない。それには、【死の恐怖を追い払う】という意味合いがあるからだ。

 しかし、イングリッドの寝ずの番はどうもそれとは違うようだった。


――ちょっと待ちな。んな話、聞いたこともないね! それはアタシんだよ!

――これは男たちの闘いなんだよ


 イングリッドが眠る棺のすぐそばで、赤ら顔の男女が醜い舌戦を繰り広げている。彼らの笑い声は棺の中の沈黙を汚す、泥を投げつけるような響きを孕んでいた。


――女はすっこんでな

――その女からかすめ取ろうって野郎はどこのどいつだろうね? アタシにだって権利はあるよ


 その様子からこの別れのために設けられた数日が、彼らにとって悲しみを惜しむ時間ではなく、ただの略奪の宴を開くためのボーナスタイムでしかないことは、火を見るよりも明らかだった。


――だははははははははハッ! 言えてらァッ


 偲ぶふりをして、その実、遺産の分け前についての算段に花を咲かせているなんて――。


「これは、また……」


 なかなかに酷いものだとカリンは独り言ちる。

 グラスがぶつかり合う下品な音と、欲望に塗れた罵声。芳醇な葡萄の香りは本来の輝きなど無かったかのように噎せ返る臭みを含んでいる。

 その濁流の中に身を置きながら、カリンは冷えきった吐息を吐き出した。


「う、うわっ!」


 薄暗い広間の出入り口に突然見えた人影に、野卑な話に後ろめたさを感じた者たちが過剰に反応した。


「おおおおぉ驚かすなよ!? いつからそこに! 何勝手に入ってきてんだ! 弔問の期間は昨日で終わったんだぞ。今日は身内水入らずで――」


 イングリッドを叔母だと言っていた男がカリンの肩を掴もうとしたが、彼女はするりと猫のように身体を逸らしていとも簡単に拘束の手を逃れる。


「失礼致しました。なにぶん遠方に住んでいるもので、イングリッドの訃報を耳にするのが遅れてしまいまして……。時間が過ぎているのは重々承知なのですが、どうか最後の挨拶をさせて頂いても? 彼女には生前大変お世話になりましたので……」


 小柄な見目の良い女が啜り泣けば大体の男は態度を軟化させるのだとヘリオの教えを思い出し、出来る限り『頼みを聞いてあげたくなる女性』を実演してみせる。


「さっ、さっさと済ませてくれよ」


 鼻の下を伸ばした男を見て、ヘリオの話し通りの反応が返ってきたことに密かに安堵する。


(なるほど、これは便利ね)


 羞恥心が……なんて、そんなものはない。カリンは合理主義でもある。自分のキャラじゃなかろうが何だろうが、武器になるものはどんどん使っていこうと、密かに決意する。


「お気遣い感謝致します」

「お、おう」


 頬を染めてそわそわと落ち着かない男の横を通り過ぎ、棺の前へ足を止めた。


「急に逝きやがって、遺言もねーからコイツが置いてったモンで揉めて、最後までいい迷惑だぜ」


 執拗に周りを飛ぶ羽虫のように男がカリンに付き纏う。


「ねーちゃんも苦労したんじゃねーか? ほら、まるでこっちを嘲笑っているような、安らかな死に顔だろ?」


 忌々しげに吐き捨てる男にカリンは厭悪の眼差しを向ける。


「ヒィッ」


 カリンの纏う気迫は圧倒的で、気圧された男の膝が生まれたての子鹿のように笑い出した。


「じ、じゃあ、俺はあそこに戻るからっ」


 裏返った声でそれだけ叫ぶと、もつれる足を必死に動かし這う這うの体となって古巣に戻って行った。

 再び戻った静寂の中で、イングリッドの安祥とは程遠い死に顔を見つめる。


「……苦労したのね」


 彼女は男社会のこの世の中で、職業婦人として若くして巨万の富を築きあげた努力の人。決して親しい人を作らず、生涯を仕事に捧げたとな。

 彼女がどれほど気を張って闘っていたか。


「最後は過労に倒れるなんて」


 カリンは静かに胸の前で両の手のひらを合わせた。

 暫しの沈黙が重く場を支配する。

 カリンはそう呟き、思い耽るのは自室で読み込んだイングリッドの過去だ。

 彼女の壮絶な人生はまだまだ十分の一も読み込めていない。


「貴女は何を置いてきてしまったのかしらね」


 冥府の鏡片に映った、あの枯れた花。

 それが彼女をこの世に繋ぎ止める、最後の未練に関わることは確かだった。


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