第6話 ピンチと手紙と、なんかちょっとやだな
朝、街が騒がしかった。
《灰色熊亭》の食堂に下りると、女将が険しい顔でカウンターに立っていた。客の数はいつもより少ない。残っている客も、声を潜めて話している。
「……何かあったか?」
アルドが聞くと、女将は腕を組んだまま言った。
「自警団が今朝から動いてるよ。街の商人に片っ端から取り立てに回ってる。額が倍になってる」
アルドは黙って聞いた。
「昨日まで銅貨五枚だったのが、今日から銀貨一枚だ。払えなければ店の前に隊員を立たせると言ってるらしい」
「そうか」
「……あんたのせいだよ、これ」
女将の声に、アルドに対する怒りはなかった。ただ、事実を言っている声だった。
「わかってる」
「どうするんだい?」
アルドはパンをちぎりながら、静かに言った。
「好都合だ」
女将が、じっとアルドを見た。
「……あんた、正気かい?」
「至って」
昼前には、商人たちが《灰色熊亭》に集まってきた。
ベリン、ダレン、それから先日の布屋、鍛冶屋、薬屋の老人。さらに見知らぬ顔も二人混じっていた。噂を聞いて自分から来たのだろう。
全員、顔色が悪かった。
「……どうするんですか!?」布屋の男が、テーブルを叩く勢いで言った。「倍ですよ、倍。うちはもう限界なんだ」
「約束が違う!」と鍛冶屋が低い声で言った。「動かなくていいと言ったじゃないか!でも実際には俺たちが割を食ってる!」
他の声も重なった。
アルドは全員が言い終わるまで、黙って待った。
それから、静かに言った。
「好都合だ」
全員が、一瞬黙った。
「……好都合?」布屋の男が、素っ頓狂な声を出した。
「向こうが動いた。つまり、こちらが動く理由ができた」アルドは全員を見渡した。「今まではこちらから仕掛ける形だった。でも今日から違う。向こうが先に動いた。それは、向こうが焦っているということだ」
沈黙。
ベリンが、低い声で言った。「……焦ってる、か?」
「得体の知れない男が現れて、商人たちをまとめ始めた。自分たちの構造が崩れるかもしれないと感じた。だから力で押さえようとした」アルドは続けた。「力で押さえるのは、他に手がない時にやることだ」
薬屋の老人が、ゆっくりと息を吐いた。「……なるほどな」
「ただし」アルドは言った。「今日から少し動きが速くなる。耐えられるか?」
全員が、顔を見合わせた。
革細工屋の女が、静かに言った。「……やるしかないでしょう、ここまで来たら」
それが合図になった。
一人ずつ、頷いていった。
商人たちが帰ってから、アルドはエリシアを呼んだ。
「手紙を書く」
「誰にですか?」
「王都の貴族だ。自警団の隊長と繋がっている」
エリシアが、しばらくアルドを見た。
「……正気ですか?」
「至って正気だ」
「どうやって届けるんですか?王都まで」
「女将に頼む」
エリシアの目が、大きくなった。
「女将さんに?」
「長年この街で商売をやってきた人間だ。王都に繋がる人脈がないはずがない」
エリシアが、何か言いたそうな顔のまま、女将のカウンターに目をやった。
女将は相変わらず、どっしりとカウンターに立っていた。
女将に話を持っていくと、女将は腕を組んだまま黙って聞いていた。
アルドが話し終えると、女将はため息をついた。
「……王都の貴族に手紙を届けてほしい、か」
「繋がりがあれば、でいい」
「あるよ」女将は、あっさりと言った。「王都で宿をやってる同業の知り合いがいる。そこの亭主が貴族の使用人と懇意にしてる。回り道だけど、届けられないことはない」
エリシアが、隣で小さく息を呑んだ。
アルドは女将を見た。
「……頼めるか?」
「条件がある」
「なんだ?」
「内容を教えなくていい。でも、これが原因でうちの店に火の粉が飛んできたら、あんたが全部被ること」
「わかった」
女将が、じっとアルドを見た。
「……あんた、私を何だと思ってるんだい?」
「頼りになる人だと思っています」アルドはにっこりと微笑んだ。
女将が、鼻を鳴らした。でも、口元が微妙に緩んでいた。
「……まったく。変なおじさんを拾っちまったよ」
夕方、アルドは街の外れに向かった。
エリシアから聞いた情報の中に、一つ気になる名前があった。街の外れに住む元騎士。自警団の横暴に憤慨しているが、一人では動けずにいるという。
石造りの小屋の前に、男が一人、薪を割っていた。
五十がらみ。背が高く、肩幅が広い。年齢の割に身体つきがしっかりしている。でも、目に覇気がない。くすぶっている人間の目だ。
「ガルドか」
男が振り返った。警戒の色がすぐに出た。
「……誰だ、あんた?」
「アルド・グレインという。少し話を聞いてくれ」
ガルドは薪割りの斧を下ろした。値踏みするような目でアルドを見た。
絶対交渉権が、静かに動く。
怒りがある。長い間、理不尽を黙って見てきた怒りだ。動けない自分への不甲斐なさもある。でも根は真っ直ぐだ。筋を通せば、動く。
「自警団の件で来た」
ガルドの目が、細くなった。
「……何をする気だ?」
「潰す」
短い沈黙。
「……一人で、か?」
「一人じゃない。ただ、剣を持てる人間がまだいない」アルドは言った。「俺の用心棒をやってくれ」
ガルドが、しばらくアルドを見た。
「……報酬は?」
「今は出せない。でも必ず出す」
「なぜ信用できる?」
「信用するかどうかはお前が決めることだ」
ガルドが、低く笑った。笑い方に、懐かしさがあった。かつて、こういう物言いをする人間と働いたことがあるのかもしれない。
「……条件がある」
「聞く」
「自警団を潰すだけじゃなく、この街をちゃんとする。それが目的なら手を貸す。ただ追い払うだけなら、俺には関係ない」
アルドは少し考えた。
「ちゃんとする、というのは俺も同じ目的だ」
ガルドが、息を吐いた。
「……わかった。乗る」
アルドは小さく頷いた。
また一つ、駒が揃った。
夜。
アルドは手紙を書いた。
王都の貴族への手紙だ。
脅しでも懇願でもない。
書き出しは、こうだ。
「突然のご連絡をお許しください。私はヴァレリア王国東端より参りました、アルド・グレインと申します。貴殿にとって有益な取引の提案がございます」
前世で、こういう手紙を何通書いたかわからない。国を動かす前も、組織を動かす前も、最初は必ずこの形から始めた。
相手を追い詰めない。逃げ道を塞がない。ただ、こちらの方が得だと気づかせる。
それだけだ。
アルドはゆっくりと書き続けた。
部屋の反対側で、エリシアが手紙の内容を覗き込もうとして、やめた。覗いていいものかどうか、迷っている気配がした。
「見てもいい」
エリシアが、少し驚いた顔をしてから、近づいてきた。
手紙を読んで、しばらく黙っていた。
「……脅さないんですね?」
「脅しは最後の手段だ。最初に使うと選択肢が減る」
「貴族が乗ってくるとは限らないですよ」
「乗らなければ、次の手を打つ」
エリシアが、手紙から目を離してアルドを見た。
「……グレイン様って」
「なんだ」
「なんか、顔色よくなりましたね」
アルドは筆を止めた。
「……そうか?」
「最初に会った時より、なんか、その」エリシアが、言葉を探した。「肌の感じが、違う気がして」
「気のせいじゃないか?」
「気のせいじゃないと思います!」エリシアは、じっとアルドを見た。「…なんか…ちょっと……やだな」
アルドが、顔を上げた。
「?」
エリシアが、さっと視線を逸らした。
「……なんでもないです。続けてください」
アルドは、少しの間エリシアを見た。
それから、何も言わずに筆を持ち直した。
窓の外で、夜風が静かに吹いていた。
吸って。溜めて。吐く。
筆を走らせながら、アルドは思った。
氣功を始めてから、まだほんの数日だ。でも身体の奥から何かが変わり始めているのは、自分が一番よくわかっている。
エリシアに違いがわかるほど、外に出てきているとは思っていなかった。
だとすれば、この先が少し楽しみだ。
手紙を書き終えた。後は、相手がどう動くかだ。




