第49話 それでも、世界は続く
翌朝、王宮は静かだった。
昨夜の騒ぎが嘘のようだ。廊下の壁に砕けた跡がある。石が散らばっている。修繕の職人たちがすでに動き始めていた。
城内の狂戦士は全員制圧済み。城下も収まった。ヴィクトルは独房に幽閉されている。目が開いたまま、何も喋らない。何も喋れない状態だ。
アルドは宿に戻って、朝まで眠った。
起き上がったとき、腰が「約束だぞ、我が友」と言ってきた。
(わかっている。今日はゆっくり休む。約束通りだ。暴君ディオニス、何するものぞ)
腰が「本当だな?」と言ってきた。
(本当だ。嘘だったら俺を思いっきり殴ってくれ。我が友セリヌンティウスよ)
昼前、広間でガイウスの姿を見かけた。
ガイウスが何人かの貴族に囲まれていた。口々に「伯爵」と呼ばれている。ガイウスが呼ばれるたびに、わずかに背筋が伸びる。照れている。
意外と、褒められ慣れていないんだな、あのおっさん。
クロードが隣に立っていた。
いつもなら「おいたわしや……旦那様……」と目を閉じているところだ。
今日は違った。
「……おめでとうございます、旦那様」
ガイウスが振り返った。クロードを見た。
「……クロード」
「はい」
ガイウスが少し目を赤くした。
「私は……やっと、認められたのか?」
「とっくに認められておりました。旦那様が気づいていなかっただけでございます」
ガイウスが「そうか」と言った。それだけだった。
このおっさんたち、本当にいい関係だな。
アルドはそう思ったが、黙っておくことにした。
夕方、エリシアに呼ばれた。
案内されたのは小さな部屋だった。窓から王都が見える。静かだ。誰もいない。二人きりだ。
エリシアが窓の外を向いていた。アルドが入ってきても、すぐには振り返らなかった。
しばらく、何も言わなかった。
「終わりましたね」
エリシアが言った。
「ああ」
また少し間があった。
「……ありがとうございます」
静かな声だった。
「礼はいらない」
「受け取ってください」
エリシアが振り返った。珍しく、譲らない目だった。
いつもの毒舌でも、ツッコミでもない。ただ真っ直ぐな目だった。
アルドは少し考えた。
「……わかった」
エリシアが小さく息をついた。
それから、懐から一通の書状を取り出した。
「これが、私のお礼です」
受け取った。
王家の紋章が押してある。アルドの名前が書いてある。その下に——爵位が書いてあった。
(……子爵)
アルドは書状を見た。それからエリシアを見た。
「建国初の、子爵叙勲です」
エリシアが言った。「本来なら騎士爵か、よくて男爵のところを——今回はそれだけ大きな功績を上げていただきましたので。父にも認めさせました」
(認めさせた、か)
アルドは書状をもう一度見た。
(この女、何かを考えている……?)
絶対交渉権を走らせた。エリシアの内側を読もうとした。
欲望の輪郭が、ある。ただ——読めない。いや、途中までは読めるが——その奥に、何かがある。層が、思いの外、深い。
俺との関係を、より強固にしたいということだけは分かるが……
(……何を考えている?)
「難しい顔をしていますね?」エリシアはにっこりと言った。
「いや」
「嘘ですね」
「……少し考えていた」
エリシアが窓の外に視線を戻した。口の端がわずかに動いた。笑っているのか、笑っていないのか、わからない表情だった。
「難しく考えなくていいです。ただのお礼ですから」
(ただのお礼、ね)
アルドは黙っておくことにした。エリシアの思惑で見えてしまったものについて。
少し間があった。
エリシアが窓の外を見たまま言った。
「また、来ますか?」
「用があれば」
「……嘘ですね」
アルドは少し考えた。
「ああ、嘘だね」
「呼んでも来なかったら、不敬罪で打首にしますね」
エリシアが振り返った。アルドを見た。何も言わなかった。
ただ、目が——言葉より先に、何かを語っていた。
アルドも何も言わなかった。
それで十分だった。
夜。
アルドは宿の窓から王都を見ていた。
灯りが散らばっている。静かだ。騒ぎが収まった王都は、何事もなかったように動いている。
書状を手に持っていた。子爵。
(俺が子爵か。人生、何があるかわからんな)
腰が「感慨に浸っていないで休め、我が友よ」と言ってきた。
(ちょっと待ってくれ)
絶対交渉権を、ふと走らせた。
特に理由はなかった。ただの癖だ。王都の空気を読む、いつもの習慣だ。
その瞬間——何かが、引っかかった。
遠い。王都の端よりも、もっと遠い。輪郭が掴めない。欲望の形が、読めない。
(……何だ?)
アルドは目を細めた。
宰相の奥に、何かいる。宰相のヴィクトルが傀儡に過ぎなかったとしたら——その糸を引いていた何かが、まだどこかにいる。
(まだ終わっていないのか……)
アルドは静かに呟いた。
王都の灯りが、揺れていた。
腰が「今度こそ休め」と言ってきた。
(……ああ。今夜は休む。今の俺は約束を守る男、メロスタイムだ……)
アルドは窓から離れた。
書状をしまった。
まだ先があるのか。それなら、それでいい。




