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第47話 今、なんでもするって

 衛兵がヴィクトルの両腕を取った。

 その瞬間だった。


 ヴィクトルが(ふところ)に手を入れた。衛兵が止めようとしたが、間に合わなかった。小瓶(こびん)状の注射器を取り出して、自分の首筋に打った。一秒もかからなかった。


「何を打った!?」

 シャルが前に出た。

 ヴィクトルが静かに笑った。

「ワクチンだ。狂戦士化(きょうせんしか)鎮静(ちんせい)させるためのな!」

 アルドは即座に絶対交渉権を走らせた。


(本当のことを言っている。そして——もう、動いている)

「全員、構えろ!」

 アルドが叫んだ。


 次の瞬間、廊下の外から轟音が響いた。



 城内が、一瞬で修羅場になった。

 要所に配置されていた宰相の子飼いの兵士たちが、次々と変貌(へんぼう)していった。体躯(たいく)(ふく)れ上がる。オーガのような巨体。血走った目。理性が消えた咆哮(ほうこう)



 宰相の羽虫のようなスパイアイが合図とともに、蚊のように痛みもなく、兵士達に狂戦士化の薬を注入した。


 宰相のスパイアイは他人に薬液を注入すると同時に、スパイアイにも薬液の影響を受ける。

 そのため、毒での暗殺はできなかったが、この狂戦士化の薬は、ワクチンを打つことで対応が可能だと事前の実験で確認済みだった。



 通常の兵士が、一度に何人も吹き飛ばされた。壁に叩きつけられた。

 近衛騎士団が数体に向かった。それでも全く、手が足りていない。


 スパイアイは仕事を終えると城下へ散っていった。まだ何も知らない宰相の兵士たちへ向かっていく。城下でも、やがて同じことが起きる。

 ヴィクトルの体が、じわりと変わり始めていた。ワクチンで抑制(よくせい)しているが——試薬の効果が完全には止まらない。

 肩が、首が、わずかに膨らんでいる。


「さて」

 ヴィクトルが口の端を上げた。

「逃がしてもらおうか」



 アルドが動いた。

 廊下から乱入してきた狂戦士の腕を取った。流そうとした——が、力が桁違(けたちが)いだった。足が(すべ)る。完全には捌けない。転ばすことはできたが、本当に相手が「ただ転んだだけ」で終わった。


(速い。力も規格外だ。あと……痛覚が鈍いのか?)

 合気道の技をかけられると、あらぬ方向に力がかかるので、自然と投げられる形になるが、無理やり踏ん張ろうとして、狂戦士の腕が折れて、だらんとしている様子がわかる。

「……それなら!」


 アルドは地面を大きく踏み鳴らした。同時に発勁(はっけい)を打ち込んだ。空気が鳴った。狂戦士が吹っ飛んだ。

 立ち上がってきた。

(……一発では足りないか。まさに化け物だな)


 もう一体が来た。アルドは横にずれた。合気道で流した。

 壁に(たた)きつけた。また立ち上がろうとしている。

(動きは単純だ。ただ——数が多い)


 腰が何か言ってきた。

(……俺は、メロスにはなれないな、すまん……ん?あれは!)


 広間の奥で、近衛騎士団が二体を相手にしていた。エリシアが壁際に下がっている。シャルが剣を抜いてエリシアの前に立っていた。


 その瞬間——別の狂戦士が、エリシアへ向かって走り出した。



 シャルが咄嗟(とっさ)に前に出た。

 間に合わない。体勢が作れていない。受け流す角度もない。受け止める力もない。丸太のような腕が振り上がった。


(駄目だ)

 シャルが目を閉じかけた。


 先ほど見た、自分よりも大柄な全身鎧の中身が、ぐちゃぐちゃになってしまった兵士の姿が頭を(よぎ)る。


 せめて、少しでも流せるようにと、目を大きく開いた、瞬間。


 狂戦士が——大きく体勢を崩した。


 転がった。


 まるで自分で転んだように見えた。何かに足を払われたような、あるいは——見えない何かに腕を取られたような。

 シャルが目を開けた。


 アルドが広間の反対側に立っていた。距離にして十数歩。触れていない。ただ、右手がわずかに動いていた。



「……なんとかできたな。大丈夫か?()()()()……」

 アルドが静かに言った。息が少し上がっている。アルドにしては珍しく余裕がなさそうな表情だった。


(……呼吸が整わなくて、最後「シャルロット」って上手く言えなくて噛んじゃった……)

 アルドはとにかく呼吸を整えることに意識を向けることにした。



 シャルは動けなかった。

「な、……なんで……私の名前……!?」

 アルドを見た。

 その瞬間——何かが、崩れた。


 発勁を初めて見たとき、頭の奥で何かが引っかかった。

 彼の技に似ている。そう思った。

 そんな偶然もあるのだろうか、そう思っていた。


 でも、今の技は——生前の彼の得意技だった。

 合気道の達人域——()()()()()()()()()()()()()


(これができるのは、世界広しといえど、そんなにいないんだぜ?)


 今、(つな)がった。

 全部、繋がった。


 カルヴェンで初めて会ったとき。

 あの飄々(ひょうひょう)とした目。

 絶対に動じない余裕。

 前世の話を認めた瞬間。

 発勁を見たとき。

「お前の道はお前が決めろ」——あの言葉。

 前世で、シャルが恋焦がれた男が使っていた言葉と、同じだった。


(……嘘だ)

 シャルの目が、じわりと滲んだ。


「……神様……」


 声にならない声と、一筋の涙が(こぼ)れた。



 アルドがシャルを見た。何かを察した目だった。

「今はまだそれどころじゃない」

 静かに、ただ真っ直ぐに言った。

「わかってる。でも——」

(くぐ)り抜けたら、話す。約束する」


 シャルが(くちびる)()んだ。涙が一粒だけ落ちた。それから、剣を握り直した。

「……無事に潜り抜けられたら?」

「ああ、そうだ。だから」

「……なんでも、してくれるか?」


 アルドが少し焦っていた。シャルの気持ちも分からんでもないが……

 ここは戦場である。


「ああ、なんでもするから」

「ん?」

「あ、俺ができる範囲のことでな……」

「今、なんでもするって言ったよね?」

「やめろその流れ」

「大したお願いではないから」


 シャルが剣を構えながら、口の端を上げた。目がまだ滲んでいた。それでも、笑っていた。

「とりあえず、できる範囲でなんでもするって言質(げんち)取ったからな」

「……前向きに善処(ぜんしょ)し、検討に検討を加速します……」


 アルドが前を向いた。

 まだ狂戦士(きょうせんし)は残っている。



 混乱に乗じて、ヴィクトルが動いた。

 廊下へ走った。動きが速い。試薬の効果が本格的に回り始めている。肩が盛り上がっている。首が太くなっている。


「行け!」

 シャルがアルドに言った。残りの狂戦士を見ながら。

「ここは任せた!」

 アルドが廊下へ走った。



 廊下を走りながら、アルドは絶対交渉権を走らせた。

(速い。ただ——(あせ)っている)

 角を曲がった。ヴィクトルの背中が見えた。


「止まれ!」

 ヴィクトルが立ち止まった。ゆっくりと振り返った。

 体が、明らかに変わっていた。肩幅が広がっている。目が赤い。ワクチンで抑制(よくせい)しているはずだが——試薬が(まさ)り始めている。

 二人が向かい合った。


(あきら)めろ、宰相」

「……アルド、お前は、本当に何者だ?」

 ヴィクトルが言った。声がわずかに歪んでいた。試薬の影響だ。

「ただの変なおじさんだ」


 ヴィクトルが笑った。低い、くぐもった笑いだった。

「面白い男だ。この後に及んでも、(けむ)()く気か——だが、これで終わりだ!」


 ヴィクトルの体が、さらに(ふく)れ上がった。


 アルドは静かに息を整えた。

(来るか……!)

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