第46話 黒鷲、墜ちる
王宮の大広間は、静かだった。
静かだが、空気が重い。両側に貴族が並んでいる。証人として呼ばれた者たちだ。グレン伯爵、ウォルター子爵、ファーレン男爵——懐柔済みの面々が、それぞれ表情を引き締めて立っている。商業区からの証言者も来ている。ドワイト商会の人間も端に控えている。
王が玉座に座っていた。
エリシアが前に立った。上奏文を手に持っている。
アルドは証人席の後方に控えていた。シャルが隣にいる。
(いよいよ、始まるか)
エリシアが口を開いた。
「宰相・ヴィクトル・クロスハルトの罪状について、以下の証拠を以って上奏申し上げます」
淀みない声だった。
宰相が入ってきた。
ヴィクトルは背筋を伸ばして歩いた。動じていない、という空気を全身で作っていた。玉座の前で礼をして、真っ直ぐに立った。
強気だ。まだ諦めていない。
アルドは絶対交渉権を静かに走らせた。
(焦っている。ただ——まだ手があると思っている)
表には出ていない。ただ、内側に渦巻いているものがある。
アルドの目には全部見えた。
エリシアが証拠を順番に出し始めた。
「まず、王都の商業区における税の横流しについて」
書類が読み上げられた。数字が並んだ。横流しの経路、金額、期間。
「次に、王家への情報遮断について」
また書類が出た。
「そして——王都における刺客の手配について」
ヴィクトルが「一言よろしいですか?」と口を開いた。声は落ち着いていた。
「証拠が不十分です。これだけの書類が揃っているとのことですが、出所が不明のものが多い。でたらめである可能性を否定できない」
冷静だった。動揺を隠すのがうまい。
ただ——
(指先が動いている)
アルドだけが気づいていた。
ガイウスが証人として前に出た。
背筋が真っ直ぐだ。いつもの仁王立ちだ。広間を見渡して、一つ咳払いをし、頷いた。
「では、私が証言を申し上げます」
ヴィクトルがガイウスを見た。
「レンフォード子爵。聞こう」王が、静かに答えた。
「実は——この件に私が気づいたのは、二十年前のことがきっかけでございます。あのとき私は似たような不正を見抜いたことがありまして——そのときの経験が、今回も大いに役立ったわけでございます。なぜならば——」
広間がざわりとした。
クロードが端の方に立っていた。目を閉じていた。
(おいたわしや……旦那様……よりによって王の御前で……この政局の大舞台で……)
ヴィクトルが思わず口を開いた。
「……な、何の話をしている?」
「紛う事なき証言だ!」
ガイウスが言い切った。
広間がまたざわりとした。今度は少し違うざわりだった。緊張が、わずかに解れた。
アルドの内心:(このおっさん、やっぱり天然で場を和ませる)
ガイウスはそのまま、王都の商業区の異変に気づいた経緯を——武勇伝を一つ挟みながら——証言した。内容は本物だった。筋が通っていた。
クロードが遠くで、静かに目を細めた。
シャルが前に出た。
手帳から紙を取り出してテーブルに置いた。
「刺客の自白書です。宰相からの指示内容、標的、報酬の詳細が記されています」
ヴィクトルの顔が、わずかに動いた。
アルドが懐から短剣を取り出した。王家の紋章が、広間の光を受けて鈍く光った。
「エリシア王女殿下の代行者として動いていた私どもへの襲撃がありました。こちらはその証拠です。こちらが王女殿下の代行者と名乗った上での襲撃——つまり、王家への不敬に当たります」
広間が静かになった。
この短剣には仕掛けがあり、柄の紋章を強く押し込むと、数十分の音声が録音できる、魔法装置が組み込まれている。
アルドの声から始まった。
「俺たちがエリシア王女殿下の命に従って動いている代行者と知っての狼藉か?」
「来いよ」続く、激しい物音と、剣戟が大広間に広がる。
大広間の空気が、明らかにアルドたちに傾いていた。
ヴィクトルが言葉を探しているのが見えた。欲望と恐怖と計算が、ぐるぐると回っている。言い訳を探している。宰相もこの仕掛けを知らないと言うことは、肝心なところで、王家に信用されてなかったんだろうな。
(見えている。全部)
アルドが前に出た。
ヴィクトルと向かい合った。
絶対交渉権を全開にした。宰相の内側が、地図のように広がって見える。恐怖が核にある。その周りに、まだ諦めていない計算がある。何かを狙っている。
「言い逃れを考えていますね?」
静かに言った。
広間が、また静かになった。
ヴィクトルがアルドを見た。初めて、正面から見た。
「……お前は何者だ!?アルド・グレイン!」
「……ただのおじさんです」アルドはにっこりと笑った。
ヴィクトルが少し目を細めた。
「没落准男爵家の三男坊が、なぜここにいる!?弁えろ!」
「エリシア王女殿下に、来いと言われたので、会いに来ました♡」
「……王女殿下の狗め!」
「戦友です」
広間がざわりとした。エリシアが何も言わなかった。
ただ、視線だけをアルドに向けた。
ヴィクトルが「証拠は状況証拠に過ぎない」と言い始めた。アルドは黙って聞いた。言い逃れの筋道が見えている。どこに向かおうとしているかも見えている。
「その自白書の信憑性は?」王が尋ねた。
「拘束状態で得たものです。強制力があった可能性が——」
「刺客を手配したのは誰ですか?」エリシアが遮るように発した。
ヴィクトルが止まった。
「あなたが刺客に指示を出したことは、複数の証言で裏付けられています。その指示の内容まで。全て一致しています」
「……それは……っ!」
「逃げ道は全部塞いであります」
アルドは静かに言った。怒鳴らない。急がない。ただ、一手一手、潰していった。
ヴィクトルの表情が、少しずつ変わっていった。冷静から、動揺へ。動揺から——何か別のものへ。
その「何か」が、アルドには見えた。
(諦めていない。こいつは、まだ「何か」を狙っている)
王が口を開いた。
「証拠と証言、全て確認した」
広間が静まり返った。
「宰相・ヴィクトル・クロスハルトの罪状、全て認める。身柄を拘束せよ」
衛兵が動いた。ヴィクトルの両腕を取った。
ヴィクトルは抵抗しなかった。
表情が消えていた。ただ——目が、まだ死んでいなかった。
エリシアが静かに頷いた。長い時間をかけて、ここまで来た。それが、その一つの動作に全部入っていた。
アルドは広間を見渡した。
(終わった——のか?)
そう思いかけた瞬間——
ヴィクトルの口の端が、わずかに上がった。
ほんの少しだけ。気づいた者はほとんどいなかった。
アルドだけが、見ていた。
(……まだ終わっていない!)
悪くない、と思いかけた言葉を、アルドは飲み込んだ。




