第40話 夢の中でも、素直になれないんです
シャルが手帳を閉じた。
「ガイウス子爵とドワイト商会への連絡が必要だ。先に城下に戻る」
エリシアが頷いた。「そうしてください」
あっさりしていた。シャルも何も言わなかった。立ち上がりながら、一瞬だけアルドを見た。何かを読んだような顔だったが、何も言わずに部屋を出た。
扉が閉まった。
部屋が静かになった。
エリシアがアルドを見た。少し間を置いてから、口を開いた。
「カルヴェンで会ったときより、仲良くなっていますね?シャルロットと」
アルドは少し考えた。
「まあ、この一年近く、何度も死線を潜ってるからな。そりゃ信頼関係は強固になる。いわば戦友ってやつだ」
エリシアが「……戦友。ふーん」と繰り返した。
訝しげにアルドを見た。何も言わなかった。ただ、見た。
「違う、冤罪だ。俺はやってない」アルドは両手を挙げて言った。
「先にそういうのは、犯罪者のセリフです。この変質者」
「おいおい、変質者って……俺は『変なおじさん』だろ?」
「そうでした。やっぱり真っ黒じゃないですか」
「少年のように澄んだ瞳なのにな?」
「本当に澄んだ瞳の人は、そんな返し方しないです。変質者」
「こりゃ手厳しいな、王女殿下は……わかりました。では身の潔白を証明するために、今から服を全部脱ぎますので」
アルドはカチャカチャと、徐にベルトに手をかけた。
「やめろ!変質者!」エリシアは慌てて両目をてで覆ったが、指がしっかり開いていたので、視界良好だった。
二人は空白を埋めるように笑った。
少し間があった。
エリシアが窓の方に視線を移した。それから、静かに言った。
「それでも、こうやってまた会うことができましたね」
「来いっていうからな。会いに来たんだ。それだけだ。大したことじゃない」
エリシアがアルドを見た。
「バカなんですか?私が言いたいのは」
「前に教えた、あの歌のことだろ?」
エリシアが止まった。
少し長い沈黙があった。それから、小さく息をついた。
「……鈍感なのか、勘がいいのか、どっちなのよ……」
「さあな。おじさんわかんないや」
エリシアが視線を落とした。指先が、膝の上でわずかに動いた。
「私、こういう時には素直になれないんです……」
「だから夢の中なら言えるっていう話だろ?」
エリシアが顔を上げた。アルドを見た。何かを言いかけた。
「……夢の中でも、素直になれないんです。素直になりたいのに」
アルドは少し間を置いた。
「そうか…怖いよな。自分を曝け出して、拒絶されることを想像すれば」
それだけ言った。
部屋が静かになった。エリシアは何も言わなかった。アルドも何も言わなかった。窓の外で風が動いた音がした。
アルドの内心には、何もなかった。
何もない、というより——何かを言葉にしようとして、やめた。そういう種類の静かさだった。
しばらくして、エリシアが顔を上げた。いつもの顔に戻っていた。
「続きは明日にしましょう。宰相の件、詰めなければならないことがある」
「ああ」
アルドが立ち上がった。扉に向かいながら、一言だけ言った。
「また来る」
エリシアは何も言わなかった。
ただ、視線だけを向けた。
アルドは振り返らなかった。
廊下に出て、扉が閉まった。
腰が言ってきた。
そろそろ自分が主張するような大立ち回り、くるよね?と。
アルドは答えた。
「もう、お前を主張させたり、激怒させるような腰の使い方はしないから安心しろ」
腰は少し物足りなさそうだった。




