第38話 まとめてやれば、効率がいい
馬車の中で、シャルが手帳を開いた。
「今日は三家だ」
「まとめてか」
「ガイウス・レンフォード子爵が場を設定してくれた。声をかけて回ったらしい」
アルドは少し窓の外を見た。
(あのおっさん、思った以上に動いている)
レンフォード邸に立ち寄るたびに武勇伝が始まるので、どれだけ実際に動いているのかが見えにくかった。ただ結果を見れば、着実に根を張っている。愚直なまでに実直というのは、こういう場面では強い。
「三家の顔ぶれは」
「ウォルター子爵、マーセル男爵、グレン伯爵だ。全員中立派。宰相からの圧力を受けながらも、まだ踏み切れていない連中だ」
「グレン伯爵……」
「ガイウス子爵より上の身分だ。場を設定した側が格下になる。ガイウス子爵がわざわざ頭を下げて来てもらった形だ」
アルドは少し考えた。
「伯爵が来た、ということは——ガイウスの顔に、それだけの重みがあるということだな」
「そういうことだ」
「絶対交渉権で三人同時に読むことになるな」
「できるのか?」
「よく戦闘中はやってるが、同時の深読みは前世以来だな」
シャルが少し間を置いた。
「……それを今日やるのか?」
「まあ、やってみる。そんなに問題はない」
シャルの肩が動いた。
会合の場所は、ガイウスの屋敷だった。
応接間に入ると、すでに三家の当主が揃っていた。
グレン伯爵は部屋の中央に近い上座に座っていた。五十代、目が鋭く、背筋が真っ直ぐだ。この場で最も格上の人物だということが、座り方だけでわかる。ウォルター子爵は六十代で白髪の温厚そうな老人。マーセル男爵は四十代で体格がいい。
そしてガイウスが、グレン伯爵の斜め前に立っていた。普段の仁王立ちとは少し違う。背筋は真っ直ぐだが、伯爵に対してわずかに頭が下がっている。
「グレン伯爵、本日はご足労痛み入ります。このような場にお越しいただき、誠に光栄でございます」
「……レンフォード。お前が頭を下げるとは珍しいな」
グレン伯爵の声は低く、どこか試すような響きがあった。
「伯爵には及びません。ただ——今日の話は、伯爵のお耳に入れる価値があると確信しております」
グレン伯爵が少し目を細めた。それ以上は何も言わなかった。
クロードが入口の脇に立っていた。
ガイウスがウォルター子爵とマーセル男爵に向き直ったとたん、いつもの調子に戻った。
「ウォルター、マーセル!実はな、この場を設けるにあたって私がひとつ根回しをしてな——十二年前、似たような会合でひとつ場を収めたことがあるのだが、あのときの経験が今日も活きたわけだ。なぜなら——」
クロードが静かに目を閉じた。
(おいたわしや……旦那様……お三方の反応が、明らかに……)
口は動いていない。ただ顔が、いつもより切実にそう言っていた。
ウォルター子爵とマーセル男爵が微妙な顔をしていた。グレン伯爵は静かに茶を一口飲んで、何も言わなかった。
シャルがすかさず前に出た。
「皆様、本日はお時間をいただきありがとうございます。ヴォーン家のシャルロットです」
それからグレン伯爵に向き直り、改めて深く頭を下げた。
「グレン伯爵、特にご多忙の中をお越しいただきましたこと、心より御礼申し上げます。こちらはアルド・グレイン殿です」
グレン伯爵がアルドを見た。値踏みする目だった。
「グレイン。先の戦争で戦犯と言われた、准男爵の三男坊と聞いたが」
「はい。私は家督を継がないので、ほとんど平民です。戦犯は、先代当主の私の祖父でして、次期当主、私の兄でございますが、爵位が男爵に戻る予定でございます。」
グレン伯爵が少し眉を上げた。
アルドは絶対交渉権を走らせた。三人分、同時に。
(……少し重いな。ま、馴れの問題だろうな)
頭の奥に、じわりと負荷がかかる。一人のときとは違う。ただ——見える。
ウォルター子爵:恐怖が軸だ。家を守りたいという気持ちの方が少し大きい。背中を押せば転ぶ。
マーセル男爵:プライドが高いが現実的だ。勝ち馬に乗りたいという欲望が正直に出ている。実績を見せれば動く。
グレン伯爵:慎重で疑い深い。ただ——宰相への不満が、恐怖より少し大きくなっている。今がその転換点だ。そして——格下に対して易々と動くことへの矜持がある。丁寧に、敬意を持って扱わなければならない。
(三人とも、今日で転がせる。ただしグレン伯爵は順番が最後だ)
まずウォルター子爵から入った。家と領民を守るという話をした。子爵の顔から、少しずつ力が抜けていった。
次にマーセル男爵。カルヴェンの実績と、レンフォード子爵が今回こちら側に動いたという事実を示した。男爵の目が、計算を始めた。
最後にグレン伯爵を見た。
「伯爵」
「……何だ?」
「ひとつ、伺ってもよろしいですか?」
「聞こう」
「宰相のやり方について、伯爵はどうお考えですか?忌憚なく」
部屋が少し静かになった。
グレン伯爵がアルドを見た。長く見た。試している目だった。
「……随分と、直接的な物言いだな?」
「遠回しにする時間が惜しいと思いまして」
グレン伯爵が少し間を置いた。それから、静かに口を開いた。
「……以前から、疑問を持っていた」
それだけだった。それだけで十分だった。
アルドが続きを引き出した。グレン伯爵が言葉を選びながら話した。慎重な口調だったが、不満が少しずつ滲み出た。
一時間ほどで、三人全員が頷いていた。
ガイウスが腕を組んで頷いた。
「アルドよ、私の見立て通りだ!最初からこうなると思っていた。なぜなら——グレン伯爵のような慧眼の持ち主が動けば、他も続くと読んでいたのだ!」
グレン伯爵が少し目を細めた。悪い顔ではなかった。
「……レンフォード、お前は相変わらずだな」
「伯爵こそ、お変わりなく」
二人の間に、長い付き合いだけが持つ空気が流れた。
クロードが遠くで静かに目を細めた。今度は「おいたわしや」ではなかった。ただ、温かい目だった。
シャルの肩が、静かに動いた。
帰りの馬車の中で、アルドは背もたれに深く寄りかかった。
「どうした?」
「……三人分は、少し堪えた」
「少し顔色が悪いぞ?」
「そうか。じゃあ俺が一生懸命仕事したと、分かって貰えたようで」
アルドは目を閉じた。頭の奥に、まだ少し重さが残っている。
(まあ、慣れれば問題ないだろう)
「ガイウス殿の根回しは本当に助かったな」とアルドは目を閉じたまま言った。
「そうだな。武勇伝さえなければ完璧だ」
「武勇伝込みで完璧だ」
シャルが少し間を置いた。
「……どういう意味だ?」
「あの武勇伝で場が和んでいた。『いつものやつが始まった』って雰囲気だ。グレン伯爵も、最初より少し力が抜けていた。あれがなければもう少し時間がかかっていたかもしれない」
「……ガイウスが意図してやっていると思うか?」
「さあな」
アルドは顳顬から眉間にかけて、両手でマッサージしながら答えた。
「クロードは?」
「今回はセッティングまでの根回しは、かなり尽力してくれたみたいだが、今日は完全に外野だろ」
シャルが少し考える顔をした。それから、肩が静かに動いた。
「……どっちにしても、すごいな」
「悪くない仲間だ」
馬車が揺れた。
悪くない一日だ、と思った。




