第28話 早馬と、お月謝
数日が経った。
カルヴェンが、少しずつ動き始めていた。
ドワイト商会が中央市場に本格的に入り込んだ。クルトが各商会との調整に動いている。
価格の統一、取引のルール整備、仕入れの経路の整理——アムリタが担っていた役割を、少しずつ、丁寧に取り戻していく作業だ。
また、ミラン商会とロンメル商会が、将来的にドワイト商会と合併する合意の前段階の話が出てきていた。元々反宰相派の色が薄くはない二商会だったので、コアの部分がアムリタから、ドワイト商会に変わるくらいの感覚なのだ、とクルトは言っていた。
幸いなことにミラン商会にはアムリタの幹部候補も現存したので、これからのカルヴェンの流れを任せるなら、二商会の力を大いに使うことがいいだろうとアルドは伝えた。
ただ、その中で、グレナ商会のスパイを絶対交渉権で炙り出し、新体制への「虫の駆除」も行った。人知れず、ひっそりと。
そして、グレナ商会の合成麻薬の流通ルートなどを「第三者の通報」として告発した。グレナ商会はほぼ壊滅状態だが、その中でも真面目に仕事ができる人間だけを、絶対交渉権で引き抜いてきた。
意外と、グレナ商会の表部分の流通システム、組織体制はしっかりしていて、グレナに与したのは「あくまでカルヴェン東側の商会だったから」で安易に入ったという会員が大多数であった。
グレナ商会に、宰相が後ろ盾についている事を、全く知らない会員ばかりだった。
塵は塵に、灰は灰に。
アルドはその様子を、少し離れたところから見ていた。
ドワイト商会の商業活動を、元々のカルヴェン三大商会の力を借りることで、ドワイト商会も、本来のヴォーン家の諜報・斥候活動を引き続き続けることもできるだろう。商業活動の取りまとめは、クルトが請け負ってくれることになった。
市場の喧騒が戻ってきている。商人たちの声が戻ってきている。二年ぶりに、カルヴェンが本来の顔を取り戻そうとしている。
……俺のカルヴェンでの仕事は、だいたい終わった。あとはこいつらがやる。
悪くはない。
クルトがアルドのところに来たのは、夕方だった。
いつもの体格のいい、筋を通したい顔をしていた。ただその目に、以前とは少し違う色があった。三枚舌を使い切った人間の、どこか軽くなったような目だった。
「アルドさん……正式に、お礼を言わせてください」
「礼はいらない。筋を通せる取引相手が見つかったと思ってくれればいい」
「……それで十分です」
クルトが少し間を置いた。
「アルドさんがカルヴェンを離れた後も、連絡は取れますか?」
「もちろん取れる。お前が必要なときは呼ぶ。早馬で呼びつける」
「……呼ばれたら、参ります!」
短い会話だった。長い契約書より重い種類の言葉だった。
アルドは頷いた。それだけで十分だった。
翌日の夜、宿の食堂の端で、シャルがクルトとドワイト商会の幹部に囲まれていた。
アルドは少し離れたところから、その様子を見ていた。
シャルが何かを話している。クルトたちが困った顔をしている。シャルがさらに話している。クルトたちがさらに困った顔をしている。
アルドは近づいた。シャルの熱弁が、聞こえてきた。
「——だから、アルドはこれから貴族との対話や、政局・事情などをもっと知る必要があるの!それを一朝一夕で伝えることは到底至難の業、だから!私が同行して、サポートをしなければいけないの!わかった!?」
「……別に一人でも大丈夫だぞ?」
シャルがキッとアルドを見た。
「アルド君……貴族社会とは、そんなに甘いものではないのだよ!」
シャルはアルドにつかみかかってきた。
「お、おお……そうか。そいつは失敬した……」
アルドが少し間を置いた。クルトたちが救いを求めるような目でアルドを見た。アルドはその目を穏やかに受け流した。
「ところでシャル、本当の理由は?」
シャルが一瞬ビクッとなり、少しだけ目を逸らした。
「……鍛錬の方法をまだ聞いていない。自分が認めた師から直接学び、鍛錬がしたい性分なのでな……」
「あーはいはい。でも対価は支払ってもらうからな?」
「え!?……わ、私の操か?」
「バカ、金だ。お月謝だっつーの!」
クルトが遠い目をした。ドワイト商会の幹部も遠い目をした。
シャルは耳まで真っ赤にし、そして、小さく息をついた。
「……わかった。ちゃんと払う」
「話が早くて助かる。毎度あり!」
「……殺すわよ」
「物騒だな。師匠を早速殺そうなんて……」
クルトが小声で「……これが、フィクサーの師弟関係ですか」とドワイト商会の幹部に言った。幹部が無言で頷いた。
翌朝、出発した。
クルトが見送りに来た。ドワイト商会の幹部も来た。朝の光の中、カルヴェンの石畳が橙色に染まっていた。
ここから始まったものが、確かにある。中央市場にドワイト商会の旗が立った。クルトが後見人として動き始めた。宰相のカルヴェンへの足場は潰れた。今、エリシアが王都で動いている。
宰相はまだ息づいている。むしろ次の盤面はもっと広い。ただ——。
悪くはなかった。
「……遅い」とシャルが隣から言った。
「急いでいない」
「どこへ行くの?」
「次のチェックポイントだ」
シャルが少し間を置いた。
「……ついていくわよ」
「知っている」
シャルが何か言いたそうな顔をした。ただ、何も言わなかった。それでいい、という顔でもなかった。ただ、黙って歩いた。
カルヴェンの石畳が、少しずつ遠くなっていった。
アルドは振り返らなかった。
街道に出てしばらくしたところで、後ろから馬の蹄の音がした。
追いかけてくる。一騎だ。
アルドが足を止めた。シャルも足を止めた。
馬が近づいてきた。若い使いの者だった。息を切らしている。
「…ここにいらしたんですね!…てっきりまだ、カルヴェンの中にいるかと!」
……ん?もう少し遅めに出立した方がよかっただろうか?
「アルド・グレイン殿に、王都からのお手紙です!」
アルドが受け取った。封蝋を見た。
王家の紋章だった。
「……エリシア殿下から?」とシャルが横から言った。
「そうだな」
「……何て書いてあるの?」
アルドが封を切った。手紙を開いた。読んだ。
短い文章だった。エリシアらしい、無駄のない文章だった。
内心で、静かに像が結ばれた。
「——来いということだ」
シャルが少し目を細めた。
「……王都へ?」
「ああ」
二人はしばらく、手紙を見ていた。
使いの者が「お返事は?」と聞いた。
アルドは少し考えてから、言った。
「向かっていると伝えてくれ」
使いの者が馬を返した。蹄の音が遠ざかっていった。
シャルがアルドを見た。
「……行くの?王都」
「行く」
「……そう」
シャルが前を向いた。アルドも前を向いた。
王都への道が、朝の光の中に真っ直ぐ続いていた。
「——行くぞ」
「言われなくてもついていくわよ!」
「知っている」
「……その『知っている』、いつかやめてもらうから」
「検討する。検討に検討を重ね、検討を加速する」
「やめる気無いでしょ?」
シャルの肩が、少し動いた。
二人は、歩き始めた。
——第三章・完——




