第27話 ズルい男と、菓子折り
カルヴェンの中央市場に、ドワイト商会の旗が立った。
グレナ商会は引いた。残り二つの商会が、様子を見るように静かになった。二年ぶりに、カルヴェンの石畳に普通の朝が戻ってきたような、そういう空気があった。
アルドはその石畳を歩きながら、内心で静かに確認した。
一区切りだ。終わりではない。ただ——確かに、一区切りだ。
……悪くはない。
隣ではクルトが、何事もなかったような顔で歩いていた。
「あの、そろそろご説明した方がいいですかね?」
「シャルへの説明か?」
「はい。後見人の件」
「クルトがすればいい。俺だと端折りすぎてシャルを怒らせる」
「私が言うより、あなたが言う方が——」
「後見人のご本人様が説明してあげろ。決して俺がめんどくさいわけじゃない」
「いや、絶対にめんどくさいんでしょ……」
クルトが少し遠い目をした。
昼過ぎ、シャルがクルトから話を聞いた。
シャルがアルドのところに来たのは、それから少しした後だった。顔が「聞いたわよ」と言っていた。
「アルド……あなた、最初から知ってたの?」
「途中から気づいた」
「いつ?」
「記録所でお前が外で頑張っていた頃だ」
「つい最近じゃない!なんで言わなかったの?」
「言う必要がなかった。というか、クルトが自分で出てきた」
シャルが少し間を置いた。それから小さく息をついた。
「……あなた、本当にずるいわね」
「否定はしない。俺はズルい男なのさ。だけどそっちの方が、ちょっといい男だろ?」
シャルの肩が、少しだけ動いた。
午後になって、二人になる時間があった。
宿の食堂、他に客のいない時間帯。シャルが、静かに切り出した。
「……カルヴェンは、反宰相の地盤になった。私の目的は、一応達成できた」
「そうだな」
「でも——ドワイト商会が中央市場に入った。それはあなたの目的だった」
「そうだ」
シャルが少し間を置いた。
「……私はアルドに利用されたの?」
アルドは少し考えてから言った。
「利用、という言葉が正確かどうかはわからない。ただ——お前のやりたいことと俺のやりたいことが、同じ方向を向いていた。それだけだ」
シャルが黙った。
「……それで、納得しろと?」
「納得するかどうかはお前が決めることだ」
シャルがアルドを見た。何かを確かめるような目だった。
「……あなたは、最初からここまで見えていたの?」
「全部ではない。ただ——悪くない方向には転がった」
シャルが、何も言わなかった。
アルドはシャルを見ながら、ゆっくりと近づいた。
「……少しホッとした様子だな」
シャルが何も言わないでいると、アルドが続けた。
「無理もない。だけどな——少しがっかりしたよ」
シャルの目が動いた。
「お前を最初に見た時は、もっと高い視座と広い視野を持っていると思っていた。カルヴェンなんて『局地戦』で満足してるようじゃ、あの宰相に寝首かかれるぞ」
シャルがキッとアルドを睨みつけた。
「おー、それ! それだよ!」
アルドが、少しだけ笑った。
「……忘れんなよ。その何にでも食ってかかろうとする意識。お前がどんなに強かろうと、仲間がいようと——俺からすれば女だ。小娘だ。少なくとも俺の欲望の対象でもある。それは俺だけじゃない。この世界の全ては、安堵して油断した奴から狩られる」
アルドはシャルとの距離を詰めた。
「だから視座を高く、視野を広く。あの黒鷲よりも高い視座を持とうとしろ。お前は何者にも負けない、猛き獣でいろ。もうカルヴェンを巻き込んじまったんだ。敵はまだ『生きて』いる。次を考えろ」
シャルの顎をグッと引き寄せた。顔と顔の距離が、ほとんどなくなった。
「これは、まだチェックポイントの一つに過ぎない。支度ができたら、次のチェックポイントに進むぞ」
シャルが、アルドを睨んだまま——ゆっくりと、目を逸らした。
「……わかった」
「前に言っただろ。俺が、お前の『生きる指針』になってやるってな?」
アルドは手を離した。何事もなかったように一歩引いた。
内心では、至って冷静だった。相手を惹きつける。こちら側に引き込む。前世でも使った手だ。多分、効いてる、とだけ思った。
シャルは、しばらく黙っていた。
自分がなぜ目を逸らしたのか、まだわかっていないような顔だった。
夕方。シャルが一人で市場を歩いているのを、アルドは少し離れたところから見た。
その背中を見ながら、静かに思った。
この盤面が終わったとき、シャルはどこへ行く?——あの日の夕方、声に出さなかった問いが、また浮かんだ。
そしてエリシアのことも思った。王都で何かが動いている。いつかシャルとエリシアが同じ場所に立つ日が来る。その日、この二人がどう動くか——今はまだわからない。
ただ、面白いことになりそうだ、とは思った。
深夜。
アルドが氣功を始めると、しばらくしてルーチェが現れた。
「お疲れ様」
「ん?珍しいな。俺を褒めるのか?」
「たまにはね。カルヴェンはよくやったわ」
しばらく沈黙があった。ルーチェが窓の外を見ながら言った。
「宰相、相当怒ってるわよ」ルーチェが嬉しそうに言った。
「そうか。今度菓子折りでも持って、丁重に謝罪しに行かないとな」
「カルヴェンを失ったことより——自分の読みが外れたことに、ね。こちら側が、想定より早く動かれた。しかも王家が絡んでいるとは思っていなかったのよ」
「エリシアが動いたか」
「ええ。王都でも少しずつ証拠が固まり始めてる。宰相はカルヴェンと王都、両方で足場を揺さぶられて——次の手を考えているところよ」
「どんな手だ」
「それは教えてあげない。面白くないから」
「相変わらずだな」
ルーチェが少し間を置いてから、言った。
「……あの子、あなたのこと、少し見直した?みたいよ?」
「シャルか。俺は特段何もしていない」
「あなたがそう思っているのは知ってる」ルーチェが、少し楽しそうな目をした。「でも——それがあなたの怖いところなのよ、アルド」
「……どういう意味だ?」
「いずれわかるわ。ヒントなしで、無意識で良くそこまで…って言う感じ?」
アルドは答えなかった。ルーチェの気配が、静かに薄れていった。
氣功を終えて、窓の外を見た。
カルヴェンの夜が静かに続いている。中央市場の方角に、ドワイト商会の小さな灯りが見えた。
宰相は未だ健在だ。エリシアが王都で動いている。シャルの行き先は、まだわからない。クルトは後見人として、カルヴェンの新しい盤面に立っている。
駒は動いた。盤面は変わった。
ただ、これはまだチェックポイントの一つだ。
「——さて、次だ」
誰もいない部屋で、静かに言った。




