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第26話 ガキ大将と、三枚舌

 夜明けのカルヴェンは、静かだった。


 エリシアの随行の者たちが馬の準備をしている。石畳の上、松明(たいまつ)の残り火が風に揺れていた。

 アルドはエリシアと少し離れた場所で、短く話した。


「カルヴェンは俺たちに任せろ」

「……任せます。ただし」

「わかっている。無茶はしない」

「そんなことは言っていません。グレイン様は無茶をしてでも結果を出してください」

 アルドは少し間を置いた。


「ちょっとは心配してくれてもいいんだぜ?」

「私の知っている限り、一番心配が必要ない人です」

「どういう意味だ?泣いちゃうぞ」

「泣き顔は見たことないから、見てみたいです」

「お前、本当に俺の扱い雑なのか、俺に対してはサディスティックなのか…」

 エリシアが、少しだけ間を置いた。


「でも」

「うん?」

「本当に泣きたいなら、私を頼ってください。人払いはしますので」

 アルドは一瞬だけ、何も言えなかった。

 ……冗談のつもりだったんだが。


「おう、じゃあその時は頼む」

 エリシアが小さく頷いた。それだけだった。馬に乗って、随行(ずいこう)の者たちの前に出た。エリシアは振り返らなかった。

 アルドはしばらく、その背中を見ていた。

 ……相変わらず、容赦がない。俺の扱い方に味をしめたか。

「……小娘のくせに生意気だぞ」

 前世のガキ大将のセリフを口にしてた。



 シャルが隣に来た。エリシアの一行が通りの向こうに消えてから、短く言った。

「行ったわね」

「ああ。カルヴェンよりも状況の(かんば)しくない王都にな」

「……王女殿下は、強いわね」

「そうだな」

 シャルが少し間を置いた。何かを言いかけて、やめた。

「——こっちも動かないとね」

「そうだな」



 クルトが誤情報を流したのは、朝の市場が動き始めた頃だった。

「宰相の使いが王都に引き上げた」という話が、複数の商人の口から同時に広まった。自然な噂に見えた。クルトの仕事は、相変わらず丁寧だった。


 アルドとシャルは市場の外れから、グレナ商会の動きを観察した。

 しばらくして、グレナが動いた。中央市場の方向へ人を出し始めた。

「……動いた」とシャルが言った。

「ああ。ただし——」


 アルドの目が少し細くなった。グレナの人間の数が、想定より多かった。交渉のために動く人数ではない。

「……様子がおかしい」



 シャルが気づいたのは、グレナの先頭の人間が抱えている荷を見たときだった。

「書類の(たば)……いや、あれは——」

 アルドも同時に見ていた。

 捏造(ねつぞう)した権利書。そしてアムリタの時代からの記録書類——本物だ。どこかから強奪(ごうだつ)してきた。力で記録所を押さえて、正当性を後付けにするつもりだ。


 アルドの内心で、静かに像が結ばれた。


 ……正当路線を捨てた。こちらの動きが、それだけ目障(めざわ)りになったということだ。宰相が当初の強硬手段に戻った——つまり、追い詰めたということでもある。

「——好都合(こうつごう)だ」

「今の状況のどこが?」とシャルが言った。

「向こうが(あせ)っている。焦った手は、必ず(すき)がある」

 シャルが短く息をついた。「……走るわよ」

「ああ」



 記録所には、グレナより先に入れた。

 管理人は五十がらみの、目の細い男だった。突然二人が飛び込んできたことに驚いて、続けてグレナの人間が押し入ってきたことにさらに驚いた。


 絶対交渉権が、静かに像を結ぶ。

「面倒ごとに巻き込まれたくない」「筋の通った方に従いたい」——この欲望は使える。

 アルドが穏やかに、管理人の前に立った。そしてすでにドワイト商会に用意してもらった正当な手順を踏んで作成した、中央市場の土地の取得申請書を出した。

 その際に必要だったドワイト商会の登記簿(とうきぼ)や、諸々(もろもろ)の書類もしっかりと、まとめて提出した。


「どちらの書類が正当か、確認する時間をいただきたい。あなたはそれだけでいい」

 管理人が、迷いながら頷いた。

 グレナの人間が苛立(いらだ)ちを(あらわ)にした。捏造書類を突きつけながら前に出ようとした。

 シャルが、すっと前に出た。剣には手をかけていない。ただ立っているだけだ。それだけで、グレナの人間の足が止まった。

「外で話しましょう」とシャルが静かに言った。「記録所の中で騒ぐのは、お互いにとって得策じゃないわ」

「一応そちらの書類も確認してもらうから、大人しく外で待ってろ」


 アルドはグレナ商会の書類を受け取り、管理人の手元に置いた。

 グレナの人間が舌打ちをして、外に出た。シャルがそれに続いた。

 扉が閉まった。



 外から、剣戟(けんげき)の音が聞こえてきた。

 アルドは管理人と並んで、書類の確認を進めた。まず、グレナ側の書類から。グレナの捏造書類の矛盾点を、静かに、一つずつ指摘していく。日付の齟齬(そご)。印の様式が当時のアムリタのものと違う。署名の筆跡が不自然だ。

 外の音が続いている。


 ……もう少し、持ち堪えてくれよ、シャル。

 まぁ、シャルの腕なら、あいつらが十人かかってきても大丈夫だろう。

 ドワイト商会の申請書類を管理人の前に置いた。アルドは丁寧に、真面目に、柔和(にゅうわ)な笑みで管理人に話しかけた。

「こちらがドワイト商会の正式な申請です。書類の正当性は、今確認していただいた通りです」

 管理人が、グレナの書類とドワイト商会の書類を見比べた。しばらくしてから、静かに言った。

「……申請は、元々ドワイト商会の方が先です。書類の正当性も、こちらに分があります」

 一段階目が、開いた。



 「ただし——」

 管理人がもう一度、書類を見た。


「こちらの手続きを正式に完了させるには、『アムリタの後見人』の直筆のサインと印が必要です。旧アムリタの規定では、後見人(こうけんにん)の承認なしに中央市場の権利は移譲(いじょう)できません」

 アルドは少し間を置いた。


 二段階目がある。

 後見人——まだ見つかっていない。宰相側は偽の後見人をでっち上げてくるだろう。こちらには本物が必要だ。ただ、その本物がどこにいるのか——


「……結局、後見人がまだ見つからないんだよな」

 誰にともなく、小さく言った。

「宰相が絡まない分だけ、探しやすくはなったが……ん?」

 気配が変わった。


 扉が開いて、シャルが戻ってきた。息を整えながら「終わった?」と言いかけた。

 その後ろに、クルトがいた。

 クルトの気配が、さっきと違った。絶対交渉権が、静かに確認する。


 ……繋がった。

「……やっぱり三枚舌だったのか。今の今まで気づかなかった」

 クルトが、少し口角を上げた。

「人を(だま)すのは得意なんですよ」

 それから、管理人の前に進み出た。


 管理人が「元気そうで何より」とクルトに笑顔で声をかけた。

 ……そうか、管理人は知っていたのか。後見人の顔を。管理人が必ず立ち会うのは、管理人が重要な取引の際に、後見人を確認するため……

 と言うことは宰相側がでっち上げてきても無効ではあったんだな、御愁傷様(ごしゅうしょうさま)


 そう考えると、宰相って情報収集は得意でも、そう言った仕事は杜撰(ずさん)?雑というか爪が甘いというか……

 クルトは(ふところ)から、古い印章と羊皮紙を取り出した。

「アムリタの後見人として、ドワイト商会への中央市場の権利移譲を承認します」

 管理人が、その印章を見た。目が少し大きくなった。本物だ、とわかった顔だった。


 シャルが、アルドを見た。

 アルドを見て、クルトを見て、また静かにアルドを見た。

「……どういうこと?」

「三枚舌だったということだ」

「……説明になってない」

「後で話す」

 管理人がサインの(らん)をクルトに差し出した。クルトが羽根ペンを取った。

 二段階目の扉が、静かに開いた。


 記録所の外に出ると、グレナの人間たちはすでに引き揚げていた。

 カルヴェンの朝の光が、石畳の上に伸びていた。市場の喧騒(けんそう)が遠くから聞こえてくる。

 シャルが、書類を抱えたまま空を見た。

「……終わった、のね」

「ああ。あと数年は覚悟したがな…意外とあっさりだったな。……だが、これは一区切りだ」

「一区切り?」

「宰相はまだいる。ただ——カルヴェンは、もう宰相の手には渡らない」

 シャルが少し間を置いた。それから、アルドを見た。


「……私が外で命張って頑張ってる間に、涼しい顔で書類仕事してたの?」

「お前が頑張ってくれていたおかげだ。俺はシャルに心から、最大の賛辞(さんじ)を送りたくてしょうがない気持ちでいっぱいだ」

「……嘘ばっかり」

「否定はしないが、本当にありがとな」


 シャルの肩が、少し動いた。

 クルトが二人の後ろで、静かに空を見ていた。

 その顔に、三年分の何かが、ゆっくりと解けていくような色があった。

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