第24話 先読みと、縁
通りの向こうに、松明の列が見えた。
旗が見えた。紋章が見えた。
シャルが「——ヴァレリア王家の紋章よ」と言った。
アルドはその紋章より先に、馬上の人影の一人を見ていた。随行の者に囲まれて、ローブをまとっている。夜の松明の光の中でも、その顔つきは見覚えがあった。
間を空けず、即答ツッコミしてくる。意外と深く人を観察できる。いつでも真っ直ぐこちらを見てくる、あの目だ。最後に会ってから少し経つが、あの日々を色々と思い出してきた。
「……お」
思わず声が出た。
随行の者たちが馬を止めた。アルドが通りに出ると、前列の者たちが警戒して前に出た。手が剣の柄にかかった。
その後ろで、馬を降りた人影がいた。
エリシア・エトワール・ヴァレリアが、アルドを見た。
アルドは片手を挙げた。
「おー、エリシア。久しぶりだな」
随行の者たちが固まった。
シャルが固まった。それから一瞬で正気に戻って、その場で膝をついた。ローブの裾が石畳に広がった。
「——馬鹿! 不敬罪だぞ!」小声で、しかし確実にアルドに向かって言った。それから顔を伏せたまま、「……エリシア第三王女殿下……! 連れのご無礼を、どうかお許しください……!」
エリシアが、一瞬だけ目を細めた。
それから涼しく言った。
「別に構いません」随行の者たちに視線を向けて、「下がっていてください」と短く言った。随行の者たちが後退した。エリシアはシャルを見た。「ヴォーン子爵家のご令嬢ですよね。ご無沙汰しています。楽にしてください」
シャルがゆっくりと立ち上がった。
立ち上がりながら、横目でアルドを見た。その目が「あなたは一体何者なの…!?」と言っていた。
アルドはその視線に気づいていたが、何も言わなかった。
場所を移した。
エリシアが随行の者を外に待たせて、宿の一室を借りた。クルトはここで外れた。アルドが「後で話す」と短く言うと、クルトは頷いて暗がりに消えた。
部屋にはアルド、シャル、エリシアの三人だけになった。
エリシアが椅子に座った。アルドは壁際に立った。シャルはその少し後ろに、どこかぎこちなく立っていた。
エリシアが部屋を見回した。それからアルドを見た。
「グレイン様、無事でしたか」
「見ての通りだ」
「……少し、しゅっとしましたね」エリシアがポツリと言った。
「氣功の効果だ」
「あの変な呼吸ですよね。毎晩続けてるんですか?」エリシアが少しだけ間を置いた。
「……シャルロット・ドワイトさんと、一緒に動いているんですね」
シャルが微かに息を飲んだ。エリシアが偽名の方で呼んだことに、一瞬だけ目を動かした。
「限定的に、な」とアルドが言った。
エリシアはシャルを見た。シャルはエリシアを見た。二人の間に、短い沈黙があった。どちらも何も言わなかった。
エリシアが話し始めた。
王都のことだった。
宰相が王都の商業区を実質的に支配し始めていること。税の横流し。商人への圧力。王家への情報の遮断が、少しずつ、しかし確実に進んでいること。
アルドは情報を擦り合わせるために、エリシアに伝えた。
グレナ商会を通じて、王都で精製したと思われる合成麻薬が、カルヴェンのスラムから市街地に広まり出していること。複数の宰相派のアプローチによって、カルヴェンの経済が麻痺していること。宰相としては戦略として膠着・停滞を起こしているのだろうが、カルヴェンの現場は予想以上にひどい有様でカルヴェン全体が、この数ヶ月で疲弊し切っていること。
「父上は……知らないわけではないと思います。ただ、動けない。宰相の息のかかった者たちが、王宮の中枢から末端にまで入り込んでいます」
エリシアの声は、平静を保っていた。ただその平静さが、感情を押し込めている種類のものだとアルドにはわかった。
「私のやり方で、と言いました。サーヴァント侯爵の力も今回から借りて、実際に動きました。さらに侯爵の伝手から信頼できる者を集めて、証拠を集めようとしました。王都の主要の商人・商会に話を聞いて、記録を集めて、宰相側の動きを追いかけました」
少し間があった。
「……足りなかったんです」
その一言だけが、静かに落ちた。
「私が動くたびに、なぜか一歩先に潰されていました。証人が翻意する。記録が消える。信頼していた者が宰相側に取り込まれていた」エリシアの声が、わずかに硬くなった。「宰相の情報網は、私が思っていたより、ずっと深かった。まるで宰相は『魔法か奇妙な術』を使っているかのように、こちらの動きが筒抜けなんです……こちらに内通者がいるのかもと何度も疑ったのですが、そういった感じは全くなく、困り果ててます……特に王都内の動きに関しての宰相の嗅覚は異常なほどに……」
シャルが、小さく息をついた。何かを共感するような息だった。
アルドは黙って聞いた。
「グレイン様、あなたに頼みたいことがあります」
エリシアがアルドを見た。真っ直ぐな目だった。あの日のあの目と、同じ目だった。
「カルヴェンで宰相の足場を潰してほしいのです。そうすれば、王都でももう少し動けます。証拠を持って動ける人間が、王都にはまだいます。ただ——足場がいる」
「……もともとそのつもりだ。カルヴェンでの宰相の勢力を一掃する…つもりではなかったけど、そっちの事情を聞いた後だと、力で排除、宰相派の粛清、…と言うのは『今回の』俺のポリシーとはちょっと違うから、せいぜい宰相派の『無力化』くらいかな?」
「……グレイン様ならそう答えるかな?と思ってました」
エリシアが少しだけ声を落とした。
「でも——私が頼みに来た、ということを、伝えたかった」
沈黙が落ちた。
シャルが二人を見ていた。アルドを見て、エリシアを見て、また静かにアルドを見た。何も言わなかった。
アルドは少し考えてから、エリシアを見た。
「エリシア。お前に最後会った時に『縁があればまた会える』と言ったよな?」
エリシアの目が、わずかに細くなった。
「……言いましたね?」
「お前は王都で会う事を想定していたみたいだったから、少し様子は違うが、縁があったと言うことだ、エリシアとは。これは奇跡に近いんだぞ?俺みたいな限りなく平民が、一国の王女殿下と、こうやってご対面できると言うことは。それは、俺とエリシアには間違いなく『縁』があるからだ」
エリシアが、何かを言いかけた。言いかけて、やめた。
その代わりのように、小さく頷いた。
この部屋は三人だったことを、エリシアは途中で思い出したからだ。
シャルが視線をアルドからエリシアへ、エリシアからアルドへと動かした。何か言いたそうで、何も言わなかった。
(……「縁」、か……)
シャルは遠い記憶を、徐に辿っていた。
アルドは窓の外に目を向けた。カルヴェンの夜はまだ続いている。石畳の向こう、市場の方角に、明かりが見える。
盤面に、新しい駒が加わった。
——ただし、この駒は「王家」と言う特殊な駒だ。
どう動かすかは、慎重に決める必要がある。




