第19話 緊急時と、未成年の主張
目が覚めた瞬間、アルドは状況を理解した。
腰は大丈夫だ。氣功の成果は、ちゃんと出ている。
それ以外が、もう駄目だった。
肩が重い。腕が重い。背中の、普段意識したことのない場所が、じくじくと主張している。ふくらはぎまで参加しているのは、正直、予想外だった。まさにオールスター感謝祭と言った感じの錚々たる面々だった。
アルドは天井を見たまま、静かに考えた。
人体というのは、順番待ちをしているらしい。腰の問題が片付いたら、次の列が動き始めた。
ゆっくりと起き上がる。軋む、とまでは言わない。ただ、全身が「今日が返済日ですよー♪」という取り立て屋の顔をしていた。
宿の食堂に下りると、シャルロットがすでにいた。
パンをちぎる手が止まった。アルドの動きを、上から下まで一度だけ見た。
「……どうしたの?」
「なんでもない……」
「動き、おかしいけど……?」
「……気のせいだ」
「嘘ばっかり」
アルドは席に座りながら、表情を動かさなかった。シャルロットはもう一度だけこちらを見てから、パンをちぎる作業に戻った。
それ以上は聞かなかった。
その判断は、正しい。聞いても俺が反応しないと理解したみたいだ。
午前中は動いた。
クルトへの次の手を考えながら、カルヴェンの市場周辺を回る。宰相に近い商人の名前から辿れる糸がないか、さりげなく聞いて回る地味な作業だ。シャルロットは別のルートで同じことをしていた。示し合わせたわけではない。ただ、自然にそうなっていた。
昼前に落ち合って、情報を照合した。断片が、少しずつ繋がってきている。
「後見人」という単語は、まだ出ていなかった。後見人に対しての情報量が少なすぎる……確実にキーマンなはずなのに、噂でも出てこないあたり、三商会が意図的にこのワードを「伏せている」ようにも感じている。
多分、それぞれが出し抜こうと考えているから、それぞれが独自で、後見人の情報を躍起になって探しているのだろう。しかし、こうも後見人に関しての情報が少ないと……
アルドのぼやきは街の賑やかさにかき消された。
人通りが細くなる路地に差し掛かったのは、昼を回ったころだった。
アルドが先に感じた。
気配の質が、昨日と違う。昨日の六人は「仕事だから来た」という欲望を持っていた。今日のそれは——薄い。感情が、ほとんどない。アルドたちに対しての、明確な「殺意」だった。
シャルロットも気づいていた。半歩だけ足が遅くなった。
「……来る」とアルドは小さく言った。
「わかってる」
二人同時だった。
左右の物陰から、それぞれ一人ずつ。動きが速い。無駄がない。昨日の男たちとは、明らかに練度が違った。最初の一手から、連携している。
シャルロットが右の一人を引き受けた。アルドは左へ向いた。
男が踏み込んでくる。アルドは半歩ずれて、流そうとした。
そこで、背中が言ってきた。
——私、今、絶賛筋肉痛ですよ?と。
一瞬、動きが止まった。ほんの一瞬だ。ただその一瞬で、男との距離が詰まった。体勢を立て直す前に、二撃目が来た。
アルドは腕で受けながら、強引に流した。きれいではなかった。前世の自分が見たら眉をひそめるような雑な処理だったが、とにかく男は前につんのめった。そこへ追撃を一手。
男が動かなくなった。
右側では、シャルロットがすでに相手を制していた。こちらより早かった。
静寂。
アルドは肩を押さえた。押さえるつもりはなかったが、手が動いた。
シャルロットが近づいてきた。その目が、アルドの肩のあたりで止まった。
「……古傷か?」
少し、心配そうな声だった。
アルドは一瞬考えた。
「……古傷というにはまだ最近だがな」
シャルロットが、意味がわからないという顔をした。何か言いかけて、やめた。
そのとき、倒れた男の一人が、かすれた声で何かを言った。
二人とも、動きを止めた。
「……黒鷲に仇なす……ヴォ——家の……芽を……」
それだけだった。男はそのまま、動かなくなった。
沈黙が、長かった。
アルドは男を見ていた。シャルロットはアルドを見ていた。アルドがシャルロットに視線を移したとき、シャルロットはもう目を逸らしていた。
路地の奥で、風が通った。
シャルロットが、先に口を開いた。
「……聞いたわね?」
「聞いちゃった」
「……どこまでわかった?」
「『黒鷲』が宰相のことなら——ヴォーン家の人間が、それに狙われている。そしてお前が、その家の誰かってことかな?おじさん、よくわかんないや」
シャルロットは何も言わなかった。否定もしなかった。
しばらくして、石畳に視線を落としたまま、少し疲れた声で言った。
「……ヴォーン家の、娘。黒鷲——つまり宰相が、王国の実権を根こそぎ握ろうとしている。それを止めたくて、カルヴェンにいる」
アルドは黙って聞いた。
「黒鷲はカルヴェンの膠着を利用して、王都から離れた場所に足場を作ろうとしている。私はその証拠が欲しかった。……これで、信用する?」
「もともと疑ってはいなかった」
シャルロットが顔を上げた。
「……じゃあ、なんで今まで聞かなかったの?」
「聞く必要がなかった。今は、ある」
(……どう考えても厄介ごとだろ。そんな野暮なこと聞くわけない)
アルドはシャルロットを見た。
「——カルヴェンの件が片付くまで、限定的に組まないか?こちらの目的とお前の目的は、少なくともここでは重なっている、ように見える」
シャルロットは少しの間、アルドを見ていた。計算しているのではなく、測っているような目だった。
「……条件が、一つある」
「聞こう」
「私のことは、ちゃんと名前で呼んで——あなたのことも、名前で呼ぶ」
アルドが少し間を置いた。
「……アルド、でいいか?」
「好きに呼べ」
「じゃあ——アルド」
口に出してみるように、もう一度。「アルド」
アルドは前を向いた。なんで二回呼んだ?
「……緊急時にシャルロットだと長い。シャルでいいか?」
「……構わない。緊急時なら仕方ないからな」
「そう。緊急時の話だ。普段はシャルロットお嬢様と」
「嘘ばっかり」
「すごいな…俺の嘘を簡単に看破してしまうなんて……」
「丸わかりだわ」
シャルロットの表情が、ほんの少しだけ変わった。声には出なかった。でも、確かに変わった。
「——いいわ、アルド」
「じゃあそういうことで、よろしく、シャル」
「ん?別に今は」
「すごい緊急時だ」おどけるアルドをシャルが小突いた。
夜になった。
宿の窓から、星が見えた。アルドは部屋で氣功を始めた。全身からまだ未成年のように主張して来ていたが、昨日よりは落ち着いている。回復は、している。
気配がした。
見慣れた、飄々とした気配だ。
「……少し久しぶりだな?」とアルドは目を閉じたまま言った。
「そう? そんなに経ったかしら?」
ルーチェが、部屋の空気に混じるように現れた。いつも通り、どこに座っているのかよくわからない存在感で、こちらを見ていた。
「いやあ、順調ね」
「何がだ?」
「色々と」飄々とした目が、細くなった。「シャルちゃんとも、うまくやってるじゃない」
「限定的に組んでいるだけだ」
「そうね、限定的に、局地的に仲良くね?」
イタズラっぽく女神は返した。アルドは答えなかった。
「あと——」ルーチェの声が、少しだけ変わった。「エリシアのことだけど」
アルドの氣功が、一拍だけ止まった。
「……なんだ」
「思ったよりあの子の動き早いわよ、本当に」
「……どのくらいだ?」
「それは教えてあげない」ルーチェが笑った。「でも——心の準備だけはしておいて。あの子、あなたが思ってるより、ちゃんと動いてるから」
「役に立たない神だな。元々、動きがわかってから対処する予定だったから、問題はない」
「まあね。でも——」
ルーチェが、少しだけ真顔になった。
「筋肉痛、ちゃんとケアしなさいよ」
「……こんなに動きが制限されるとは…と反省してる」
「大事なことだもの。ストレッチとかしなさい。やり方、記憶を解放してあげるわ」
気配が、消えた。同時に、アルドの前世の記憶にあった、ストレッチの仕方が思い浮かんだ。
アルドは一人、夜の静寂の中に残された。
エリシアが、思ったより早く来る。それがいつで、どういう形で、何を意味するのか——考え始めたところで、全身が静かに、しかし着実に、再び未成年のような主張を始めた。「今日はー!聞いて欲しいことがありますー!」
「……なーにー?」
誰もいない部屋で、アルドは筋肉に向かって前世のバラエティ番組のノリで答えた。
すると筋肉は好きな子の告白をし始めて、全身が沸き立った。筋肉痛として。
「あーうるせえ!黙ってろ!無視すりゃよかった!」
アルドの筋肉痛はもう少し続くのだった。




