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第18話 路地裏と、迷子のおじさん

 帰り道の石畳(いしだたみ)は、来るときより静かだった。


 昼を過ぎた時間帯、市場の喧騒(けんそう)から一本外れた通りには、人の気配がまばらになる。アルドはゆっくりとした足取りで、頭の中だけを動かしていた。

 宰相(さいしょう)に近い商人の名前が出た。クルトへの遅らせも、黒幕…つまり宰相側の指示によるものだと確定した。行商人(ぎょうしょうにん)は動かせる。クルトは泳がせている。あとは——

 前方を、ローブの(すそ)(ひるがえ)っている。


 アルドは三秒かけて、静かに息をついた。

 また歩調が合っている。

 前世でも、同じことがあった。——今回は割愛。もう学習した話だ。ただ今日に関して言えば、向こうもこちらの歩幅に合わせてきている気がしないでもない。


 シャルロットは前を向いたまま、何も言わなかった。アルドも何も言わなかった。

 情報の照合は終わった。お互い、持ち帰るものは持ち帰った。それだけの間柄だ。そのはずだ。

 路地の入り口に差し掛かったのは、そのときだった。


 前から、三人。

 振り返れば、後ろから二人。少し遅れて、横の細道からもう一人。

 合わせて六人。全員、腰に武器を帯びている。顔つきは(そろ)って、どこかよそよそしく緊張していた。


 絶対交渉権が、静かに像を結ぶ。

「金をもらっている」「早く終わらせたい」「面倒は嫌だが仕事だ」——確信犯ではない。雇われた者たちの欲望だ。

 アルドは内心だけで小さく確認した。誰に頼まれたかは、読めない。ただ素人ではない。動きに慣れがある。

 隣で、金属音がした。

 シャルロットが、剣を抜いていた。アルドより、明らかに反応が早かった。



 最初の一人が、アルドに向かってきた。

 大柄な男だった。体重を乗せた突進で、掴みかかってくる。

 アルドは半歩だけ横にずれた。

 男の勢いを、そのまま前へ流した。

 地面に転がる音がした。男は自分がなぜ転んだのかわからない顔をしていた。


「……なんだ今のは?」と後ろにいた男が言った。

 アルドは答えなかった。次の一人が来ていたから。

 同じだった。触れた、というより、誘導した。男は自分の体重と勢いを裏切られた形で地面に落ちた。「転んだ」という言葉以外に説明のしようがない動きだった。

 右側では、シャルロットが三人を相手にしていた。

 速かった。

 剣筋に、迷いがなかった。振り下ろすのではなく、(さば)く。相手の力を削いで、次の動きを(つぶ)す。教わった動きだ、とアルドは見た瞬間に思った。型がある。誰かに、ちゃんと教わっている。

 一人が弾かれた。二人目が体勢を崩した。三人目が一歩退いた。


 残る一人が、シャルロットの背後に回り込もうとした。六人の中で、一番動きが読めない男だった。他の五人より、目に慣れたものがある。

 アルドはその男の右腕を、ほんの少しだけ引いた。

 男は盛大に、前のめりに倒れた。

 静寂が、路地に落ちた。


 六人は誰も立ち上がらなかった。立ち上がれない者もいたし、立ち上がる気力をなくした者もいた。アルドはそのまま歩き始めた。深追いをする理由はなかった。

 シャルロットが剣を鞘に収める音がした。

 アルドはその動作を、なんとなく見ていた。


 手首の返しが、きれいだった。力を入れていない。無駄がない。剣を道具として扱い慣れた人間の動きだ。戦いの中で何度も繰り返してきた動作だ。そして——習った動きだ。


「……腕のいい師がついていたんだな?」とアルドは言った。「我流じゃない」

 シャルロットの手が、一瞬止まった。

 ほんの一瞬だけ。すぐに動いた。(さや)への収まりを確認するように、もう一度だけ手元を見てから、前を向いた。

「……旅人のくせに、妙なところ見るのね?」

「職業病だ」

「どんな職業よ?」

「旅人だ」

「嘘ばっかり。聞いたことないわよ、旅人っていう職業なんて」

 それ以上、どちらも言わなかった。

 アルドは聞かなかった。師が誰か、どこで剣を習ったか、なぜこんな動きができるのか。シャルロットも聞かなかった。アルドが何者で、なぜあんな投げ方ができるのか。シャルロットはアルドの先ほどの体捌(たいさば)きをしっかり見ていた。

(……少なくとも師範級以上の使い手。見た目じゃわからないものね……)

 シャルロットはアルドに対する評価を修正していた。


 お互い聞かなかった。それが、今のこの二人の距離だった。



 路地を抜けた先の通りは、何事もなかったように人が行き来していた。遠くから数人の自警団の影が見えた。誰かが先ほどの「じゃれ合い」を通報したのだろう。事情聴取は面倒だな……と思っていたのはシャルロットも同じようだった。


「こっちだ」シャルロットは再び細い道に入り、アルドに声をかけた。

 二人はそのまま宿の方角へ歩き始めた。

 しばらく経って、シャルロットが言った。


「……また歩調が合ってるわよ?」シャルロットはクスッと笑った。

「来た道と違うからな。というかお前が誘ったんだろ、この細道に」

「否定しないの、今日は?」シャルロットは意地悪そうに言った。

「……する気力がないし、こんな広い街で迷子になりたくない。俺は必死だ」

「いっそ迷子になってしまえ」

「迷子のおじさんが街の人たちに助けられる姿、かわいそすぎるだろ」


 シャルロットは特に何も言わなかった。

 ただ、肩が少し動いた。声は出ていないが、多分笑いを堪えている肩の動きだ。アルドはそれを視界の端で確認して、前を向いたまま何も言わなかった。

(……多分『迷子のおじさん』がツボったんだろうな。迷子のおじさんなんて、早々いないから)

 夕暮れが、石畳を橙色(だいだいいろ)に染め始めていた。

 アルドは内心だけで、静かに盤面を確認した。

 雇った側が動いてきた。つまり、こちらの動きが向こうに届いている。それは困ることではない。むしろ——。

 ——好都合(こうつごう)だ。


 そして、アルドは大事なことを忘れていた。

 合気道は、フィジカルに頼らない。それは本当だ。腰への負担も、以前よりずっと減った。今日も、腰はひやっともしなかった。氣功の成果は、確かに積み上がっている。


 ただ。

 普段使わない筋肉、というものが、人体には存在する。

 六人を相手にしたことで、日常では眠ったままの筋肉たちが、今日だけ(たた)き起こされていた。彼らが翌朝、目覚めとともに等しく自己主張を開始することを——


 この時点のアルドは、まだ、知らなかった。

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