第14話 一人の道と、読めない女
街を出て、半日が経った。
道は緩やかな起伏を繰り返し、遠くに丘の稜線が続いている。空は薄曇り。荷物は少ない。背嚢ひとつに、銀貨が少し。同行者もいない。
別に、寂しいわけではない。
アルドは歩きながら、静かに息を吐いた。氣功の呼吸。四歩で吸って、六歩で吐く。最初の頃は三十分も続かなかったのが、今は意識しなくてもリズムが保てる。腰の重さも、今日はほとんどない。
一人だと、歩くのが速い。合わせる相手がいないから当たり前だが。
(……いや、べつに誰かに合わせてたわけじゃないけどな)
考えがどこかへ流れていくのを、呼吸で引き戻す。カルヴェンまでは夕刻前には着くはずだ。
問題が起きたのは、昼をとうに過ぎた頃だった。
街道脇の細道で、三人の男がしゃがみ込んでいた。武装はしているが戦意はない。疲弊して、怯えている。追われている顔だ。
アルドが近づくと、一人が「藁にもすがる」目でこちらを見た。
(面倒な……)
絶対交渉権が動いた。三人の輪郭が滲むように浮かぶ。欲しいもの——「時間」と「頼れる誰か」だ。
「何があった?」
男が口を開きかけた、その瞬間。木々の奥から蹄の音が響いた。
現れたのは、一騎だった。
馬を止めた人物を見た瞬間、アルドの中で前世の感覚が静かに立ち上がった。格を測るための、あの感覚。
若い女だった。
二十代の半ばか、あるいはもう少し上か。馬上でも背筋が伸びている。旅装だが動きやすそうで、腰に細剣を佩いている。青髪を無造作にまとめていて、顔立ちは整っているが、それより「切れ味」が先に目に入る。氷のように冷たく刺す瞳。
そして、アルドを見た瞬間から、まったく警戒していなかった。
アルドは反射的に絶対交渉権を向けた。
(……)
読める部分と、読めない部分がある。欲望の輪郭が——滲んでいる。普通、人の欲にはかたちがある。金、権力、安全、復讐。何かしら像を結ぶ。この女のそれは、形が掴みにくい。まるで複数の欲が同時に走っていて、どれが本線かわからない。
(初めてだな、こういうのは)
女が馬上から三人の男を一瞥した。それだけで男たちが縮こまった。次いで、アルドへ。
「あなた、何してるの?」
挨拶がなかった。
「……通りがかっただけだ」
「ふうん」
女は興味なさそうに頷いて、三人の男を指差した。
「その三人、私が探してた人たちなんだけど。どいてもらえる?」
どいてもらえる、という言い方だった。頼んでいるのか命令しているのか、判別がつかない口調で。
「事情を聞いてもいいか?」
「別にいいけど」と女は即答した。「あなたが聞いてどうするの?」
「どうするかは聞いてから決める」
「へえ……?」
女が、初めてアルドを正面から見た。ゆっくりと、上から下まで。値踏みというより——採点するような目だった。
「おじさん、面白いこと言うね?」
(おじさん)
面白い、という部分より、初対面の人に「おじさん」という部分が先に引っかかった。が、そこを拾うのも負けな気がしたので、やめた。それこそ老害っぽいし。
「女性が一人で動いているのは、それなりに理由があるだろう?」
「一人じゃないけど」
「今は一人に見える」
女は少し口角を上げた。
「確かに正解ね。部下は街で待たせてる」
「つまり、ここでは人手がない」
「だから?」
「だから、その三人を連れていくのに手間取る可能性がある」
女はしばらくアルドを見ていた。計算しているのか、楽しんでいるのか、表情から読み取れない。
「……続けて」
「俺が三人を落ち着かせる。お前は事情を話す。それで双方、手間が省ける」
「私が正直に話すと思ってる?」
「話せる範囲で構わない。こちらも根掘り葉掘りは聞かない」
女が短く笑った。声には出さず、口元だけで。
「交渉、好きなの?」
「仕事だ」
「何の仕事?」
「今は旅人だ」
「さっきと同じ答えね」女は馬から降りた。「まあいいわ。乗った」
三人の男の話は、短くまとめると「うちの商会の帳簿を持ち出した」ということだった。
女の名は、シャルロット・ドワイトと名乗った。姓が本物かどうかは、絶対交渉権では判別がつかなかった。二十一歳。カルヴェンで独立商会を立ち上げて三年だという。元々は親がドワイト商会の会長で、独立商会はそこの下請け商会らしい。
「帳簿は預かる」と女は言った。「あなたは?」
「カルヴェンへ行く」
「商売で?」
「まあ」
「どんな?」
「まだ決めていない」
女が、また採点するような目でアルドを見た。
「嘘ではなさそうね…いや、本当かは確証は取れないか……」
「嘘をつく理由がない」
「ふうん」
しばらくの間があった。木々の間から、遠くにカルヴェンの輪郭が見え始めている。
「同じ方向よね?」と女が言った。「街まで一緒に歩く?」
「構わないが」
「じゃあ決まり」
決まり、という言い方だった。こちらの返事を確認してから言っているのに、なぜか最初から決まっていたような口調で。
(……やりにくいタイプだな)
絶対交渉権で読めない部分が、結構ある。欲しいものの輪郭が、まだ滲んでいる。前世でも、一握りしかいなかった種類の人間だ。欲望が何層にも重なっているのと…
本能的に「見てはいけない欲望」のような気がする。これは直感だが。
凝視すると、なぜか吐き気に近いムカムカを感じる。
並んで歩き始めてしばらくして、女が口を開いた。
「おじさん、名前は?」
「アルド・グレインだ」
「シャルロット。さっき言ったけど」
「覚えている」
「ふうん」と女は言った。「じゃあアルド、カルヴェンで困ったことがあったら声をかけて。役に立てるかもしれないから」
「こちらこそ」
「あなたが役に立ちそうかは、まだわからないけど」
(……言い方があるだろう?)
内心でぼやいたが、声には出さなかった。
夕刻前に、街門が見えてきた。
カルヴェンは、思ったより大きかった。城壁はないが、街の外れまで商会の看板が連なっている。人の流れが複数ある。東と南からの流れが街の中心でぶつかる構造。利権が複数走っていて、誰かが束ねているようには見えない。空白がある。
(やりがいはある)
「広いでしょ」とシャルロットが言った。「でも、まだ誰のものでもない街よ」
アルドは答えなかった。
(知ってる)
(面倒くさいけど)
それでも、足は止まらなかった。




