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第15話 カルヴェンの空白と、たぶん

 カルヴェンの朝市は、騒がしかった。


 東の通りから南の通りへ、人の流れが交差する中央市場。野菜、布、鉄器、香辛料(こうしんりょう)。売り声が重なって、値段の駆け引きが至るところで起きている。活気がある。だが——


 ((ゆが)んでいる)


 アルドは市場の端に立ちながら、静かに目を動かした。

 値段のばらつきが大きすぎる。同じ小麦粉が、東の露店と南の露店では二割近く違う。布の相場も、商会の看板によって明確に差がある。これは競争ではない。縄張りで価格を操作している。


 絶対交渉権が、ゆっくりと動いた。

 行き交う人々の輪郭が、薄く浮かびあがる。東のグレナ商会に属する商人——欲しいものは「南への食い込み」。南のミラン商会の使いの男——欲しいものは「東を(つぶ)す証拠」。中央で独立している小さな露店の老人——欲しいものは「ただ今日を乗り越えること」


 ミランとグレナどちらにも組したくないが、アムリタの意志を継ごうと有志で集まったロンメル商会。前の二つの商会よりも規模としては大きいが、商会を統率できる強いリーダーがいないため、烏合の衆にはなっている。ロンメルは自分から動くことはしない。ただ、グレナとミランどちらかが動いたら、それに反発する「抵抗勢力」という構図だ。


 ちなみに、シャルロットの実家のドワイト商会は、元アムリタではない商会なので、この覇権争いには干渉していない。特にどの商会に肩を持つわけでもない、静観を決め込んでいる。それを三商会も分かっているのでドワイト商会には何もしてこない。そんな余力は三商会には無いからというのもある。


 (三つ巴か。しかも全員、動けないでいる)

 牽制(けんせい)し合って身動きが取れない。誰かが動けば、残りの二つが組む。だから誰も動かない。膠着(こうちゃく)している。そして三商会が水面下で「後見人(こうけんにん)」を躍起(やっき)になって探している……


 (空白は、中央だな)

 市場の中心、どの商会の看板も届いていない一帯。人の流れが自然と集まってくる場所。そこだけ、まだ誰のものでもない。というか、不気味なほどに閑散(かんさん)としている。ガラの悪い男たちが、そこかしこにたむろしてる。

 アルドは人の流れを目で追いながら、ゆっくりと歩き出した。



 中央市場を一周したところで、一人の男が目に入った。

 四十がらみ。体格はいい。露店の端で荷物の仕分けをしながら、行き交う商人たちをじっと見ている。商人にしては観察する目が鋭い。かといって、どこかの商会の番頭には見えない。一人で動いている。


 絶対交渉権を向けた。

 欲しいもの——「信用できる取引相手」。それだけだ。金でも権力でもなく、ただ信用。筋を通したいタイプだ。


 (穀物商のベリンに似ているな)

 声をかけるか思案しながら近づいた。初対面の相手にスルリと入り込むようなアプローチ……その瞬間。


 (――私の取り扱う品物はココロでございます。――)

 前世の某アニメ主人公「悪魔的な笑う営業マン」の口上だった。

 (……いかん)


 アルドは内心で打ち消した。記憶の断片が、油断した瞬間にこうして浮かんでくる。あの口上を使えば確かに相手の心は掴める(のか?)。だがこの世界でやったら、ただの不審者だ。ホーッホッホ…と、あの営業マンが頭の中で歯を剥き出しにして笑う。

「何か?」


 男が顔を上げた。アルドと目が合う。

「……荷物が多そうだと思って」

「ああ」と男は言った。愛想(あいそ)はないが、敵意もない。「一人だと限界がある」

「そうだな」


 短い沈黙があった。

「この辺りの人間か?」とアルドは聞いた。

「三年になる。あんたは?」

「今日着いた」

 男がアルドを少し見直すような目で見た。

「それで中央をうろついてるのか」

「どこの縄張りでもないから、まず見やすい」

「だが、この辺りは最近妙な連中がうろつくようになって、治安が悪い。正直おすすめはしないからずらした方がいい」

「だが明らかに人が行き交う最高の場所だ。逆にこの状態を放置しているのは異常だ」

 男は少し考えてから、「座るか?」と荷物の脇を(あご)でしゃくった。

「いや、また今度にする。今日は様子見だったから」


 (種は()けた)

 アルドは内心でぼやいた。

 (育てるかどうかは、また明日だ)



 宿を決めたのは、夕刻前だった。

 東のグレナ商会の通りから二本外れた路地の奥にある、看板も小さな宿。客は少ないが清潔で、主人の目が正直だった。絶対交渉権で読んだ欲望は「静かに商売を続けること」。どの勢力にびていない。

「三日、頼む」

「銀貨三枚、前払いで」

「構わない」

 それだけで話が済んだ。気持ちがいい交渉だった。


 部屋は狭いが、窓から中央市場の方角が見える。荷を下ろして、今日見てきたものを頭の中で整理する。三つの商会の名前と規模、中央市場の空白、目をつけた男のこと。

 (まずあの男だな。名前も聞いていない。明日また行けばいる気がする)

 そういう確信が、なぜかあった。

 窓の外が、暗くなっていく。



 夜になって、いつもの呼吸法をしていると——

「久しぶり」

 声がした。

 アルドは目を開けなかった。


「……鍵をかけていたはずだが?」

「あ、そういうの関係ないから、私」

「プライバシーを尊重してはくれないんだな?」

「私、女神なので」ルーチェはふんす!と胸を張った。

 ルーチェは窓の(さん)に腰かけていた。明るい髪が夜風に揺れている。いつもの飄々(ひょうひょう)とした目で、部屋を見回している。


「狭い部屋ね」

「一人だから十分だ」

「一人、ねえ?」

 含みのある言い方だった。アルドは無視した。

「用件は?」

「用件がなきゃ来ちゃいけないの?」

「めんどくさい彼女みたいな言い方するな。……というより、あるんだろ?」

 ルーチェは少し笑った。否定しなかった。

「カルヴェン、どう思った?」

「空白がある」

「そう。そしてその不自然な空白を、複数の勢力が同時に狙っている」ルーチェは窓の外に目を向けた。「あなたが思っているより、少しだけ急いだ方がいいかもしれないわ」

宰相(さいしょう)の動きか?」


 ルーチェがちらりとアルドを見た。

「話が早いわね」

「カルヴェンみたいな大きな都市がこれだけ膠着しているのは不自然だ。誰かが意図して止めている。そういう動きをするのは、一番上から押さえている人間だけだ」

「……まあ、そういうことよ」とルーチェは言った。「詳しくは言えないけど」

「言えない、というより言わないんだろう?」

「似たようなものよ」

 アルドは息を吐いた。神様というのは、どうしてこう回りくどいのか。


「一つだけ聞いていいか?」

「どうぞ。あ、スリーサイズは秘密だから」

「今更だろ。興味もない」

「少しは興味持ちなさいよ!こんなに絶世の女神なんだから!」ルーチェはふくれた。

「……道中で会った女。シャルロットと名乗った。絶対交渉権で読めなかった」

 ルーチェの目が、少しだけ変わった。面白がっているような、それでいて慎重なような。

「読めなかったの?そう……」

「ああ。欲望の輪郭が滲んでいた。前世でも一握りしかいなかった種類だ」

「そうね……」ルーチェは少し間を置いた。「理由はちゃんとあるわ。ただ——それを教えるのは、まだ早いかな?」

「早い、とはどういうことだ?」

「あなたが自分で気づく方が、意味があるから」

 (神様の言い方は毎回腹が立つな…)

 内心でぼやいたが、声には出さなかった。


「一つだけ言えることがあるとすれば」とルーチェは続けた。「あの子は、あなたの邪魔をしに来たんじゃないと思う。たぶん」

「たぶん、か」

「神様でも、全部は見えないのよ。たまには」

 それは本当のことを言っているのか、はぐらかしているのか。

 ルーチェが窓の外に目を向けたまま、ぽつりと言った。

「エリシアのことは——まあ、心配しなくていいと思うわ。あの子、思ったより図太いから」

「知っている」

「でも、あなたが思ってるより早く会うことになるかもしれない」

 アルドはその言葉の意味を問いかけようとした。が、ルーチェはもう立ち上がっていた。

「じゃあ、頑張ってね」

「それだけか?」

「それだけよ。あとは自分でやりなさい」

「あっさりプライバシー侵害しておいて、引き際はスーパードライすぎるだろ」

 窓の外に消えていく。あっけない退場だった。

 部屋に、一人の静けさが戻った。



 しばらく、アルドは動かなかった。

 それから、もう一度呼吸を整えた。

 前世の記憶だろうか?低い男の声で「功夫(クンフー)は十分すぎるということはない。精進(しょうじん)(おこた)るなよ」と言われたようなシーンが頭にふっとよぎる。師匠だった人だろうか?モヤがかかったようで、良く思い出せない……


 頭の中で、今夜聞いたことを転がす。

 宰相の影。カルヴェンの空白を意図して維持している何者か。そしてシャルロット——読めなかったのには理由がある。邪魔をしに来たわけではない、たぶん。

 (たぶん、ね)


 前世でも、絶対交渉権で読めなかった人間は確かにいた。欲望が死んでいる人間ではなかった。欲望の形が、普通と違う人間だった。欲しいものが、金でも地位でも安全でもなく、もっと別の何かだった人間。

 シャルロットの目を思い出す。

 値踏みしているような。採点しているような。それでいて、計算の奥にたまに本音が滲む。

 (まあ、急いで結論を出すことでもない)


 やることは変わらない。一つずつだ。

 呼吸が、深いところまで降りていく。最近さらに安定してきている。前世の身体に近づいているのか、あるいはそれを超えつつあるのか。

 窓の外で、カルヴェンの夜が静かに続いていた。



 翌朝、食堂に降りると——

 先客がいた。


 窓際の席で、パンを手に持ったまま外を見ている。長身の青色のポニーテール。旅装。

 シャルロットだった。

 アルドが入ってきた気配に気づいて、振り返る。一瞬、お互い何も言わなかった。

 シャルロットの目が、アルドの顔からこの宿の内装へ、それからまたアルドへ戻った。何かを計算しているような間があって——

「……どの縄張りにも属していない宿を選んだの?」

「そうだ」

「……そう」

 シャルロットは少し目を細めた。面白いとも、困ったとも取れる表情だった。

 アルドは向かいの席には座らず、一つ離れた席を引いた。シャルロットがその判断を見ていた。


 給仕(きゅうじ)が来て、パンとスープを頼む。

 しばらく、二人とも黙っていた。

 それから、シャルロットが口を開いた。

「あなた、カルヴェンで何をするつもり?単純に商売…じゃないわよね?」

 アルドはスープを一口飲んでから、答えた。

「まだ決めていない」

「また同じ答え」

「嘘ではないからな。実際にここに来て、決めあぐねている」

 シャルロットが、小さく息を吐いた。笑いをこらえているような、(あきら)めているような。

「……ねえ?」と彼女は言った。今度は少しだけ声のトーンが変わっていた。計算ではなく、本音に近い声で。「もし、カルヴェンで何か困ったことがあったら」

「声をかけていいか?」

 シャルロットが目を細めた。

「……先に言わないで」

「すまない。じゃあ、張り切って続きをどうぞ!セーの!」

「いうわけないでしょ」彼女は少し笑いながら肩を揺らした。

 彼女は立ち上がり、外套(がいとう)を羽織った。食堂の出口に向かいながら、振り返らずに言った。


「また会うでしょ?」

「そうだな、たぶん」と、今度はアルドが返した。


 シャルロットの足が、一瞬だけ止まった。

 それから、何も言わずに出ていった。

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