第13.5話 有料コンテンツと、無課金勢(第三章前日譚)
今回の話は、第13話(第1-2章)と第14話(第3章)の間の話です。
実は、この話は第3章の後半くらいまで執筆していた際に、情報を補完する必要があると思いまして、追加で書き上げた内容です。通常のナンバリングにしようかとも考えたのですが、途中で差し込んで書き込んだことを後にわかるように、今回こういった特殊な形で表記しています。
内容としてはいつも通り読んでくださいましたら大変ありがたいです!
夜が深くなっていた。
アルドはヴァレリア王国の東の街道沿いにある宿の一室にいた。窓の外、遠くに村の灯りがいくつか見える。風が木々を揺らしている。静かな夜だった。
エリシアとは別行動になってしばらく経つ。
「私のやり方で」と言って別れた。あの毒舌の、怖いくせに逃げない王女殿下が、どんなやり方で動くのか——まあ、心配はしていない。なんとかやるだろう、多分。王女だし。
アルドは床に座って、呼吸を整えた。毎晩の氣功の鍛錬だ。前世から続けていた習慣が、この身体にも少しずつ根付いてきている。腰の重さが、以前より確実に薄れていた。
息を吸う。止める。吐く。
丹田に意識を集める。前世の身体で積み上げてきたものを、この四十二歳の、腰痛持ちで物忘れのある、まだ少しぽっちゃり気味の身体に、少しずつ、丁寧に移していく作業だ。
急がない。功夫とはそういうものだ。
息を吸う。止める。吐く。
気配が、変わった。
部屋の空気が、少しだけ違う密度になった。アルドは目を閉じたまま、静かに感じた。
「お疲れ様」
ルーチェだった。
目を開けると、窓際に座っていた。月明かりの中、相変わらず飄々とした目をしていた。
「あの街を出立する直前以来だな。どうした?」
「あなたが一人で考え込む前に来た方がいいと思って」
「俺は別に考え込んでいない」
「嘘ね」
アルドは少し間を置いた。
「……エリシアのことなら、心配していない」
「知ってる」ルーチェが少し目を細めた。「でも今日は別の話よ」
「ほう?」
ルーチェが窓の外を見た。遠くの村の灯りを、しばらく見ていた。
「カルヴェンって知ってる?」
「カルヴェン?」アルドは少し考えた。
「あの商業都市カルヴェンのことか? なんでまた?」
「あそこは今、大きく動こうとしているの。悪い方向にね」
「……どういうことだ?」
「二年前に、カルヴェンを実効支配していた商業クラン『アムリタ』のトップと幹部が、不慮の事故で全員死んだの」
アルドの目が、少し動いた。
「全員、か?」
「全員。同じ日に」
「……不慮の事故にしては、きれいすぎるな」
「そうね」ルーチェが静かに続けた。「アムリタが直接実効支配していた中央市場も、よくわからない連中が荒らし回るせいで、閑散とした状態になってる」
「……それはもしかしなくても」
「ええ。カルヴェンの勢力図を塗り替えようとするヤツがいるということ」
アルドは少し考えた。前世の記憶が、静かに動き始めた。こういう話は知っている。力で頂点を潰して、混乱に乗じて支配を広げる——古典的な手だ。
「……どうせ教えてくれないんだろ? 黒幕が誰かなんて」
「この国の宰相よ」
「言うんかい!」女神にツッコミを入れながら、前世に読んだ、ジャンルの王者が主人公の作品を自分に被せて思い出していた。
ルーチェが涼しい顔をしていた。
「……でも、宰相ってすでに権力持ってるヤツだろ? 欲目をかいたか?」
「それもあるわ……でも、いえ、これ以上は面白くないから言わない。あなたならいずれ答えに辿り着けるだろうから」
「続きは有料版でお楽しみにってか?」
「あら、私は高いわよ。女神だし」
「無課金でコツコツ頑張ります」
ルーチェが小さく笑った。それから、少し真剣な目になった。
「ただ、アムリタもカルヴェンをまとめる商業クランなだけあって、対策を取ってたみたい。自分たちが力によって排除された時の、ね」
「ほう?」
「後見人がいるのよ。アムリタには。その後見人が認めた個人・団体でないと中央市場を譲らないっていう話」
アルドは少し間を置いた。
「で、誰だよ。その後見人って」
「それを見つけて——懐柔?するのがあなたのこれからのミッションということで」
「なるほどな」アルドが静かに頷いた。「カルヴェンのフィクサーになる必要が、俺にはあるということか?」
「そう。今は具体的に話せないけど」ルーチェが続けた。
「で、それがアムリタが存在していた時はテコでも動かせず無理だったの。その場合はアムリタを仲間に引き込む必要があったんだけど……だけど宰相が力づくで手に入れようとしたから、逆にカルヴェンは膠着状態になった。どこの誰かが、宰相がアムリタを力づくで壊したという話が——なぜか、凄い早さで出回ったの」
「まぁ、アムリタの残滓だろうな。または宰相をよく思わない勢力の工作か」
「そゆこと」
「じゃあ俺は、カルヴェンの中央市場を抑えるために、その後見人を見つけて、中央市場の権利を手に入れ、アムリタの跡目を引き継ぐ体制をつくればいいってことか?」
「そう」ルーチェが頷いた。
「でもカルヴェンでそれをしていることは出来るだけ気づかれないようにね。宰相側も他の商会側も強硬な姿勢をとって事態が難航するから」
「そうだな」アルドは少し考えてから言った。「ただ——膠着しているということは、誰も得をしていないということでもある。そこには必ず、隙がある」
ルーチェが、少しだけ目を細めた。楽しそうな目だった。
しばらく沈黙があった。
アルドは窓の外を見た。遠くの灯りが、風に揺れている。
「……エリシアは、関係するのか?カルヴェンに」
「直接は関係しない。でも——繋がってはいるわ。いずれわかる」
「そうか」
またしばらく沈黙があった。
「お前、たまにはもう少し情報をくれてもいいんじゃないか?」
「情報を与えすぎると、あなたが面白くなくなるの。あとルールね」
「誰のための面白いんだ?それは」
「もちろん私のよ。女神なんだから、少しくらいわがままを言わせて」
「女神というのは全員そういうものなのか?」
「さあ。私以外の女神に聞いたことがないからわからないわ」
アルドは小さく息をついた。
「……わかった。カルヴェンへ行く。後見人を見つけて、中央市場を抑える。膠着した盤面を、動かしてみせる。うまくすればサーヴァント侯爵の手土産にもなるだろうし」
ルーチェが、静かに頷いた。
「一つだけ聞いていいか?」
「なに?」
「俺が女神に課金する方法はあるか?」
ルーチェが少しの間、アルドを見た。それから静かに言った。
「……あなたが生き延びること。それが一番の課金よ」
アルドは何も言わなかった。
ルーチェの気配が、静かに薄れていった。
部屋に、一人の静けさが戻ってきた。
アルドはしばらくそのまま、窓の外を見ていた。それから、横になった。
カルヴェンか。
前世なら、こういう仕事は得意だった。力で潰された後の混乱に乗じて、誰も気づかないうちに盤面を制する。それがフィクサーというものだ。
ただ——この身体は腰痛持ちで物忘れがある。氣功の効果は出てきているが、まだまだ功夫が足りない。前世の記憶と技術はある。身体がついてくるかどうかが問題だ。
……まあ、やればできるけど?
内心で、静かにそう思った。
無課金で頑張ります。
女神相手に無課金というのも、なかなか強気な話だが——課金手段が「生き延びること」なら、それは普通に頑張るしかない。
……普通に頑張るか。
なんだか、前世より単純な話かもしれない。
アルドは目を閉じた。
明日、カルヴェンへ向かう。
——さて。
誰もいない部屋で、静かに思った。
「あ!」
アルドは今更になって思い出したのだ。
「……《灰色熊亭》のあったあの町の名前、最後まで聞くの忘れてた……」




