第13話 それがフィクサーの仕事だ
監察官が街に入ってきたのは、ランドルが退いてから三日後だった。
二人組の、地味な服装の男たちだ。派手さはない。でも、目が鋭い。王都の監察府が送り込む人間は、いつもこういうタイプだ。
自警団の詰め所に入っていく二人を、ベリンが離れたところから見ていた。
「……本当に来たな」
「言っただろう?」
「言ってたけど」ベリンは、まだどこか信じられない顔をしていた。「実際に来ると、なんか……違うな」
「何が違う?」
「国に守られてる、って感じがする」ベリンは少し恥ずかしそうに言った。「三年間、そんな感覚なかったから」
アルドは何も言わなかった。
ただ、その言葉を聞いた。
「……変わる。ただし」
「ただし?」
「維持するのはお前たちだ」
ベリンが、アルドを見た。
「……俺たちが、か」
「俺はずっとここにいるわけじゃない。仕組みを作ったら、動かすのはお前たちだ」
ベリンが、少しの間黙っていた。
「……わかった」
短い言葉だったが、三週間前とは重さが違った。
その日の午後、商人たちを集めた。
いつもの《灰色熊亭》の一階だ。でも、顔ぶれが最初とは違う。最初の四人に加えて、鞄屋のダレン、布屋のマルコ、それから新しい顔が三人混じっていた。噂を聞いて自分から来た商人たちだ。
アルドは全員を見渡してから、静かに言った。
「自治組合を作る」
全員が聞いていた。
「商人たちが自分たちで街の商売を守る仕組みだ。情報を共有して、問題があれば話し合って、解決する。外から圧力がかかっても、一人で抱えなくていい構造を作る」
「……誰が動かすんですか?」とダレンが聞いた。
「お前たちだ」
「アルドさんは?」
「俺は作るだけだ。動かすのはお前たちじゃないと意味がない」
沈黙。
その時、革細工屋の女・アンが手を挙げた。
「……組合長、やります!」
全員が振り返った。
アンは、静かな目をしていた。迷いがない目だ。
「理由を聞いていいか?」
「最初に来た時、グレインさんが言いましたよね。怖いかどうかより、やるかどうかの方が大事だって」
アルドは少し驚いた。
「……覚えてたのか」
「残るんですよ、グレインさんの言葉は」
その言葉に、アルドは昨夜エリシアが言ったことを思い出した。
ほぼ同じことを、二人が言った。
アルドは小さく笑った。
「……期待してるぞ」
午後、アルドとエリシアは街を歩いた。
特に目的があったわけじゃない。エリシアが「少し歩きたい」と言ったから、それだけだ。
石畳の通りを、二人で並んで歩いた。市場はそろそろ店じまいの時間で、商人たちが荷物を片付けている。子供が走り抜けた。どこかから遅い昼食か、夕食の支度をする匂いがした。
ごく普通の、昼下がりの街だ。
「……ここ、好きになりました」
エリシアが、歩きながら言った。
「そうか」
「グレイン様は?」
アルドは少し考えた。
「……まぁ、悪くない」
エリシアが、小さく笑った。
「悪くない、か」
「何がおかしい?」
「最初に言ってた言葉ですよ、それ」
アルドは少し止まった。
初めて二人が出会った時。全裸で槍に囲まれていた日の、夜の終わりに言った言葉だ。
「……覚えてたのか。全裸のおっさんだった言葉を」
「覚えてます」エリシアは歩きながら言った。「なんか、グレイン様らしいなって思って。その時から」
夕日が、石畳に長い影を作っていた。
しばらく歩いてから、エリシアの表情が少し変わった。
笑っているけど、どこか遠くを見ている顔だ。
アルドはそれを横目で見た。
別れが近づいている、ということを、この娘もわかっている。
「そういえば」アルドは言った。「昔、ロマンチックって言った歌詞の話、覚えてるか?」
エリシアが、顔を向けた。
「おじさんにしては、って話でしょ?」
「あの歌の続きを思い出したんだよ」
「……ちょっと興味あります」
「ただ」アルドは少し間を置いた。「この歌詞には異世界の神の呪いがかかっていて、多分正確に発音すると止められるんだ。だから要約だけにする」
エリシアが、目を細めた。
「……ずいぶん都合のいい呪いですね?」
「そういうものだ。続き、聞くか?」
「聞きます」
アルドは少し空を見てから、言った。
「頭の中はあなたでいっぱい。今すぐ会いたい。泣きたくなる月夜。文も出せない夜中。私の心は砕けた鏡のよう。今は遠く離れて会えなくても、同じ大地に生まれたのだから、またいつかめぐりあう奇跡のロマンス。……大体こんな感じだったかな?」
エリシアが、黙って聞いていた。
「おじさんが生み出した歌詞じゃないことはよくわかりました」
「俺もそう思う」
少しの間があった。
「でも……なんで、教えてくれたの?」
アルドは少し考えた。
「んー、思い出したからだ。理由なんて特にない」
「ふーん……そうなんだ……ふ〜ん」
エリシアは前を向いたまま、もう一度言った。
「いつかめぐりあう…奇跡のロマンス……ふ〜ん」
その表情は、さっきより少しだけ柔らかくなっていた。
アルドは青果店でリンゴを買った。紙袋いっぱいに買ったリンゴをエリシアに一つ、自分用に一つ手に取る。
「ちょっと前に買って気に入ったリンゴだ。安かったから多めに買っておいた。遠慮せず食え」
エリシアは一口かじると「…ちょっと酸っぱいです。レモンみたいです」
アルドは笑いながら「だろう?激スッパすぎて、共有したかった」
「バカなんですか?」
「手厳しいな。でも、後になるとその激スッパリンゴが、いい思い出になるのさ。俺ら二人だけの思い出だ」
エリシアは何も言わず、もう一口かじった。
夕日が、二人の影を石畳に長く伸ばしていた。
夜、一人で氣功をしていると、部屋の空気が変わった。
窓から光が差し込んできた。月明かりとは違う、柔らかい光だ。
「やあ、アルド。元気にしてた?」
声がした。
アルドは目を開けた。
窓際に、女が立っていた。
年齢不詳。明るい髪。どこか飄々とした目。人間じゃない空気がある。でも、怖くはない。昔会ったことがある存在。42年前に。
「……遅すぎる」
「ごめんごめん、一応出てくるタイミングを伺っていたのよ」女神・ルーチェは笑った。「でも、ちゃんと見てたよ。なかなかやるじゃない?」
「見てたなら手伝え」
「それはできない決まりなの。でも、ずっと応援はしてたよ?」
アルドは息を吐いた。
「何しに来た?」
「様子を見に。それと、少しだけ教えてあげようと思って」ルーチェは窓枠に腰かけた。「ハードモード、楽しんでる?」
「楽しんでない。絶賛後悔中だ。イージーモードに変更を頼みたい」
「嘘ね」
アルドは答えなかった。
ルーチェが、少し表情を変えた。
「これからが本番よ?いわば、ここまではチュートリアル」
「……わかってる。……けど42年のチュートリアルって……」
「サーヴァント侯爵との約束、複数の街、王国の政争。全部繋がってくる。あなたが思ってるより、早く。あと、サーヴァント侯爵には、王国の政争が落ち着くまで会わないほうがいいわ。あっちもそれを望んでる」
「それを教えに来たのか?」
「ヒントをあげに来たの。核になる答えを教えるのは反則だから」
ルーチェは立ち上がった。「あと一つだけ」
「なんだ?」
「隣にいる娘、大事にしなさいよ」
アルドは何も言わなかった。
ルーチェが笑った。
「じゃあね、アルド。また見てるから。」
光が、消えた。
部屋が元の暗さに戻った。
アルドは少しの間、窓の外を見た。
月が出ていた。
吸って。溜めて。吐く。
これからが本番か。長いチュートリアルだったな……
まあ、それでいい。
翌朝、エリシアが出発する前に。
《灰色熊亭》の前に、いつものように人が集まっていた。女将、ベリン、ガルド。それから革細工屋の女と、ダレンと、マルコも来ていた。
誰も集まろうと言ったわけではない。
エリシアが、一人ずつに挨拶した。女将に、ベリンに、ガルドに。革細工屋のアンと、短い言葉を交わした。
アルドは少し離れて、それを見ていた。
三週間前、この娘は路地裏の壁の陰から「服は、どうされたんですか?」と言った。今は、この街の人間に見送られている。
変わった。この街も、この娘も。
エリシアがアルドのところに来た。
「……行きます」
「ああ」
「王都で、また会いますよね?」
「会う、はずだ」
「約束ですよ?絶対ですよ?」
「約束だ。縁があればいずれ巡り合うものだ」アルドは笑った。
エリシアも、少しだけ笑った。
それから、歩き出した。
エリシアがサーヴァント侯爵が手配してくれた馬車に乗り込むのを確認した。
エリシアは振り返らなかった。
アルドは、今度はエリシアの背中を見送った。
女将が、隣に来た。
「……あんたも、行くのかい?」
「もう少ししたら」
「次の街か?」
「ああ」
女将が、鼻を鳴らした。
「また来たら銀貨二十枚もらうよ」
「ぼったくりすぎだろ!?銅貨六枚だ!」
「銀貨十八枚!」
「銀貨一枚!」
「……朝飯付きで銀貨三枚でいいよ。」
アルドは小さく笑った。
(最初に泊まった時の金額設定よりは高いんだよな……まぁいいけど)
「気が向いたらまた来な」
女将が、そう言って店に戻っていった。
一人になってから、アルドは空を見た。
よく晴れた朝だ。
この街に来た時、全裸で見上げた空と、同じ空だ。
でも、今は違う。
帰る場所があって、会いに行く人がいて、やることがある。
前世でも、こんな感覚があっただろうか。
少し考えて、思った。
なかった気がする。いや、物忘れがひどいせいか?
まあ、悪くない。
アルドは歩き出した。
次の街へ向かう道は、今日も晴れていた。
第一・二章 完




