異界から覗く自我 22-1
1.妖精との出会い
「いてっ!」
オデコの辺りに何かぶつかった気がした。
「どうしたの?」
運転席にいるアリエー・ファムカが、助手席に座るエレナ・ホナミ・ヤジマに訊ねる。
二人は産業博覧会会場入口にあるレンタル店から電動の二人乗りオープンエレカーを借りて会場内を走行している。
ジプコTDF館から中央広場に向かう途中だった。
「なんかがオデコにぶつかった気がする」
「気がする?」
「痛かったけれど、ぶつかった跡がない」
サイドミラーでオデコを見ても腫れてもいなかった。ただオレンジ色の髪が風になびいているだけだ。
それに視力は良い。動体視力だってこのスピードだったら、目の前に虫か何かが飛び込んできたとしても気付きそうだし、避けることだってできただろう。時速十キロ未満である。こんなスピードなら虫だって避けられるはずだ。
「精霊が悪さしてきたのかもね」
「まさか」
「そのまさかが起こらないとも限らないからね」アリエーは微笑む。
先日の森での体験がその想いを補完している。
トラッティン産業博覧会が開幕するまであとひと月余りと迫った頃だった。パビリオン内の空気もピリピリし始めている。
ランチタイムにパビリオンを抜け出してエレナはエレカーをレンタルしてアリエーとともに中央広場の飲食店街に向かっていた。一人で行きたかったが、単独行動はフィオーレが許してくれなかったので、仕方がなくアリエーについて来てもらっている。
広い公道は産業博覧会開幕前なので、レンタルのエレカーの数はランチタイムであっても多くはない。
閑散としたエレカーの道路をアリエーはオートで自走路を走らせていた。
「なあ、アリエー、運転させろよ」
エレナはつまらなそうに助手席から運転席にいるアリエーに言うのだった。
アリエーの黄金の髪が風になびいている。
楽しそうにも見えた。
「駄目よ」ため息をつくようにアリエーは答える。「エレナに運転させるとオート走行を切ってレースかジムカーナを始めてしまうもの。私はタイムトライアルなんて望んでいないわ」
「楽しいじゃない」
「あんただけよ!」アリエーは声を荒げている。「周りの迷惑を考えなさい」
「どうしてよ?」いつものことなのでエレナはどこ吹く風だった。
本当に相手のことなんて考えない性格だ。
「本来、ここは公道でレースをする場所じゃないわ。人が安全に歩く場所なのよ」
「だって人がいないじゃない」
「いまだけよ。エレナはそんな単純なことも分からない訳? ここは遊び場じゃないのよ」
「人はいないじゃいない?」
「今はよ。何度言わせるの。理解しなさい。なんで自己中心的な考えになるのよ」
「そうかな」不思議そうな顔付きだった。
「相手がいることを理解しなさい」
「相手かぁ」
エレナは両手で頭を抱えながら背もたれに寄り掛かる。
本当につまらなそうである。
「閉じこもってばかりじゃつまらないじゃん」
テーセの一件があって以来、TDFのメンバーは自主的に外出を控えている。
それが面白くなかったのか、エレナはライチタイムに外に食べ行くと言い出した。
フィオーレが出したツーマンセル以上の行動原則から外出の際はアリエーかノルディックが付き添うことになっていた。
「いいじゃん、たまには気分を変えるのもさ」
「ペリシアが悲しそうな顔をしていたわよ」
「師匠には断ったわよ」
「それでもさあ」
「あとでちゃんと弁当も食うわよ。アリエーだって行けるでしょう?」
「まあそうね」
軽く二人分行ける。
「師匠に睨まれたくないもの」
「怖いものね~」
「なんでアリエーだけフィオーレにプログラムを教えられているのよ?」
「それは、これでもかっていうくらい誠心誠意フィオにお願いしたもの」
プログラムの師匠がアリエーだけ違うのも頷けない。
エレナ自身、高圧で毒舌なシュルド・アルベイラーよりも、どんなに厳しくてもフィオーレの方がマシに思えてくる。
「フィオだって怖いわよ。隣の芝生は青いというやつよ」
「それは分かるけれどね。呼び方だってそう。差別だ」
「出会い方が悪すぎたんじゃない? 差別でも何でもないというか、人間性の問題じゃないかな」
「ちっ」エレナは悔しそうだ。
「シュルドさんだって、言いたくて言っているわけではないのですから、エレナが注意すればいいことなのです」
アリエーの言いたいことは分からなくもないけれど、あの毒舌は本当に精神に響き鬱になりそうになるのである。
何とか耐えているけれど、それでも怖いし厳しい。
「風が優しいわ」アリエーの黄金の髪が風になびいていく。「のんびり走るのもいいじゃない」
「そうかなぁ」
エレナはあくまでも否定的だった。
「風が気持ち良い~♪」
アリエーはエレナもそんな言葉を気にもせず風を楽しんでいる。
「仕事でいつも感じているじゃない」何が楽しいのだろう?
理解出来ない。
「あれはパビリオンの中よ。自然の風は違うわ。そんなことも分からないのかしら?」
「分からないわよ」
「残念ね」アリエーはため息をつく。「内と外では全然違うわ。知れば知るほど、感じれば感じるほど味わいは深いものになっていくわ」
「わっかんねぇよ」
エレナは髪を掻きむしる。
「理解して欲しいわ。知れば知るだけ、理解するほどに自然は味わい深いものになるの」
「そんなものなのか?」
「それを知ることが出来れば一人前よ」
「すいませんね。半人前以下で」
「本当よ。ロクな会話にもなりはしないわ」アリエーは不満そうに頷く。
良いモノは持っているはずなのに今に至っても自己中心的で他人と交わろうとしていないのである。
孤高の狼のようなものだ。
磨けば光るものがあるはずなのに、もったいない。
どうしてこうなったんだろうと呆れてしまう。
「すいませんね~」
そっけない口調でエレナは呟く。
本人も分かっているのか、色々ともがいているようなところでもあった。
それさえクリアできればもっとTDFに溶け込むことが出来るはずなのに、もったいない。アリエーは残念そうな目でエレナを見るが、それでも本人は気付いていないようだった。
これは本人の自覚の問題でもあるだろう。
アリエーは肩を竦めるしかなかった、本当に残念だ。
「卑屈にならないの」アリエーは苦言を呈する。「エレナらしさというのもあるから、それまで失わないよう悩まないことね」
「あたしらしさか? 何なんだろうね?」
エレナはシートに背を預け、青い空白い雲を見つめる。
「エレナは直線的すぎるのよ」アリエーは答える。「それが貴女の持ち味かも知れないけれど、それは表裏一体。どちらにも転んでいってしまうわ。投げやりになってほしくないわね」
「だってよう」
「諦めてないんでしょう?」
「そりゃあそうだけどさ……。いったいいつになったらバンドに混ぜてもらえるのやら」
「あなたが今の殻を打ち破らない限り無理ね」きっぱりとアリエーは言う。
無情な宣言でもある。
「その殻が分からないんだろうが!」エレナは投げやりになる。
どんなものなのかすら分からない。
見えないから、感覚だけでは分からないから、何をどうしたらいいのかすら見えてこなかった。それが本当にまどろっこしくてイラつく。
「形あるものなら、どんな手を使っても突き破るのになぁ」
「あなた自身が打ち破らなければ、先に進められないものなのよ。それを私が言ったとてしもエレナには理解できないものでしょう」
「わっかんねぇよ!」
「そこで立ち止まってしまっていては先に進めないわよ」
「だから、何が悪いのか教えてくれよ!」
「エレナ自身が気付かなければ。先に進めないのよ」
「意地悪するなよ」
「していないわよ。エレナが理解していないだけよ。これまで散々私たちは言ってきているのですからね」
「分かんねぇよ」
「私たちは何度もエレナに言っているわよ。それに気付かないようでは、私たちと演奏は出来ないわね。諦める?」
「あたしは絶対にディのバックバンドを務める!」
「その気合は良しだけど、完全に停滞しているわね」
「どうすりゃあいいんだよ~」泣きたい気分になってくる。
「エレナ自身の問題よ。気が付かないのは壊滅的よね」
「くそ~」エレナは頭を掻きむしる。「周りってどうみりゃいいんだよ~」
「どういう生き方をしてきたら、こうなるのか私の方が知りたいわ」アリエーは呆れるしかない。「どこがいたらないのか分かっているのなら、努力しなさい」
こればかりはいくら他人が言っても、本人が理解しなければ治せるものではなかった。
「色々言われるけれど、分かんねぇんだよ!」
言われ過ぎて訳が分からなくなっていると言いたいらしい。
「投げやりにならない。そこで逃げたら負け犬よ」
「分かっているよ。だからアリエーに訊いているだろう」
エレナはディのバックバンドの一人になりたかった。
いくら外されようとも諦めずベースの練習は続けていて、そのため練習の成果は出ている。ソロで弾くベースのテクニックは本当に向上していた。
プロになってもいいんじゃないかと言われるけれど、他人と合わせることが本当に下手くそだった。
本人も気にしているようで、縮こまった演奏になってしまうから手に負えない。
精神的な問題であるようだけれど、それが簡単に修正出来ていたのなら、すでにエレナはTDFのバンドメンバーとして認められていただろう。
エレナがベースを弾き始めて、十ケ月近くになる。
以前よりは任せられる場面も増えているが、その状況は少ない。演奏全体に絡ませることはできない。本番はあと少しだというのにである。
「言葉に出来るアドバイスはしたつもりだけれどなぁ」アリエーはため息をつく。「話を聞いてくれるようになったのは進歩だけど、実行に移せないのがねぇ。口調だって改善されているとは言いがたいし」
「疲れるんだよ。気を遣うとさ」
「それは当然でしょう。人を相手にするって大変なことなのよ」
「友達や家族はそんなもの必要ないと思っていた」
「そういう認識で、他の人を相手にしているエレナの方が信じられないわ」
眉間にしわが寄っていると感じるアリエーだった。
「すいません」
「その口調よ」
「へっ?」
「今どんな気持ちで私に言った?」
「何度もアドバイスしてもらっているのに直らないから、ごめんて」
「いい加減付き合いも長くなっているから、なんとなくわかるけれど、その口調他の人が聞いたら、絶対に心がこもっていない。ただ表面上取り繕っている適当な言葉だととらえなれるわね」
最初の頃、アリエーは本当にそう感じてしまい腹が立ったことが何度もあった。
「えっ、ウソ?」
「あんたにおもねることもへつらうこともしないわよ。それにありがとうって言いながら相手を睨むこともね」
「睨んでねぇよ」
「口調」改めて指摘する。「それに買い物した時だって、店員さんへの態度」
「へ、変か?」
「エレナは笑っているつもりかもしれないけれど、傍から見れば睨んでいるようにしか見えないのよね」アリエーは肩を竦める。
「なんか向こうの腰が引けているのは分かるけれど、そんなに酷いのか?」
「私に笑い掛けてきなさいよ」
「こ、こう?」
その顔をアリエーは端末で写真に撮って、画像をエレナに突き付けた。
「これ、笑っているように見える?」
半眼になって目付きが鋭くなっているし、口角は上がっているが不自然なくらい角度がおかしい。
「……見えない……」
鏡の前で笑う練習は続けているけれど、その時は上手くできているように見えても現実はこんなものだった。
がっくり肩を落として、エレナはコンソールに頭を打ち付けた。
「私たちは慣れたけれど、それでもいまだにフェリウスなんか怯えているものねぇ。オリエナといる時みたいな表情が出来ればいいんだけれど……」
「何でオリエナが出てくるのさ?」
「あなた気付いていないのかしら? オリエナと話している時のエレナはちゃんと喜怒哀楽が出せているのよ」
「どうして?」
もの凄く嫌そうな顔つきでエレナはアリエーを見る。
本当に嫌なのだろう。オリエナの無神経なほどのウザ絡みが。
フィオーレの策略なのか、オリエナとエレナはコンビで仕事をすることが多い。オリエナとの会話から誘導されているのかもしれないが、柔らかい表情になっているのは誰の目にも明らかだった。
「オリエナに気を許してんじゃないのかな」
会話だけ聞いていると喧嘩してんじゃないかと思える時もあるが。それで仲良くやっているように見える。
「あいつに!」
虫唾が走っているような顔つきだった。
こういった表情が出来るだけでも進歩なんじゃないだろうかとアリエーは呆れながらも思ってしまうのである。
「オリエナと二人の時のように自然に会話と表情を出せたら、他の人とも会話できるんじゃないかな?」
「あたしはアリエーとも普通に会話しているつもりなんだけれど?」
「たまに喧嘩腰になっているし、私に対して思いやりは感じられないわよ」率直にアリエーは答えた。「何かが足りないのよ」
「何かって、何だよ?」
「その言い方からも分かるでしょう? 言葉が足りないし、なんか壁を作っているようなのよね」
そう、どこかしら人を寄せ付けないものが存在していた。
それがバンド演奏にも反映しているような気がする。
「ああ、分かんねぇな!」
「そこで吠えるな。叫ぶな」隣で聴かせられると耳を塞ぎたくなる声量である。「近所迷惑だ。そう言った迷惑だと思われることを平気で日常的にやってしまうところもダメなところよね」
「テーセだってそうだろう?」
「あの子は結構あざといわよ。自分の見せ方を分かっているから、迷惑が掛かってもそれを許せる気分にさせていくから」
ちゃんと自分も相手も理解しているから、彼女は天使と呼ばれるのだろう。
「不公平だ」
「それでもテーセを嫌いになれないでしょう? ディ同様、許してしまうでしょう? あの笑顔を向けられたらさ」
「そうだけどよぉ」
エレナはディに憧れているのかもしれない。
自然な笑みを振り撒ける天使に。自分にないものを求め続けているのだろう。
それが不憫さを誘う。
ピノキオが人間になれた時に得ることが出来た感情をエレナにも分けてあげられたらいいのにね。
アリエーはそう願わずにはいられなかった。
「なあアリエー」
「なによ?」不安になりながらアリエーは訊ねる。
「悔しいから帰りにジムにでも行かね?」
「だからあんたの都合だけでそういうことを言うなっていってのよ! 誘うんだったら相手の都合を考えて誘えって言ってんでしょうが!」
可愛げない命令口調で言われても同意なんか出来っこ無いのである。
それに気付けって言ってんのよ!
アリエーは半分キレキレになって説教を始めるのだった。




