セキュリティ大作戦 21-5
5.仮想空間にて
「行ってきま~す♪」
誰にその言葉が向けられたわけではない。
テーセは仕事が終わり、ハウスに戻るとリビングのソファに腰を下ろしサイバーグラスを掛ける。誰が気付いたか分からないが一人で彼女はバーチャル空間へとダイブする。
高いテンションのままテーセは姉やその隣にいたノルディックを横目に、仮想ショッピングモール『チグリスユーフラテス(T&E)』に一人で買い物に出たのである。
特に買いたいものがあったわけではない。
ただなんとなく姉がお兄ちゃんと過ごしている時間を邪魔したくなかっただけだった。姉がノルディックに依存しているが分かりすぎるからこそである。
これはディナーが始まるまでの間の時間潰しのようなものだ。
パビリオンとハウスの行き帰りは、姉のエアカーにノルディックとともに便乗している。帰りも開幕までひと月余りで、慌ただしさもあり寄り道すらしないで移動していた。
ショッピングや映像鑑賞、音楽会やコンサートなどは仮想空間でもリアル以上に楽しむことが出来たので、出歩く必要はあまりないのもある。
日用品や保存食品が並ぶ商店街スペースを通り抜けて、衣類や装飾品、楽器やグッズ、さらにはパーツ類が並ぶ専門店がひしめく商店街スペースにテーセは足を踏み入れていく。
商店街に足を踏み入れると、肌にちょっとしたざらつくような違和感があり、テーセは立ち止まると周囲を見回した。
『気のせいかな?』
小首を傾げながら周囲を見回したが、おかしなところはなかった。
バーチャル・モールに出入りしている人は多くいたし、行きかう買い物をする人々に不自然さは無いように見えた。テーセは気持ちを切り替えて、ウィンドショッピングを楽しもうとする。
『誰か、一緒に来てもらった方が良かったかな』
姉やお兄ちゃん以外で、ミリーやエレナを思い浮かべてしまう。
それでも楽しくはなかった。
わがままな感情なのも分かる。それでもぽっかり心に穴が開いたような感じがしてしまうのである。
首を何度も横に振って、テーセは好きな音楽を纏いながらステップを踏み歩いていく。
だから気付くのが遅れたのかもしれない。
好きなポータルゲーム機が置いてある中古のパーツショップを見つけたので、その店内を覗き込む。
キラキラとした交換用のパーツが並んでいる。
テーセは装飾品よりもこういった細やかなパーツ類が好きだった。こっちの方が宝石のように素敵なものに感じてしまうからである。
何か遊べるようなものが無いかと物色していると、声を掛けられた。
『えっ? 誰?』
あまりにも不意打ちだったので、飛び上がるほど驚いた。
周囲の情報や広告などの雑音を音楽で遮断しているような状態だったからなおさらだった。
『これは失礼しました』秘書的な男を思い浮かべる紳士的な格好をした中年は笑みを浮かべながら近づいてくる。
その笑みにテーセは悪意を感じてしまい左右を見回しながら一歩二歩と後ろに後ずさる。
すぐに商品ケースに身体をぶつけてしまう。
店内には黒服紳士とテーセしかいなかった。
誘いこまれた?
『何の用?』用心深く訊ねる。
『こういった品が本当にお好きなようですね』
『え、ええ、好きよ』
相手に情報をあまり与えないように言葉にする。
相手もそのつもりなのだろう。男の輪郭自体ぼやけている部分がある。認識疎外のプログラムが掛けられている可能性がある。かなり用心深そうだ。
『私はこういうものです』紳士風の黒服の男は名刺を差し出してくる。
そこに何が書いてあったとしても、テーセは受け取ろうとしなかった。文字に呪縛のプログラムが掛かっている場合もある。
もしテーセが彼の立場ならばそうすることもあるだろう。
だから名刺は見ないし、受け取らない。
『取引いたしませんか?』
テーセの対応に苦笑しながら男は言ってきた。
『なんで?』そんな必要がある。
テーセは拒否する。少しでも時間を作りたかった。
誰か気付いてくれるだろうか? 一人で来てしまったことを激しく後悔した。
身につけているガードシステムや使っているサイバー空間プログラムでは今この状態の自分を維持するだけで手一杯だった。現状、一人でここを脱出するのは難しい。
表情に出さず相手に悟られないように慎重にテーセはプログラム言語を発している。
相手が焦っていないか、隙が出来ないか、テーセは周囲を警戒しながら思考を巡らせていった。
いつもなら狩る側だが、狩られるのは物凄く悔しかった。
空間自体が狭まっていくのが分かる。ショーケースは消えている。ここは相手の支配する空間だった。
『テーセ・ナルス・ツイング様でお間違いないですよね』ヒゲタ笑い声が聞こえてくるような笑みだった。『私共は貴女様の能力を買っています。その能力を私共の元で発揮していただきたいのです』
『……いやよ』
すぐに声が出なかった。
何らかの制限が、この仮想空間に込められている。
『御満足させられますよ』
データを送りつけてくるが、拒絶する。
相手も驚いているようだ。
ざまあみろと心の中で舌を出す。本来身体を使ってそうしたかったが、この空間で、この身体は思うように動いてくれない。
テーセのものとは違うガードシステムが働いているのが分かる。
肯定するように誘導する何かがあった。すぐに応えられないのは、空間で何らかの制限が掛かっているせいであるはずだ。
先程違和感に触れた瞬間に本来の『チグリスユーフラテス』の商業スペースから、別の仮想空間に転移させられたのだろう。
ここから逃げ出そうとして、セキュリティプログラムを組み立て起動させるが、それは不発に終わってしまい空間に閉じ込められてしまったままになる。
そのためのガードシステムを展開していたにもかかわらずだ。
反撃にリソースを回すよりも、現状維持、思考とプログラムの守ることに専念するしかない。
悔しいと同時に悲しくなってくる。
自分のセキュリティやガードプログラムがパビリオンのシステムやラインを守っていたから、好き勝手出来て誰にも注意されないから過信していたのだろうか。
決して一人の力ではなかったはずなのは理解している。
テーセの隣にはいつもTDFのメンバーがいてくれたのだから。
もの凄く短い時間であったが、思考が負に飲まれそうになっていく。これもプログラムの誘導なのかもしれない。
『……いやよ。ぜったいに嫌!』テーセは絶叫していた。
『何故でしょう?』黒服紳士は肩を竦め笑い掛けてくる。『こんなに好条件でありますのに』
『……わたしを……こうして精神まで縛り付けておいて、どこが好条件なのよ?』
『おや、おかしいですね』
『……なにがよ。あなたたちの条件なんて……あたしは受け付けないわよ』
『どこまで我慢できますでしょうね。快楽に身を寄せれば楽なのに』
テーセは身動きが取れなくなっていくのを、プログラムからも感じ取っていく。
仮想空間での身体はプログラムでしかない。それでも徐々に皮膚が侵食されていくような感覚だった。
相手が作った檻の中である。しかも襲い掛かってくるのは目の前の男だけではない。その背後にはもっと多くのプログラマーが存在しているはずだ。
無数の触手がテーセに襲い掛かってくるようだった。
ここに捕らわれてしまった瞬間からテーセの運命は決まっていたのである。
でもそれでは悔しすぎる。
歯ぎしりしながら、何かないか考えていた。
諦めるなというノルディックの教えとともに。
『絶対に御満足いただけますよ』
黒服紳士は呪文のように何度も呟いてくる。まるで暗示にでも掛けようとしているかのようだ。
『……死んでも嫌よ』
それこそ身体がこれを受け入れ、思考を捉えられ、仮想空間に閉じ込められてしまったら、一生このまま孤独の中に閉じ込められてしまう。
『死ぬことはございませんよ。仮想空間でいつまでも快楽の中で暮らしていくだけです。時間さえも忘れてね』
『……あなたがよくても……わたしは楽しくない』
『あなたの意志はもはやどこにも存在しませんよ』
思考が身体から切り離されてしまうという事だろうか。
そんなの絶対に嫌だ。
『なかなかしぶといですね』
『……あきらめが悪くてごめんなさい』見た目は可愛くても、中身は可愛げが無いのである。
『いつまで抵抗出来ますかね』
『すぐに済ませるぞ』
『時間がもったいない』
『さっさと済ませろ』
黒服紳士のものではない声も聞こえてくる。
しかもその言葉と同時に圧力が増しているのが分かる。身体が焼き付くように痛かった。
この感覚は偽物であったにもかかわらず、プログラムが受け入れてしまいそうで、テーセを苦しめていく。
『……拷問よね』
ついに本性をむき出しにしてきたようだ。
テーセは覚悟を決める。
間に合う保証はなかったが、思考が乗っ取られる寸前に、相手との間に生まれるはずの強い接点から出来得る限り最大のボムを投げつけてやる。
そうすれば向こうだって無傷で済まないはずだ。
簡単に屈してやるものか、出来る限りの抵抗を試みてやる。
身動きが取れなくなった中でも、テーセは抵抗し足掻き続けた。
仮想空間の身体は頭部のみしか感覚はない。
それ以外は相手に奪われてしまっている。
瞬きするのも、口を開くことも難しくなっていた。
向こうは勝利を確信しているが、それでもプログラムによる侵略は続いていく。
黒服紳士からは、さらにどす黒いプログラムがテーセに向かって吐き出されていた。漆黒の呪文のようなプログラムがテーセを飲み込もうとしていた。
ごめんね。
テーセは姉とノルディックに謝った。
泣きたい。辛かった。
もっと肌で姉の温もりを感じていたかった。このまま飲み込まれれば意識は無くなりコンピューターのようにただ演算だけする存在になってしまうだろう。
人質にされる可能性すらある。
だからこその自爆プログラムでもあったけれど、それもこのままいけばコンマ数秒足りない。悔しい。
ディ姉。
優しい天使の笑みを想いうかべる。
ノルデ兄。また格好よく助けに来てくれないかな。
助けてよ! 誰でもいい。
『こん畜生がぁぁぁぁぁ!』
そんな声が聞こえた気がした。
闇の中に光が差したのは気のせいだったのだろうか。
意識が飛ぶ寸前の出来事だった。
テーセ自身、闇に飲まれた感覚はあった。
「テーセ、テーセ」
酷く狼狽し心配した姉の声が遠くから聞こえてくるような気がした。
身体が強く揺さぶられている。
痛いよ。
「……ここは……?」
呟きとともにテーセの瞼が動き、ゆっくりと開かれていく。
「テーセ」ディは思いっきり妹を抱きしめる。「間に合ってよかった……」
姉はボロボロと涙を流し、テーセの肩を濡らしていく。
「……戻ってこれたの……?」
心配そうにテーセの顔をキャスティやペリシア、フェリウスが覗き込んでいるのが分かる。
「あと、そうだなコンマ一秒でも遅れていたら、危なかったかもしれない」
シンシマが事も無げに言う。
「危なかったのは分かるわよね?」
声の方向に首を向けるとアリエーがモニターを三枚展開している。その隣にはノルディックもいてサイバーグラスを掛けながらモニターを展開し何かしていた。
「助けてくれたんだよね?」ぼんやりとした声しか出てこない。
一瞬思考が停止ししていたのだから仕方がないのである。
「そうだよ」ゆっくりと息をしてシンシマは言う。
「みんなに感謝してね」ディは強くテーセを抱きしめる。
声こそ荒げていないが、息を詰まらせながら泣いている。
彼女もテーセの状況が分かっていただけに怖かったのだろう。妹の意識と生命が失われる可能性があったことに。
「ありがとう……」ふわりとテーセは笑い掛けてくる。まだ現状が理解できないのかもしれない。「よく分かったね?」
「分かるわよ。あなたのことですもの」
涙ながらに当然だと姉は言ってくる。
「最初に異変に気付いたのはディとノルディックだ」
シンシマが説明してくれる。
テーセがサイバー空間にダイブしてすぐに気付いて、ノルディックとディ姉はすぐに追いかけてきてくれたようだ。
「……さすが」
「その直後にオリエナからもラインへの異変があったと連絡があったんで、ハウスに戻っていた俺とアリエー、パビリオンのオリエナにも手伝ってもらい。テーセを追っかけた」
すでにテーセの痕跡は消えていたが、それでも少しの異変もプログラムの異常も見逃さずテーセを捜索してくれたようである。
現実時間では二十分も経っていない。
あの時の状況がじわじわと蘇ってくる。
「凄いね」まだ声は人ごとのようでもある。
漆黒のテーセを飲み込んでいく冷たく暗いブログラムの闇が全身を包み込んでいく。
寒さに震えるようにテーセはディにしがみ付いた。
その反応にディも応えるようにさらに暖かく強く抱きしめてくれた。その温もりが嬉しくてテーセの目にも涙が溢れてくる。
「当たり前だろうが」ノルディックの声はぶっきら棒だったが優しい声だった。
ノルディックはサイバーグラスをはずし立ち上がるとテーセの元にやってくる。
「終わったか?」シンシマはノルディックに訊ねる。
「徹底的に破壊して、銀河保安局につきだした」
「生きているんだろうな?」
「当たり前だ。そうしなければ意味がないだろう?」
「そりゃあそうだ」シンシマは声を上げて笑う。「どこまでたどれるだろうな?」
「黒幕までは無理そうだな。アリエーが事後処理してくれているが」
「今回辿れた犯人たちは実行犯であっても黒幕ではないわ。完全にトカゲの尻尾切りね」サイバーグラスを外したアリエーは答える。「今回仕掛けた奴らの背後にいた連中は、今銀河保安局が対応してくれているけれど、本当の依頼人の痕跡は完全に消されているわね」
少し悔しそうだった。
「周到に仕掛けてきたようだな」
「誰でもよかったのかもしれない」
「ただテーセだったのが、幸いしたのかもしれない。プログラムへ対応出来なければもっと早く飲み込まれてサイバー空間で消滅していたかもしれない」
「私が一番危なそう」
テーセの状況を聞いていたフェリウスは身震いしている。
「よく頑張ったな」
ノルディックはテーセの頭を優しく撫でた。
大きく節くれ立った手が金髪を包み込んでいく。髪がくしゃくしゃになるが嫌ではない。
むしろ……。
「……諦めたくなかった。悔しかった……」
「その気合は良し」ノルディックは笑う。「テーセが頑張ったから、オレたちもお前を見つけることが出来た。偉いぞ」
「うん」しゃくり上げながらテーセは頷いた。「でも……でも、こわかった。こわかったの」
「間に合ってよかったよ」
「コンマ一秒遅かったらヤバかったけれどな」ノルディックの言葉にシンシマが突っ込む。
「こわかったよ~」
堰を切ったように涙があふれ、大声を上げてテーセは泣きだした。
「大丈夫よ」ディは妹の背中をさすりながら何度も言う。「あなたはここにいるの。大丈夫。テーセは」
ディは彼女が泣き止むまで、抱きしめ優しく声を掛け続けた。
その言葉が子守唄のように心地よくテーセの耳に響いてくる。




